魔法練習キャンプ開幕、孤島にて
「大丈夫ですかぁ?」
どんどん、と扉を叩く音。エマの心配そうな声が響く。
「あーん、エマぁ……」
私は情けない声で助けを求めた。
扉が開いた瞬間、エマの目がぱちぱちと瞬き、そして眉がぴくりと引きつる。
「……何やってるんですかぁ。風邪ひきますよ、早く着替えてください!」
あきれた様子で靴下を脱ぐと、ため息をつきながらも、彼女はすぐにタオルと着替えを手際よく持ってきてくれる。
「いやぁ、暴発しちゃった」
私が苦笑交じりに言うと、エマの口元がぴくぴくと痙攣する。
「暴発って何ですかぁ。魔法の失敗じゃないんですかぁ?」
「失礼ね。サイレントキャストも完璧にこなす私が――」
……言い返そうとして、言葉に詰まった。それは、秘密のままにしておきたい。
結論だけ言えば、全然、コントロールできていなかった。
本に載っているどの計算式にも当てはまらない、未知の現象が起きている。
たとえるなら――。
ダムの水を、家庭用の蛇口に直結させてしまったようなものだ。
熟練度や適性という水道管も、ポンプも通らず、魔力がただ暴力的に吹き出している。
私は、水に濡れたページをめくりながら、魔法初級の教本に目を通す。
暴発についての記述なんて、今まで一度も気にしたことがなかった。
ゲームの中では、こんなこと、起きたことなかったのに――。
『例外的に、最大出力魔力が非常に多く、熟練度・適正値が極端に低い場合、暴発現象が起こる。この場合、出力を抑えるか、熟練度を上げることで回避が可能』
……もしかして。
リリカは最初から、出力を抑えて魔法を使っていたのかもしれない。
そんな発想、今まで一度もしたことがなかった。
「これは、練習あるのみだな」
何せ、魔力量だけは――底なしだ。
弾切れの心配だけは、しなくてよさそう。
リリカは……どうして魔法をやめたのだろう。
怖くなった? それとも、誰かを――傷つけた?
私の中に、まだ知らない、触れてはいけない過去があるのかもしれない。
私はそっと教本を閉じ、水浸しの部屋をぼんやりと見回した。
※
翌朝、出立の刻――。
「セバスチャン、お願いがあるの!」
私は、胸の内で温めていた計画を、ついに実行に移した。
「どうなさいましたか?」
いつも冷静なセバスが、一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに真剣な表情に変わる。
「私、魔法の練習をしたいの。でも、人や建物がある場所だと、迷惑になってしまうから……」
「……本気でおっしゃっているのですか?」
執事であり、御者であり、料理人であり、庭師でもある万能執事が、珍しく声を詰まらせた。
普段は即断即決の彼が、静かに思案し――ひと呼吸おいて、言った。
「……そうですか。失礼ながら、リリカ様のご決断に、私、セバス、深く感服いたしました。王都への帰着は少し遅れますが、それでも構いませんか?」
「ええ。ある程度、目処が立つまでは戻れないと思うの」
「承知いたしました。それでは、少々お時間を。すぐに手配いたします」
セバスは深く一礼し、すぐさま軽やかな足取りで準備に向かう。
リリカの周りの人は――本当に、みんな優しい。
嬉しくて、でも、少しだけ、胸が締めつけられた。
※
魔法練習キャンプ――その幕が、今、静かに上がる。
セバスが用意してくれたのは、私の理想そのままの場所だった。
魔物が出ると噂される山奥の、ひっそりとした湖。人家は一つもなく、誰にも迷惑をかけない。そして、私たちがいるのは――湖の真ん中に浮かぶ孤島!
どっちに魔法が飛んでも問題ナシ!
「ごめんね、エマ。王都に帰るの、ちょっと遅くなるかも」
「構いませんよ。でもリリカ様、ずっと魔法を撃ちっぱなしですが……お疲れではありませんか?」
私の魔法が飛んでこないように、大きな盾を構えたエマとセバスの声が、やや後方から届く。
「だいじょーぶよ!」
四属性魔法の中で、最も安全な水魔法からスタート。魔力出力を抑える練習だ。
……まあ、暴発するわ、変な方向に飛ぶわ、自分の魔法で吹き飛ばされて湖にドボンだわで、散々だったけど。
でも、夏で良かった。私、水泳は得意なんだ。ふふっ。
「いっそ、水着でやりませんかぁ?」
「はぁ……そんな陽キャなノリ、しません」
キャンプ一日目。成果は――ゼロ。惨敗。
さすがに半日も撃ちっぱなしだと、いくら私でも魔力が切れた。
「じゃあ、遊びましょう!」
「違います。エマの勉強よ!」
エマは復学を目指している。でも、今のままだと授業に全然追いつけないって嘆いてたから、午後はちょっとだけ勉強タイム。エマ、長時間は無理そうだしね。
「リリカ様って、頭良かったんですね……」
「ええ、今までは隠してたのよ」
うん、このキャラでいこう。
夜は、セバス特製のBBQ。想像以上においしくて、驚いた。
満天の星空の下、私はぐっすり眠った――はず、だった。
「リリカ様、朝ですよ!」
……え? 朝?
起きた私は、思わず目を疑った。
テントの周囲の地面が……真っ赤だった。
「え、なにこの血……」
「申し訳ありません。死骸はすべて湖に捨てましたが……少し、残ってしまいまして」
セバス……あなた、いったい何と戦ってたの?
人気がないって、そういう理由だったのね。
どんな魔物だったのか、見たかったなぁ。てか、私って剣とか使えるのかな? 今度確認しよっと。
でも――この場所、やっぱりヤバい!
一刻も早く、成果を出して撤収したい!
二日目、私はこれまでになく真剣に取り組んだ。
そして――
「できたぁ……!」
ついに、水鉄砲の完成だ。
「なんですか、それは……」
エマが吹き出している。ちょっとムカつく。
でも、魔力を抑えて撃つと、適性のない水属性は、こうなるのだ。
それでも――いい。
これが、大事なのよ!
「わかってないなぁ。これから少しずつ上げていけばいいの。どこでも熟練度を上げられるのが、強いってこと!」
私は満足げに後ろを振り返る。
……と、そのとき。
二人の顔が――真っ青になった。
「ぎゃあああああっ!!」
エマの悲鳴が、静寂を切り裂く。
私は反射的に振り返った。
そこには――魔物の死骸を咥えた、巨大な魔物が、ヌッと姿を現していた。
体毛は濡れて腐臭を放ち、瞳は血に濁って光を帯びている。
「リリカ様、お下がりください!」
セバスが焦った声で叫び、盾と剣を抜いて走り出す。
すごい……これ、ゲームで見たこともないやつ……!
私の中で、何かが熱く――沸騰する。
「やったぁ! キャンプの打ち上げにぴったりの――実戦じゃ!」
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