ミオの涙、澪の決意
拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、フォロー、ご評価をいただけると幸いです。
トンネルを抜ける。私は思わず身構えたが、封鎖していた柵は濁流に吹き飛ばされていて、道は開けていた。
「周りに人の気配はありません!」
敵は不利を悟って退いたようだ。アルフレッドの報告に、緊張で蒼ざめていたミオの顔にようやく血色が戻る。
「どうしますか?」
彼が問うと、ミオは小さく頷いた。
「当初の作戦通りに進みましょう」
馬車は、クルミが隠れて暮らす修道院へ向かう。ミオも初めて訪れるらしく、物珍しげに周囲を眺めていた。
「これ、あの子が造ったの? まったく、物好きね」
彼女は呆れたように笑ったが、アルフレッドは沈黙を守った。
「あなた達は、あの子を好き勝手にさせすぎよ。それに聖女でもないのだから、マリスフィアのために嫁ぐべきなのに……」
「ですが、侯爵様は“好きにしていい”と仰ったと聞いています」
思わず私が口を挟んでしまう。
「そうね。兄さんは、あの子を愛していたわ。私よりも。……でも死んでしまった。だから、あの子を守るには他の国に行くしかないのよ」
「もしかして、クルミを守ろうとしているんですか?」
「最初からそう言っているじゃない。でもね――貴女まで危険に巻き込んでしまったのは悪かったわ。本当は、できるだけ無関係でいてほしかったのに」
相変わらず、わかりにくい人だ。
「ミオ様は侯爵の妹君です。ご病気もあり、侯爵と二人、王都で暮らしておられました」
アルフレッドが補足すると、ミオは眉をひそめた。
「アルフレッド、おしゃべりが過ぎますよ」
「ですが、ミオ様は引きこもっておいででしたので……会話が難しいのです」
――あー、わかるわかる。いつも自分と会話しているから、相手も物事を理解していると思い込んで話してしまうのよね。それに、頭の中で何度も同じ話を繰り返しているから、相手の反応が予想と違うと困ってしまう。
「ここで別れましょう。あなたの仲間が追って来ているのは知っているわ」
「そうですか……」
クルミの恩も奢りも、さっきの救出でチャラ。私は修道院のキッチンで、保存瓶に入った珈琲豆を見つけた。
「一杯いただいてもいいですか?」
「そんな貧民が飲むもの、勝手にすれば。でも私も喉が渇いたからもらうわ」
アルフレッドが保存瓶を開けると、下に敷いてあった紙がひらりと舞って、私の足元へ。
『リリカへ 下の棚にあるチョコレートもどうぞ!』
棚を開けると、飾り気のない板チョコが一枚。私はそれを半分に割って、ミオの前に置いた。
「そんなもの食べないわよ」
「頭を使う前には糖分が必要ですから」
執事長がコーヒーを淹れてきて、ミオはスカーフを外して口に運ぶ。その顔に思わず目を奪われた。
「見苦しいでしょ。子供の頃に病気にかかってね」
爛れた発疹の痕。これが彼女が人前に出ない理由か。
「いえ、そういう意味で見てたんじゃないんです。こう見えても私、薬師なんですよ」
「そう。でも古い傷が治らないのは、あなたも知っているでしょう?」
「いいえ、私は天才薬師なんで、治せます」
――とは言ったものの、今はその種類の薬は手元にない。あるのは超強力ポーション数本。でも効能が違う。
「そんな話、聞いたことないけど……」
「今度、タダで差し上げますよ」
「……ありがとう。この歳まで生きて、プレゼントをくれたのは兄さんとあの子くらい。だから嬉しいわ。生きて帰ったらもらうわね」
全く信じていない様子。私の凄さを見せてやりたいのに。
出発の準備が整い、私たちは庭に出た。そこにはマリスフィア侯爵の墓。漆黒の夜、崖下の海に月光が漂っている。
そのとき。
一羽の鳥が月明かりを切り裂くように急降下し、私の肩に舞い降りた。
「わぁぁぁ!」周囲が一斉に驚きの声を上げる。
「あら、ティア様……お戻りですか?」私は小声で囁いた。
「何ですか、その鳥は? 使い魔かしら?」ミオが訝しげに聞いてくる。
やめて! そんな誤解されたら困る!
「違います。この方は偉大な……」
「鳥や使い魔が、偉大?」
「……はい」
困った。今にもティア様が話し出すんじゃないかと胸が高鳴る。でも、それを止める権利は私にはない。ティア様のご自由――。けれど、ティア様は静かに沈黙を選ばれた。
「やっぱり変わってるわね。妄想が膨らむタイプなのかしら。天才薬師になったり、飼ってる鳥が偉大だったり」
……伝説のドラゴンを馬鹿にする方がよっぽど変だと思うけど!
「あの子ったら……お墓まで作って……もう……」
ミオがそう呟き、泣いているのがわかった。
だが、この場で死者を尊ぶ時間は無かった。
「それでは行きましょう。急ですのでお気をつけて」
アルフレッドがチラリと私を見ると彼女を促し、崖の階段へ。彼の気持ちはさっき告白されて知っている。
“ミオ”と呼ぶのは不思議な気分だ。だって――澪は、私の本名なのだから。
でもまあ。
「コーヒーとチョコ勝手に食べちゃったし、今度は私がクルミに奢らないと。悪いけど、載せてってくれないかな、ミオさん?」
私は彼女の背中を追って歩き出した。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




