侯爵という名の怪物
「湯冷めしないうちに帰りましょう」
屋敷に戻り、自分の寝室に入った。その日の夜はゆっくりと眠ることが出来た。
幾つかの夢を見たと思う。それは、私の中のリリカの子供の時の記憶だったはず。
「あ、幽霊なんて出なかったね」
「当たり前です。この屋敷で出たことなんてありませんよ!」
エマはそう答えたが、昨日の夜、私の部屋に枕を持って訪れたのは半分怖がっていたからだとも思う。
だが、不思議なことがあった。何者かに守られている気配があったのだ。もちろん、ドノバンたちじゃない。
ネイサンとトモオは、ペリーを連れて教会での用事に向かい、私たちは、セリオのいる侯城を訪ねた。
「どうせ、面会を断られるんだろうけどね」
屋敷は、取り戻す算段が進んでいる。仕事の早い公平なパール裁判官が数日で肩をつけてくれているだろう。だから、今日は交渉というより、情報収集だ。
なぜ、セリオは、帝国の商会に私の屋敷を貸したのか?
「セリオも、帝国に懐柔された王国貴族ではないのか? ジュリアンに命じて、聖蛇騎士団の防具を盗んだんじゃないのか?」
だがそれは、今のところただの妄想だ。どこにも証拠が無い。
侯城に近づくと、物々しさが増す。
「リリカ様、先ほどより非常事態が宣言されました。ですので、侯爵様とお会いすることは……」
守衛が、申し訳なさそうに告げた。
「おお、リリカさんか。久しぶりだな。前は病気で会えずじまいだったな」
そこに、侯爵が現れた。まるで私たちの来訪を予測していたように。
「この地に、我が屋敷の様子を見にきましたの」
私は告げると、セリオ侯爵は頭を下げた。
「いや、すまないな。色々話さないといけない事があるね。どうぞどうぞ!」
少しも罪悪感の感じられない謝罪をしながら、彼は城の中を進んだ。
彼の言い訳は、信じがたいものだった。
帝国の商会を名乗る、帝国のスパイを一網打尽にする。その為に、やむなく私の屋敷を使ったと。
「何故、私の屋敷を?」
「それはさっきも詫びたが、広くて使っていない場所だったのでね。他に適した場所が無かった。本当はもっと泳がせるつもりだったんだがな……」
「でも、勝手に売りに出した?」
「それは、囮だよ。売るつもりは毛頭ない、リリカさんのものなのは、裁判所如きに言われんでも知っている。貴族を相手に偉そうな裁判官で困る」
まるで、私が余計なことをしたような口ぶりだ。
「私たちが捕まえたスパイはどうなりましたか?」
「勿論、極刑に処したよ。その窓から見えるよ。全員、縛り首にしてある。これで気は澄んだかね? それと、逮捕をするのは市民の仕事ではないが……今回は多めに見てやろう」
私たちは立ち上がって、窓から外を見た。絞首刑されて、板にぶら下がる死体が並んでいる。全員だ。私たちは顔面蒼白になった。その様子を見てセリオは愉悦を浮かべていた。
「はぁ、裁判は?」
「今は、非常事態だから。そんなものは必要ない。私は、この地を預かる王国の盾の侯爵だからな。奴らは全員帝国のスパイだろ? それに王国への侵攻の意図は明白だ。まあ、すでに他からも情報を得ているがな」
「確かに、スパイだが末端の奴らだ。そこまでする必要は……」
「リリカさんは子供だから優しいのかな。だが、あなたの父上を殺したのも帝国人だ。一般市民だが惜しい人を亡くした。私が侯爵である以上、そんな悲劇は起こさせない。辛い立場だが、これこそが王国の盾の仕事だ!」
こいつ、帝国との繋がりを消しやがった。死人に口無しという訳か。私の父が甘いばかりに帝国がのさばり殺された、自業自得と言いたいのか?
私は、セバスが噴火しないか気になったが、彼は冷静だった。むしろ怖い。
話題を変えて揺さぶることにした。
「ジュリアンはどうするんですか? 聖女様の遠征メンバーからも外されたそうですが……」
反撃開始だ。セリオの顔が真っ赤になり噴火するかと思ったが、そうでもない。
「まあ怪我をしていたんでね。だがむしろ良かったですな。魔物倒して遊んでるのは若いうちだけですからな」
怪我、いやどこも悪そうに見えなかったぞ。頭以外。
「聖蛇騎士団も解散したと聞きましたよ。副団長でも無くなりましたね」
私は追撃する。お前の自慢の息子の失業の話だ。
「お詳しいですな。平民のくせに。ご心配無用ですよ。貴族には仕事は入りませんのでね。まだ学生ですし。だが、引く手数多で、第二王子の騎士団に誘われておりまして……いかんいかん。口が軽すぎましたな」
まるで、何回も、何十回も聞かれた質問に用意していた答えを返しているようだ。
「失礼します。侯爵殿、出立のお時間です!」
部屋に、伝言を伝えに執事長が入ってきた。
「おお、悪いな。時間だ。これから、元ノクスフォード領の見回りをするつもりでな。帝国と繋がる貴族や市民を摘発しないといけないからな」
「そんなことを? 越権行為では?」
「ははは、子供に貴族の仕事を説明してもわからんだろうな。まあ、これはクルミ侯爵の依頼でしていることだ。人を罰するというのは辛いものだよ」
セリオは、散歩に行くような気軽さで、席を立って歩いて行った。
「志の無いものに権力を与えるとは、馬鹿に与えるよりも厄介だ。悪用することしか考えない」
敵は権力を使いこなしている怪物だと私はやっと悟った。
お読み頂きありがとうございます。ご評価をいただけると幸いです。励みになります。




