沈黙の敬意
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「ふん……リリカか」
鉄面の兜越しに、声だけが冷たく突き刺さる。
「聖蛇騎士団副団長として命じる。その霊柩馬車は、王命に背く不敬の品。直ちに撤収しろ。それと──この行進は暴動と見なす。解散を命じる」
「な、何を言ってるの、ジュリアン……!?」
金属の仮面で隠されてはいるけれど、その声音にははっきりと怒気と、私に向けた侮蔑が混じっていた。
「お前に──いや、平民ごときに、俺の名を呼び捨てにされる謂れはない」
「それは、確かに私の落ち度。でも……あなたの言いたいことは、そこじゃないわよね」
私は肩を張り、一歩前へと踏み出す。
「どこが『国王に対する冒涜』なのか、説明なさい。……あなたこそ、死者に対する冒涜をしてるのよ!」
しまった。思わず語気が強くなった。ほんの数週間前まで、ぺこぺこと頭を下げていたくせに──と
ジュリアンは気位の高い貴族のお坊ちゃんだ。
彼が手を振り上げ、剣の柄に指をかけるのが見えた。ああ、やる気だ。
「副団長、落ち着かれよ」
低く、渋い声が響き、ジュリアンの腕が鋭く掴まれた。
止めたのは、聖蛇騎士団長──ブガッティだった。
叩き上げの老騎士。鎧の継ぎ目に走る数多の傷痕が、その戦歴を物語っている。
ブガッティは無言で兜を脱ぎ、私に向かって膝を折った。
「リリカ様。聖蛇騎士団団長、ブガッティにございます。失礼を承知で申し上げます。この霊柩馬車に使われている木……スサノオ大王様の聖木ではないか、との疑いが浮上しております」
そう来たか。つまり、国有林──いや、世界遺産級の聖域を、勝手に伐って加工したという話。
それはまあ、図星だ。返す言葉に困っていた、そのときだった。
上空を舞っていた鷹のような影が、急降下してきた。
肩にふわりと降り立つその姿は、誰あろう、ティア様だ。
(鷹って言うと怒られるんだよな……)と、内心でだけ思いながら、息を呑む。
「スサノオの意思だと。ティアが護衛してるって、そう言えばいいよ」
ティア様は私の耳元で囁くと、ひとつ羽ばたいて中空に舞い上がった。
「……わかりました。お答えしましょう。心してお聞きなさい」
私は姿勢を正し、腹の底から声を張った。
騎士団も、行列も、すべての視線が、私ひとりに注がれる。
「これは、スサノオ様のご意志によるものです。そして──この行列には、大王父のドラゴン、ティア様が随行しておられます」
言葉を待っていたかのように、馬車の木組みが一瞬、輝きを放った。
続いて、突風のような気流が巻き起こり、空に浮かぶティア様がその姿を顕す。
「な、なにを──」
「ドラゴンだ……ドラゴンだぞ!」
「お、おおお……!」
騎士団の誰かが声を上げ、誰かは地面に額をこすりつけた。
ベテランらしき初老の騎士や司教一行は、呆然と涙を浮かべていた。
そして、ブガッティは、躊躇なく片膝をつき、静かに頭を垂れた。
それは、王都近郊では百年ぶりに現れた、伝説級のドラゴンだった。
「幻影魔法だろう……!」
ジュリアンが震える声で言い放った。無知もここまで来ると哀れを通り越して滑稽だ。
「──ギャァァァアアアッ!」
大気が震え、ドラゴンの咆哮が大地を貫いた。
次の瞬間、吐き出された蒼白の息吹が一帯を包み込み、夏の陽炎を凍てついた冬に塗り替えた。
空が澄み渡り、銀の粉雪が舞い、花のように舞い踊る。
「涼しくなったね……ありがとう、ティア様」
私はそっと呟いた。
次の瞬間、ティア様の姿はふわりと幻影のように消えた。
騎士団は一斉に道を開け、誰もが跪いた。
その背に、恐れと敬意が入り混じった静寂が、厚く降り積もっている。
こうして──もう、バルトの馬車を止める者は、誰一人としていなかった。
※
峠を越え、長い坂を下っていくと、視界いっぱいに広がる畑が見えた。
瑞々しい野菜が、太陽の光を浴びて葉を震わせている。王都の食卓を支える肥沃な大地。ここが、かつてノクスフォード家が治めていた領の入り口だった。
私は思わず、声に出していた。
「……綺麗だね」
外に出ることすら稀だった前の世界では、真夏に田舎を訪れるなんて、想像すらしなかった。見渡す限りの緑がまぶしくて、ただ目を細める。
やがて、川沿いの木陰に馬車を停め、しばしの休憩を取る。
太陽は高く、容赦なく肌を灼くが、風が通り抜けるたびに、その熱を洗い流していく。屈強な馬たちが水を飲む音が静かに響き、草葉が風にゆれる。
ふと振り返ると、越えてきた小山の峠には、まだ雪が残っていた。
聖蛇騎士団は、ティア様が王都に向かって飛び立った後を追って行った。
夏と冬が同じ風景の中に同居している光景に、私はつい、小さく笑ってしまう。
「整列せよ」
セバスの号令が響き、休憩していた兵たちが一斉に立ち上がる。
誰もが黙って身なりを整え、列に戻る。
畑の中の一本道を、バルトの霊柩馬車がゆっくりと進んでいく。
農作業の手を止めた農民たちが、ひとり、またひとりと道の脇に並び始めた。
「掲げよ!」
白地に、盾とドラゴンを描いたノクスフォード家の大旗が掲げられる。
――これはもう、葬送ではない。
まるで、凱旋の列だ。
「セバスさん、それはちょっと……」と思わず止めかけたが、農民たちの表情を見て、言葉を飲み込んだ。
誰も声を上げることはない。王都の民のように騒がず、飾り立てもせず、ただ静かに立ち尽くすだけ。
それでも、その目に宿る敬意と追悼の念に熱さを感じた。――お帰りなさい、と。
気づけば、農作業をしていた人々が列の後ろについてきていた。
無言のまま、霊柩馬車を見守りながら、歩を進めていく。
やがて道は再び山へと入る。だが、ここからの傾斜はきつく、道も細い。
このままでは馬に負担がかかりすぎてしまう。故人を運ぶ車が、馬だけの力では登れない。
山の中腹には、私たちの故郷――侯都シュバルトがある。王国の盾と呼ばれる、ノクスフォードの本拠地だ。
「引き綱を出す! ――引いてくれ!」
セバスの声が響いた。私は、列の後ろについてきていた農民たちに振り向き、深く頭を下げる。
「……すみません。もしよければ、馬車を一緒に、引いてもらえませんか?」
返事はなかった。ただ、皆が一歩前に出て、綱を手に取った。
声などなくても、その仕草だけで十分だった。
その手は、力強く。その背は、誇らしげに。静かに霊柩車に視線を戻す。
私の中のリリカの魂が囁くように呟いた。
「……良かったね、お父さん。あなたの帰りを、みんなが待っていたんですよ」
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