私の覚悟と錆びた剣
「何を?」
侯爵の頬に、小さな侍女の手が伸びていた。
その顔には、静かな怒りが宿っている。
「父を亡くしたことへの慰めもなく、責め立てる。貴方は何様ですか? それが、同じ歴史ある血を引く者への態度ですか?」
「クロエ……」
その名を呼んだ瞬間、私はようやく彼女の顔をはっきりと見た。
私と同い年くらいの少女――それが、この屋敷の侍女だった。
侯爵は顔面蒼白になり、手を動かしたが、クロエは素早く振りほどいた。
「謝らなければ、私はここを去ります」
侯爵の肩が震え、目が一瞬揺れた。何かを思い出したように息を呑む。
「私への謝罪は要りません。父の名誉を傷つけたことは、決して許せません」
私は、侯爵に言った。
「つい心にも無いことを言ってしまった。バルトは優秀で、優しい男だ。謝罪する」
プライドの高い侯爵が、頭を深く下げた。
「赦します」
私は静かに答えた。
「挨拶が終わりましたね。お話があるのでしょう。応接室へどうぞ。こちらです」
クロエがしてやったりの顔で私の腕を取り、応接室まで案内してくれた。
「応接室! 何十回も尋ねたのに俺は通してもらっていないぞ!」
王国一の大商会会長ブンザエモンが、文句の声を上げた。
「ふん。商人如きを通す訳はないだろう。付き添いだから入れてやる」
侯爵は、不機嫌に言った。
「お茶をどうぞ!」
クロエと呼ばれた侍女が、お茶と私の持参した茶菓子を私たちに出してくれる。
グランディール侯爵が、座るや否や目の前の品について聞いてきた。
「これは、なんだ?」
「リリカ様の手土産ですよ。侯爵様には、これを頂きました」
それも、私の持参した酒だ。彼はグラスに注ぐと、ぐいっと一気に飲んだ。
「ふん。良い酒だな」
当たり前だ。ブンザエモンに言って準備させた高級品の中から、考えて悩んで選んだのだ。
「それで、望みはなんだ? 話だけ聞いてやる」
グランディール侯爵が、私を見て言った。
「お願いがあります。グランディール家が所有している魔剣をお譲り下さい」
「何に使う? 安くは無いぞ! お前みたいな平民落ちの小娘に準備できる金額ではすまないぞ!」
「それならば、ノクスフォード家の屋敷以外の全てを売る覚悟はあります。それでも足りないのであれば、王国一の金持ちに借ります」
私がブンザエモンを見ると、彼は微笑んで首を縦に振った。私を手に入れて搾り取れると計算しているのだろう。
「リリカ、それは駄目だ。認めない!」
ドノバンが言った。だけど、私は彼の命には変えられない。
「ふん。覚悟はわかった。幾らにしようかな」
悩んでいるふりを侯爵はしているが、きっと彼は売らない。
「もし、よろしければ、その魔剣を見せてくれませんか?」
「まあ、良いだろう。待っていろ!」
彼は本当は自慢をしたくて仕方がない。そして、家の名誉として売れない物なのだ。
「これだ」
だが、その剣はよく言えば、アンティークな美術品のようでもあるが、海の底からは引き上げられた捨てられた剣と言っても疑われないだろう。
「抜いても良いですか?」
私の力では、鞘から抜けない。ドノバンに変わってもらい、彼が強引に引き抜いた。
二束三文の練習剣。見た目はそうだ。
「なんじゃこれは……」
ブンザエモンが、呆れた声を出した。
剣の刀身部分は、まったく手入れされておらず錆びつき、柄巻きの革は汚れている。
「失礼な奴だ! 我が家の先祖にして、高名なセオ騎士団長のご使用されていた剣だぞ!」
グランディール侯爵が吠えた。
「だが使えるように、手入れされていない……」
ドノバンは剣を手にとり構える。
私は、黙って魔剣に、魔術を込める。ただの光るだけの光魔術だ。死んでいたように見えた剣が、息を吹き返したかのように、僅かに光る。
「おおお、光っとる……」
当たり前だ。侯爵は何も知らないのか……。
「もしかして、侯爵は剣術をされないのですか?」
「……ああ、子供の時に片足を怪我して辞めた」
「それは失礼致しました。ですが、これでは剣が可哀想です。磨いてもよろしいでしょうか?」
セバスチャンとドノバンが有無を言わさず作業を始めた。
汚れを落とし、柄巻きの革を真新しいものに取り換え、剣を磨き始める。
興味深げに、子供のようにその様子を眺める侯爵とクロエ。
「時間がかかりますから、座って見ましょう!」
私は彼をソファに座らせた。聞きたいことがあったのだ。
「ああ……」
「もし良かったら、足のお怪我についてお聞きしたいのですが?」
「ふん、お前もか。下世話な奴だ。子供の時に、親とエベレスの山に登った。無謀なことをした。そこで、親は死に、俺は滑落して片足が粉々だ」
私は、彼の怪我の症状と原因を知りたかったのだ。薬を選ぶために。
呪いでも、毒でも無いなら、これで大丈夫だろう。
携帯の薬袋から、クロエにポーションを渡して、耳元で囁いた。
「本当ですか? そんな高価なものを」
彼女は驚きの声を上げた。
私が彼女に渡したポーションは、最高級のリカバリーポーション。ブンザエモンも手に入れたい垂涎の一品だ。
「侯爵、お着替えをしましょう」
「ん? 必要ないが……」
「いえ、この後、剣技場に行きますから」
私が、目で合図すると、クロエが侯爵を連れ出す。着替えの途中で、クロエは、ポーションを塗っている筈だ。
やがて、奥の侯爵の部屋から、ドタドタと足音が聞こえる。こちらに走ってきたのは、あの足の悪い男。
「おい! 歩けるぞ! 何をしてくれたんだ?」
私は立ち上がり、その姿を見つめた。ブンザエモンは、目を見開いて驚いていた。
「さすがリリカ様の作ったポーションだ。まさに、ノクスフォード家の誇れる当主だ」
ドノバンは、侯爵の歓喜を横目に、軽く皮肉を含ませて言った。セバスチャンも黙って頷いていた。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




