旅路と奨学生試験
「リリカ様、何を言ってるんですか? 今日は八月五日ですよ! 夏休みだからって……」
エマが呆れたように言う。
「……夏休み?」
「いえ……すみません。リリカ様は退学なさるのでしたよね……」
「退学?」 しまった、つい反応してしまった。
「え? もしかして、退学しないんですかぁ? 平民クラスになるなんて絶対いやって、あれほど……」
エマは驚きつつも、どこか嬉しそうだった。
「別に、平民クラスでも問題ないでしょ」
同じ学校に通えるなら、いつメンにも会える。むしろワクワクするぐらいだ。
「それに、エマと同じクラスになれるわ!」
「そ、それは……」
「迷惑はかけないようにするから!」
「失礼ですが、二人も通わせる余裕が我が家には……」執事のセバスが苦い顔で口を挟んだ。
「うーん……あ、いい手を思いついたわ。奨学金をもらいましょう!」
一瞬、部屋が静まり返った。
たしかに、リリカもエマも、学業成績は壊滅的だった。……でも、今の私は違う。ゲームで鍛えた知識と根性がある。
「私が奨学生の試験を受けるわ。受かればいいんでしょ?」
「ですが……もう、宰相のご意向は通じませんよ」
ナイルが暗い顔で言った。
「大丈夫。楽しみだね」自信満々の私の言葉に、誰も何も言い返せなかった。
※
私の馬車には、御者のセバスと、隣に座るエマだけ。うーん、どんな会話をすればいいんだろう……。
荷物は予想通りほとんどなく、戸締まりもすぐに済んで、馬車は出発した。
「リリカ様の受け入れ準備もありますので、先に行きます」
ナイルたちは一足先に王都へ向かっていた。
……寝よう。だいたい私、今は寝てる時間だし。
そう思って目を閉じようとしたその瞬間。
「リリカ様ぁ、起きてますか? この前のお洋服、あれ結構似合ってましたよねぇ? あと、その……」
エマが、遠慮なく話しかけてくる。
困った。眠れない。作戦変更。――イケる、気がする。
「ねえ、エマ。大切な話があるの」
「どうしたんですかぁ?」
泣きそうな顔。不安げな声。
「昨日、馬小屋で……馬に蹴られちゃって。それからちょっと、記憶が曖昧になってるの」
「えええっ!? お怪我はなかったんですか? 昨日、着替えた時には……えっと、怪我は見当たりませんでしたけどぉ……」
「運よく、干し草の上に落ちたからね。ちょっと頭を打っただけ」
「まったくもう……心配して損しましたよぉ……。本当は、王都に帰りたくないとか、ご主人様に会いたくないとか、学校行きたくないとか、我慢されてるんじゃないかと……」
エマの目に涙が浮かぶ。
――ごめん。そんなつもりじゃなかった。
「バカねぇ。私はもう立ち直ったのよ。心配しないで」そう言って、私は彼女をそっと抱きしめた。
※
約一週間の王都への旅が始まった。
その夜は、街道沿いの宿場町に泊まった。特筆すべきものはなく、平凡な場所。
「エマ、私は一人部屋にしてくれるかしら」
「ええ〜、つまらないです〜」
「試験勉強しないといけないの。ごめんね。それに、あなたもやることあるでしょ?」
私は、エマの教科書一式を借りて(リリカは燃やしたらしい)部屋にこもることにした。
そういえば、エマはずっと馬車で編み物をしていた。ナイルからの給金で買った、色とりどりの毛糸を使って。
「それって、誰にあげるの?」
問いかけた瞬間、エマの顔がぽっ、と赤くなった。
「――……知らないです」
俯いたその姿が、あまりにも可愛い。
誰なんだろう。ゲームの記憶を探ってみても、思い当たらない。
でも――知らない展開って、最高じゃない?
思わず、口元が緩んでしまった。
「リリカ様の意地悪。もう知りません」
ぷいっと顔を背け、窓の外を見つめるエマ。たぶん、本当に恥ずかしいんだろう。
ごめんね。からかったつもりじゃなかったんだけど……。
でも、今はそれよりも大事なことがある。
――そう、試験対策だ。
※
一人部屋にこもって、私は教科書を開いた。
「問題ないな。全部、知ってる」
ゲームをやり込んできた私にとって、これは復習に近い。
テストのシーンも何度もこなした。ルート分岐の関係で、いつも高得点を取っていたし、天才扱いされるのも当然だった。
「……待てよ」
一冊の本に目が止まる。
――『魔法教本・初級』
この世界では、魔法はキャラクターの核。そして、試験には当然、実技もある。
私は少し顔をしかめた。
「やばい、舞い上がって魔法のこと完全に忘れてた……」
慌てて本を開く。ページを繰る。
《魔力=個人最大出力 × 熟練度 × 適性 ×(魔道具)》――とある。
「……そうだった」
私は目を閉じ、自分の中の魔力量を探ってみる。
その瞬間。
「えっ……えぇぇぇぇっ!?」
桁違いの魔力量。もはや異常というか、測定不能レベル。
「なにこれ……リリカって、こんなにあったの? 好きなだけ魔法撃てそう……」
もしかして、他の属性適性が壊滅的だから? それとも、闇魔法の性質?
とにかく、やってみるしかない。
「とりあえず……水魔法から。基礎中の基礎だし」
私はコップに向かって、そっと手をかざした。
《ウォーター》――音もなく発動するサイレントキャスト。
バシャアアアアアッッ!!!
コップは弾け飛び、天井まで水柱が跳ね上がった。次の瞬間、雨のように水しぶきが降り注ぎ、室内が一気に水浸しに。
机も書物も、ベッドも、私自身も――全部ずぶ濡れだ。
「ぎゃああああ!? なにこの出力ッ!?」
私はへなへなとその場に崩れ落ち、濡れた髪を顔から払いながら、天井を呆然と見上げた。
……試験、楽しみだわ。
そう、確かに言ったけれど――
これは、ちょっと、想定外だったかもしれない。
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