最後の受験生
私がステージへと歩み出そうとした、そのとき──
一人の受験生が、私の腕を掴んだ。
「おい、黒い服の女!」
「何なの。私の名前はリリカよ」
「勝手に順番を抜かすなよ。並んでんだろ!」
ぶかぶかの魔術衣。背も低い。一年生ね。
ただ背伸びをしても私の肩に届かないくせに、顎だけはつんと上げて、睨みつけてくる。
険悪な空気が一瞬、漂うが──私はまったく気にしていなかった。
「じゃあ、早くやりなさい。ちびっこ一年生」
せっかく張り切っていたのに、やる気が削がれる。
「……見てるんだよ、動きを。俺の名前はパーシー、四年生だ。覚えておけ!」
観客席から、競技開始を待ちきれない野次が飛びはじめる。
「早くやれ!」
進行係のサリバン先生も、ついに無視できずに声を張った。
「並んで、順番に! 時間になったら計測を開始します!」
──計測音。試験、開始。
持ち時間は一分。魔術師に許されたには、あまりに短い。
標的が、風をまとった凧のように舞い踊る。
浮遊し、翻弄し、逃げ回る。
「終了、次の人!」
受験生たちは、次々と魔術を放つ。だが──
複数の魔弾を撃っても、標的は空間をひらりとすり抜ける。
命中させるには、精密な追跡魔術と、十分な強度の魔術が要る。
しかも、急所は中央の赤い核。そこを貫かねば、撃墜できない。
「くそっ!」
焦燥の声が、あちこちから漏れる。
そして、最後の私の一つ前。ちびっこ受験生の番だ。
一つ、また一つと、標的が落ちていく。
「パーシー、五つ!」
計測終了と結果アナウンスの声に合わせて、パーシーは得意げに叫んだ。
「どうだ、見たか!」
観客から拍手が起きる。呪文詠唱も早く、軌道も鋭い。火魔術の威力も安定している。
──確かに、優秀だ。だが──
私は、ステージへ進んだ。
「本日の魔術計測最後の受験生です。四年生、リリカ・ノクスフォード。元貴族」
それまで誰の名も呼ばれなかったのに。
そのときだけ、会場に、私の名が響いた。
「あの、ノクスフォードの娘か?」
「これは楽しみだな」
私は小さく手を挙げ、観客へ一礼する。
「恥をかかせるつもりなのかな?」
きっと、スミカちゃんが仕込んだんだろう。
──追跡魔術。私は使えない。いや、使う必要がない。
観客が息を詰めて見守るなか、私は左手を静かに掲げた。
──風、抑えろ。
次の瞬間。
耳の奥で小さく「ぴしり」と何かが割れるような感覚が走り、空気の流れが止まった。
舞っていた標的たちが、まるで風に裏切られたかのように、空中での自由を奪われる。
風の渦が、静かにドーム内に発生する。
上下左右から押し込まれる無形の圧力。標的は、逃げられない。
やがて──空中の一点へと、吸い寄せられるように、集まりはじめた。
それは、魔術というよりも──
一瞬の静寂。誰も言葉を発せない。
──秩序の発現だった。
「……なに、あれ?」
「魔術なのか? いや、ただ集まってる……だけ……?」
ざわめきが、沈黙へと変わる。
標的同士がぶつかり合い、砕けかけた──そのとき。
──干渉。魔術の流れが、一瞬、乱れる。
「……誰?」
振り向くと、セディオが杖を掲げ、詠唱中だった。
口元には嘲りの笑み。講師という立場を忘れた横槍。
「……それ、反則では?」
私はサリバン先生へ静かに視線を送る。
即座に彼女は異常に気づき、セディオのもとへ駆け寄る。言い争いが始まるが──どうでもいい。
「大人気ないわね。でも──遅いのよ、セディオ」
私は、すでに土魔術の詠唱を終えていた。
地面が脈動する。魔力が胎動し、地を割る。
──百の槍。
鋭利な土の槍が、次々と大地を突き破り、宙へと舞い上がる。
空に集まった標的を、四方から、六方から包囲する。
観客席が、どよめきでは済まなくなった。
それは、もはや試験ではなかった。
支配された空間。封鎖された戦場。
「さあ、行くよ」
私が、右手を振り下ろす。
その瞬間──
──百の槍が、風の檻に囚われた標的へと、一斉に放たれた。
どかどか! どっかーん!
爆音。衝撃。
だが、風のバリアが全ての破片を正確に制御し、観客席には一欠けらすら届かない。
完全な破壊。そして、完璧な制御。
──誰も傷つけない魔術。それが、私の矜持。
やがて、すべての標的が、音もなく地へと墜ちていった。
沈黙。
そして──爆発するような、歓声。
「な、なんだこりゃ……!」
「えっ……今、何が起きた⁉︎」
「こんな魔術、見たことない!」
「天才だ……天才魔術師、リリカ・ノクスフォードだ!」
観客たちが、我に返ったように、熱狂する。拍手と歓声が、渦のように広がっていく。
「リリカ! リリカ! リリカ!」
先導しているのはガンツたち。セバスは旗を全力で振っている。……妙に荒ぶってる。近頃のセバスは、暴走しやすい。
まるで、ゴール裏のサポーター。太鼓がないのが不思議なくらい。
パーシーは、その場に崩れ落ち、顔面蒼白。
スミカちゃんと元同級生たちは、呆然としたまま動けずにいる。
セディオも悔しそうにこちらを睨んでいる。いや、あなた講師じゃないの。
背中を歓声の熱が押し寄せる中、私はステージを後にしながら──小さく囁いた。
「だから言ったのよ。魔術には、自信があるって」
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




