長距離ランナーの孤独
私は、一瞬で問題を解いてみせた。
サリバン先生はもちろん、スミカちゃんまでもが目を見開き、その場で硬直している。
……まあ、そうなるだろうね。
勉強ではいつも学年トップのスミカちゃんにとって、劣等生の私が正解をいち早く叩き出すなんて、想定外もいいところだ。
「ば、馬鹿な……馬鹿に負けるなんて……」
――意外と毒舌なんだね、スミカちゃん。声、漏れてるよ。
「納得いってないみたいね? 先生、続けましょう。どんな問題でも――どうぞ」
そう挑発すると、スミカは数問の完敗を重ね、ついにその場に座り込んだ。
「……信じらんない……」
「ずっと勉強してたもんね」
前世では、この試験――ゲーム内の模擬問題を一日中解いていた。
他にやることがなかったのだ。廃人まっしぐらの隠遁生活。まあ、今となっては役に立ったけど。
「あら、セバスが迎えに来る時間だわ。サリバン先生、教室に戻りましょう。スミカちゃん、またねー」
絶望の底に沈む彼女に、少しだけ同情しつつ――私は、試験一日目を完璧に終えた。
※
そして、翌日――試験二日目。
「私たちもついて行きますよ」
玄関前で、エマとトモオが待ち構えていた。二人とも気合い十分な顔をしている。まるで今日の主役は自分たちだとでも言いたげに。
二日目の試験会場は運動場。
私は体操服に着替え、エマと一緒に軽く準備運動をしているが――顔色は壊滅的に悪い。
そう、今日の試験科目は基礎体力測定・武術測定・魔力測定の三本立て。
「武術測定は――欠席します」
私は早々に宣言した。剣を振り回すなんて、とんでもない。しかもこの測定は魔術の使用が禁止だ。
……私の唯一の得意分野が、完全封印されるというわけだ。
「ついでに、基礎体力測定も……」
残暑のせいか空気は重く、蒸し暑さが肌にまとわりつく。
汗をかくなんて、もう拷問だ。誰が好き好んで走ったり跳んだりするものか。
「リリカさん、体力測定は全員参加ですよ。ご存じの通り、潜在能力者を探すための試験なんですから!」
サリバン先生が容赦なく告げてきた。
その背後には剣術クラス・魔術クラスの教師陣が勢ぞろいしている。どいつもこいつも、期待に満ちた目でこちらを見ている。
「俺が見つけて育てる!」とでも言いたげに、目がギラついている。……めんどくさい連中だ。
「それでは、受験生は並んでください」
……仕方ない。私は渋々、その列に並んだ。
体力測定。
それは、この異世界における――地獄の一丁目である。
「ああ……指先ひとつで測れた前世の体力テストが恋しい……」
この世界に来てから、二度目のピンチだ。一度目は登山地獄。あの時はセバスに背負ってもらったけど、今回は逃げ場なし。
「化粧が取れてしまうわ。お嬢様は、本気ではやらないものよ!」
「化粧してないじゃないですかぁ。頑張ってください、リリカ様!」
エマが冷たいツッコミを飛ばしてくる。
……でも、彼女の期待に応えるのは――無理だ。
リリカの身体スペックは悪くない。だが問題は、近頃の生活。暴飲暴食と運動不足の積み重ねで、ほんのりぽっちゃり化が進行中だ。
もちろん、前世での運動経験? ないない。ゼロだ。
「リリカ様、頑張って!」
「本気でお願いしますね、リリカさま!」
声援とツッコミが入り混じる中、最初の種目は握力測定。
私は握力計を両手で構える。……よし、全力で――!
ぐぐ……っ。
(……え、メーターが……動かない?)
周囲が微妙などよめきに包まれる。
トモオが遠くから顔を伏せた。やめて、そんな悲しい目で見ないで。
反復横跳び。
途中で足をもつれさせ、グラウンドに転がったのは私だけだった。
「お、お嬢様!」「生きてますかー!」
いや、声をかけるなら助けてよ。
最後は、地獄の上体そらし。
……腹の肉が、邪魔で動かない。
(あっ、これ、地味にメンタル削られるやつ……)
ふと顔を上げれば、広い学園のグラウンドには、何百人もの受験生がいた。
いや、もしかすると千人近いかもしれない。一応、書類審査はあるらしいが――話によれば、ものすごく適当らしい。
「まさか、足切りとか無いよな……」
私の顔が青ざめる。いやいやいや。私の成績は、最低ランクだ。これ、普通に落ちるぞ。
周囲には、握力メーターを壊す猛者や、ジャンプの計測板を軽々と超える少女まで現れはじめる。
「スッゲェ。あいつらバケモンか……」
だが、私は冷静になって考えた。
(薬と材木でお金は何とかなりそうだし、別に特待生じゃなくても……でも、扶養家族が多いし……)
駄目だ。お金、大事だ。この学園、普通に入ろうとすると高額なのだ。
最後は、長距離走。
いつの間にか、観客が膨れ上がっている。王都の民衆の楽しみな恒例行事らしい。観客席には屋台まで出ていた。
「今年のマラソン優勝者は誰だ!」「ノクスフォードの娘を応援だ!」
ガンツたちも応援団としてやってきている。セバスは旗を振っているし、エマは叫んでいる。恥ずかしい。いや、本当に。
(恥ずかしい真似は出来ない)
唇を噛む。
足は重い。心臓は暴れている。空は眩しい。
結果は、ぶっちぎりの最下位。だが、なぜか、そこにいる人が私を応援してくれた。
そして、私がゴールした瞬間、嵐のような、観客席からの拍手が巻き起こった。
――その拍手は、単なる声援ではなかった。
見知らぬ誰かの期待と、切実な願いと、私自身への励ましが混じった、温かくも強い力だった。その瞬間、私はひとりじゃないと確信した。
足の重さや汗や悔しさも、すべてが意味を持つ気がした。
――ここから、私の物語が本当に始まるのだと。
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