ノクスフォード家奪還戦
侯都シュベルトは、静かだった。
まるで嵐の前の静けさのように、街の空気が張りつめている。
「自宅の前を通ります」
御者席のセバスチャンが低く告げた。
セリオ侯爵の兵の姿はない。だが、屋敷の窓にはかすかな人影。
誰かが、我が家を勝手に使っている。胸の奥が、静かに軋んだ。
「トモオ、お願い」
「え? 俺? 一人で?」
「捕まったら、ネイサン司祭が助けに行くわ」
「俺!? や、やめてくださいよぉ!」
トモオの顔がみるみる青ざめる。
ノクスフォード家の関係者が騒ぎを起こすわけにはいかない。だから、囮は必要だ。
「大丈夫よ。君なら、逃げ足だけは貴族級だから」
「フォローになってないよ!」
「わかったら行って!」
トモオは渋々うなずき、軽やかに門を飛び越えた。
見た目だけなら優等生。中身は、まあ……問題外だ。
私たちは屋敷裏に馬車を停め、息を潜めて帰還を待った。
冷えた空気の中、街は息をするように静かだった。
「戻ったぞー!」
元気な声に一瞬ほっとしたのも束の間。
「屋敷の中に旅人っぽい奴が、かなりいたよ!」
「……無銭宿泊施設になってるの?」
「いや、それは違う。入口に警備兵が立ってた」
「見つからなかったわよね?」
「へへへ、もちろん、見つかったよ。間違えて入ったって言ったんだけど」
……こいつ馬鹿なの。
言い終わる前に、屋敷から複数の足音が迫ってくる。
トモオの後を追って、警備兵らしき男たちがこちらへ殺到していた。
「仕方ない、迎え撃つか!」
私が指示を出すより早く、セバスチャンが御者席から飛び降りる。
マントが翻り、空気が震えた。次の瞬間、三人の男が音もなく地面に崩れ落ちる。
その動きには、一分の無駄もなかった。
「ネイサン、逃げないように縛り上げて。みんな行くわよ!」
「ええー……怖いですよぉ」
「エマは逃げる奴を足止めしてくれたらいいから!」
私は駆け出す。エマは泣き言を零しながらも必死について来る。トモオは首根っこをセバスチャンに掴まれて引きずられていた。
——もうこうなったら、屋敷にいる奴らを全員排除するしかない。
我が家の門は、無造作に開かれていた。かつて完璧だった庭は荒れ放題で、母と一緒に手入れした思い出のサクナの花壇は踏み荒らされている。
幼い日の記憶が詰まった場所が壊されているのを見た瞬間、胸の奥から熱いものが湧き上がった。
「私の魔術だと、屋敷が傷んでしまうなぁ……どうしよう?」
「呼び出しましょう!」
セバスチャンが背伸びをして気合を入れる。
「それ、良いわね。賛成よ。トモオ、幻影魔術を使って。セバスを倒したいと思うように、それとなく」
「そんなの難しいよ!」
「じゃあ、トモオに向かってでも良いわよ?」
「やめて!? が、頑張ります! でも相手が俺を見ないと幻影は出ないんだってば!」
幻影魔術——見る者の認識を惑わせる視覚干渉の術。トモオの唯一の得意技だ。私は前庭に岩の防壁を展開し、指先で風の流れを探る。風は冷たく、砂塵を一粒一粒踊らせていた。
「じゃあ、トモオ、セバスよろしく!」
セバスチャンが胸を張って叫ぶ。
「ここはノクスフォード家の屋敷だ! 勝手に上がる奴は全員——殺す! 出てきたら、許してやる!」
私の風魔術でその声を増幅し、屋敷中に響かせた。
(……許すつもりは、毛頭ないけど)
しばしの沈黙のあと、屋敷の扉が軋みを立てて開く。数十人の男たちが姿を現した。服装はまちまちだが、全員が武器を構えている。前に立つ男が威圧的に叫ぶ。
「おいおい、誰か知らんが騒ぐな! セリオ侯爵の赦しは得ている。下手な真似をすれば突き出すぞ!」
ふむ、ボス格ね。全員まとめて倒す方が早いが、セバスチャンの目が「俺にやらせてください」と訴えている。仕方ない。私はこう見えて部下思いなのだ。
風がざわりと庭を撫で、砂塵が少し舞い上がる。トモオの幻影が揺らめき、セバスが剣を抜いた。セバスチャンの口元に、久しぶりの笑みが浮かぶ。
——戦いの幕が上がった。
「たいした人数じゃない、やっちまえ!」
集団が近づいてくる。ちらりとトモオを見ると、幻影に惑わされたか、男たちはノクスフォード家の誇りをぶつけに来るセバスチャンへ真っ直ぐ突進した。
「やるじゃん、トモオ」
私の仕事は交通整理だ。
「並んで、並んで!」
土のガードレールで道を仕切り、風で逸れる者を押し戻す。視界の端で倒れる影が山のように積み上がっていくのを見ながら、私は淡々と風を操った。
「面白え、倒された奴が積み上がることあるんだ!」
「旗でも立てたいくらいね」
「すいませーん。リリカ様逃亡者が多いです」
セバスチャンは次々と相手を倒していく。
「すいませーん。リリカ様逃亡者が多いです。手伝って!」
トモオは左へ、エマと一緒に回り込み、私は右側を一周するように屋敷を巡った。途中、かつて裏庭にあったものが目に入る。
「子どもの時に乗ってたブランコ、まだあるかな? 確か、裏庭に……」
胸の中でリリカがひそかに囁く。戦いの熱が少し冷めた瞬間に、幼い日の軋む板の感触が懐かしくてたまらなくなったのだ。
「あった!」
大きな枝からぶら下がる、古い椅子とロープ。私はそれを下ろし、何故か無心に揺れ始めた。風が頬を掠め、木の葉が小さな歌を歌う。戦いの直後に訪れた、刹那の平穏。
「押しましょうか!」
戦いを終え、すっきりした顔のセバスチャンが手を差し出す。
「ええ」
彼には子供のころから、こうして押してもらっていた。目の前の時間が、少しだけ昔に戻る。
やがてエマとトモオが喋りながら歩いてきて言った。
「全員、縛り上げましたが、まだ屋敷に居る音がします」
「じゃあ、捕まえに行こう!」
私たちは立ち上がり、再び屋敷の影へと歩を進めた。守るべきものを守り抜くために。
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