聖女候補 クルミ
「それじゃあ、これ採用証だ。学生のインターンだから、そのつもりでな」
パンダが、資料と睨めっこしている私のところへやってきて、紙を手渡した。
そのつもりって、どのつもりだろう。私は机に置き、再び資料に目を落とした。
すると、いつの間にかクルミが私の肩を軽く叩いた。
「休憩時間ですか?」
私が思わず声をかけると、クルミは微笑んで首を横に振った。
「何を言ってるの、終業時間の鐘が響いたでしょ」
遠くの鐘の音が建物の中まで柔らかく鳴っていた。
クルミの手には、いつの間にか私の採用証が握られていた。
「勝手に見ないで……そうですね。帰ります」
私は文字通り目を丸くし、採用証に書かれた時給を見て愕然とした。
「最低賃金だから。法律違反ではないわ」
彼女の声には少しの笑みが含まれていた。高度な知的労働の対価がこれだと思うと、妙に肩の力が抜ける。ま、いいか。
建物を出ると、ドノバンが現れた。まったく、ストーカーのように現れる人だ。
「あら、ドノバン様。お久しぶりですね」
クルミが、少し嘘くさい笑顔で声をかける。
「もしかして、クルミ様ですか? あまりに美しくてわかりませんでした」
ドノバンの言葉に、私はつい腹パンチをしてしまった。決まった! と内心でガッツポーズ。
だが、彼は微動だにせず、笑顔を崩さなかった。
「お上手ね。それで、この後、みんなで食事でもどうかしら?」
クルミは軽く首を傾け、誘いの意図を確認する。
「いえ、すいません。リリカ様と大事な用事がありまして。今度、こちらからお誘いさせてもらいますね」
クルミは私たちに断られたが、ドノバンから「今度誘う」という言質を引き出したことで、満足そうに小さく笑い、手を振った。
私たちは門前で待っていた馬車に乗り込んだ。彼の手に引かれながら座席に着く。
「ドノバン、ありがとう。よくわかったわね。逃げたいって」
「はぁ、俺を叩いたじゃないですか?」
いや、そういう意味じゃないんだけど。
「それで彼女に」
「一人、見張りをつけました」
御者席から声がした。セバスチャンだ。
「なんだ、セバスが来てくれてたんなら、ドノバン要らなかったな」
馬車は静かに動き出す。外の景色が夜の光に溶け込み、の街灯がぽつぽつと点在している。
私は採用証を手に、まだ冷めやらぬ心の昂ぶりを感じていた。
目の前のドノバンも、微笑みながらその様子を見ている。
「クルミ・マリスフィア……」
私は心の中で名前を反芻する。彼女についてドノバンに尋ねた。
「俺たちが、王立学園に入学した年に、卒業したはずだ」
「でも四大公爵家の連枝の人だよね?」
「ああ、でも確か養女だよ。聖女候補だった」
聖女といえば『ソフィア』のはず。圧倒的な能力を持つゲーム世界の主役。
「え?」
「だから、ソフィア様が現れるまでの聖女。偽物聖女なんて酷い批判を受けた。本人は何もしてないのに酷いもんだ。もう誰も彼女のことを覚えていないようだけどね」
その話を聞き、私の胸に痛みが走った。
馬車は街を抜け、夜の風を受けながら進んだ。
※
「見張りがまかれました」
私が、屋敷でゆっくり食事をとっていると、連絡がもたらされた。
そう簡単に、住まいすら見せないらしい。
「クルミちゃん、やはり、只者じゃないな」
ドノバンも、私の隣で、食事をしている。勝手に上がり込んでやがる。
「クルミちゃん?」
私は、手に持っていたフォークで、手を突き刺してやった。
「リリカ様、間違えてますよ」
ドノバンは、笑った。
「ごめん、よそ見してたから」
私は仕方なく、血の出たドノバンの手に、私の自家製ポーションをつけた。
「ありがとう!」ドノバンは、嬉しそうに微笑み、メイドのエマは、そのやりとりを呆れて見ていた。
※
学校の新年度まで、あまり時間がないのに気がついた。
ドノバンは、賠償の話を上手く進めているらしい。力技だと思うけど。
次の日は、朝から税務局へとバイトに出かけた。しかも、又、誰もきていない早朝に頑張って起きて。
私も、伊勢屋と紀伊國屋の情報を早く手に入れたい。
私は、室内や机の上の資料整理をしながら、探したがかなかなか見つからない。
「何を探してるのかしら?」
背中から、いきなり話しかけてくるのは、クルミだ。
「いえ、整理整頓です。綺麗好きなので」
「そうは見えなかったけど。資料、ここに出てるのが全てじゃないのよ。貴族や大商会の資料は、あそこよ!」
指差した先には、大きな魔道具の金庫が壁に設置されていた。
「何だ、あそこか……」
しまった。思わず言葉に出てしまった。
「ふふふ、面白い人ね、リリカちゃん」
「面白くありません!」
「悪いけど、ゴクセンに行くわよ!」
「こんな早朝からですか?」
彼女は、その問いに答えず、私の背中を押した。
「馬車は、どうしますか? 距離が少しありますよ」
ぜバスは私を降ろして屋敷に戻っているだろう。
「じゃあ、私の馬車を使いましょう」
建物を出て、門までつくと、待ち構えていたかのように、マリスフィアの紋章の入った馬車が、駆け込んできた。
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