風の吹き抜ける場所
私たちは港町を散策し、庶民的だが活気に満ちた食堂に入った。
潮の香りと焼き魚の匂いが混じり合い、腹の底から食欲を刺激する。
「海産物は何でも美味しいわよ!」
「今日は、クルミの奢りだな!」
「もちろん。でもチョコ、美味しかったでしょ?」
――この野郎。お前も私を嵌めたのか?
私の顔を見て察したのか、クルミが慌てて言い訳する。
「円卓会議に出るつもりはなかったの。本当に。私にその資格は無いと思っていたから」
彼女はナッシュ子爵の手の者に攫われたらしい。
「あなたなら、簡単に倒せたでしょう?」
「簡単じゃないわ。でも、帝国の奴らが狙ってくる囮にはなれるって……そう言われたの」
ほっぺをぷくりと膨らませるクルミ。その仕草が妙に幼く見えて、可愛くて、胸がちくりと痛んだ。
「でも奴らが狙ったのはクルミじゃなくて、ミオさんだった」
「円卓会議のおばさまの狙いは、最初から私を侯爵に据えること。そして奴らを一掃することだった」
私はそこで、ミオの言葉を思い出し、セバスとドノバンに確かめる。
「ねえ、私が閉じ込めた帝国の襲撃犯、どうなった?」
「ああ、全員死んでたぞ。水分ひとつ残らず干からびてな。リリカ様の魔術、怖いな?」
「私じゃない。でも……この件はもうおしまい」
ドノバンは何かを聞きたげな顔をしたが、結局口を閉ざした。きっと私は答えられないのだろう。魔女の仕業を。
「帝国の誰が仕掛けたのか。手がかりは消えてしまったわね」
「大丈夫よ、リリカ。また襲ってくるわよ。そのうちに」
「そうだな。奴ら口だけはやけに硬いからな」
そんな会話をしながら、私たちは満腹になった。エマは、会話にも加わらずに、ひたすら食べている。何しに来たんだ!
セーヴァスといえば海。海といえば魚釣り。私の最近のマイブームを、みんなにも教えてあげたくなった。
ちょうど、ベースさんも港にいるはず――そう思って店を出ると、西方聖教会のルミナ大司祭が待っていた。
「美しい人だな……」
見惚れている馬鹿ドノバンの頬に、私は即座に拳を叩き込む。
こいつも何しにここまで来たんだ。
「デートの最中に申し訳ありません。リリカ様に、ぜひ教会をご案内したくて」
「わかってるなら後日にして、ルミナ」
「申し訳ありません、クルミ様。ですが、リリカ様が王都に帰られる前にぜひ、西方聖教会の聖地に来ていただきたいのです」
「あ、そういえばノクスフォード家は改宗していたんだったな」
彼女はネイサン司祭の上司にして、西方聖教会の頂点に立つ人物だった。
「そうなの? じゃあ行こうか。綺麗な場所らしいし」
クルミも当然のようについてくるつもりだ。
「あら? クルミ様、あんなに嫌がっていたのに」
セーヴァスに着いて、幽閉されていた場所らしい。
「うるさいわね。先に行きなさい!」
神話の中――つまりゲームの世界の中では、暗黒の魔女が棲む場所のはずなのに。
「あの魔女様は、聖職者になりすますのでは……」
「マリスフィアの秘密をよく知ってるわね。でもわかるでしょ? ミオに務まると思う?」
「思わない」だって彼女は私と同じく超がつく気分屋だ。裏も表も。
「お父様も手を焼いていたわ。でも愛してた。……着いたわ」
セーヴァスを見下ろす丘の上。
風が吹き抜ける場所。白い塔と美しいステンドグラスが輝いている。
異国情緒を帯びた、どこか異様な教会。
「綺麗ね……」思わず息を呑んだ。
「後でゆっくり見ましょう。まずは塔に登るわよ!」
クルミが私の手を引き、階段を登り始める。やがて私の遅さに呆れ、軽々と抱き上げて登っていった。その腕の中で感じる体温に、胸がどきりと高鳴る。
「クルミ様、リリカ様。礼拝は?」
「やってて。後から行くから」
塔の頂上――王国西方で最も高い展望台。
そこからは、海と森がはるか遠くまで広がっていた。
風が頬を撫でるたび、心の奥に張りつめていたものが少しずつほぐれていく。
「私ね、復讐を終えたら、この世界を旅するつもりだったの。……でも、十年先になってしまった」
クルミが遠い海を見下ろしながら呟いた。
その横顔は涼やかで、けれどどこか寂しげで、私は胸の奥が締め付けられる。
「ごめんね」なぜか、口から自然に出てしまった。
私が遅らせてしまった気がして。私が彼女の時間を奪ってしまったような気がして。
「なぜ謝るの。違うのよ」
クルミは小さく笑って、風に揺れる私の髪をそっと指で払った。その仕草が優しすぎて、目が熱くなる。
「一緒に回らない? 十年の間に、あなたは結婚して子供を作って、ノクスフォード家を再興するの」
「それじゃあ、相手を探さないと」
「いるじゃない。ちょうどいい奴が。育児も家督も押し付けて、二人で旅に出ましょう!」
茶化すように言いながらも、その目は真剣だった。
強がりと冗談の裏に隠された本当の願いが、ひしひしと伝わってくる。
私は答えなかった。ただ、黙ってクルミの手を強く握り返した。
それは、夏の終わりの出来事だった。
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