リリカ・ノクスフォードのリベリオン
「リラ・ヴァーデン議長、こちらへ」
彼女は、議長席に案内され、全員に会釈をすると、静かに深く息を整えてから座った。ほんの一瞬、瞼を伏せる。
その仕草は、これから下す決断の重さを自らに刻むためのものにも見えた。議員から暖かい拍手が送られた。その拍手は、彼女への期待だ。
「それでは、只今より貴族院の議会を行います。議会に、先立ち、私から執行部を指名致します。それと、国民の議会観覧を許可します」
扉の開いた観覧席に、国民議会の議員や民衆が入ってきた。足音と衣擦れの音が重なり、ざわめきが波のように広がり、やがて静まる。
誰もが歴史の証人になるという、張り詰めた空気が場を包む。
私が考えたリストを、彼女が読み上げている。得意分野を持つ議員たちの名が整然と並んでいる。
その一つ一つが、この国の未来を支える歯車となるはずだ。
「……そして、国防大臣 ニース侯爵、国民議会連絡担当、外務大臣 グラバー侯爵」
一瞬の間の後、彼女は、私のリストに彼らを付け加えた。わずかな逡巡もなく。共和国内の融和を考えた彼女らしい計らいだ。対立ではなく、分断ではなく、統合。その意志は行動で示された。
「やるわね。リラ」
さらに、彼女の口から驚く名前が出た。
「マレク元老院筆頭……」
場の空気が、わずかに凍る。息を呑む音すら、聞こえた気がした。
「何ですか? どの役職をやれと……」
マレクは余裕を装っているが、声の奥にかすかな硬さがある。
「いえ、話をすることはありませんか?」
その問いは穏やかだった。だが、逃げ道のない静かな刃だった。
後から考えたら、それは、彼女が与えた最後の釈明の機会だった。国家として、人として、与えうる限界の慈悲だったのだ。
「は、何もない」
短い沈黙。重く、深い沈黙。観覧席の誰もが息を呑み、時間そのものが止まったかのようだった。
「そうですか、残念です。貴方を、議長の権限により……国内騒乱罪、外国要人殺害幇助罪で起訴します。本件における証拠は明白。弁解はありませんでした。国軍、マレクを拘束せよ!」
一瞬、理解が追いつかなかったのか、マレクの顔色が遅れて変わる。血の気が引き、唇がわずかに震えた。
「待て……そういう意味とは……」
声が、わずかに裏返る。
魔術封じのある会場で、彼は無力だ。指先に力を込めようとしても、何も起きない。
だが、場所が変われば……その可能性に、彼の瞳は死んでいない。最後まで、力に縋る者の目だった。
「反抗的な態度を取れば、脱走を図ったとして、その場で対処します」
冷静な宣告。私情の欠片もない。だからこそ、誰も反論できなかった。
「ふん……」
既にお気づきでしょうが、と彼女は続ける。声色は変わらない。
「皆様にご紹介を致します。我が領地の治安維持のお手伝いをして頂いている、ノクスフォード侯爵と……マリスフィア侯爵です」
私は、観覧席で立ち上がる。視線が一斉に集まるのを、肌で感じる。
「リリカ・ノクスフォードです。皆様、よろしく」
重い音と共に議場の扉が開いた。
クルミが入ってくる。
彼女の手には、血のついた剣と、例の騎士の首。血はまだ乾ききっていない。
「いきなり襲われたので、反撃した。証人もいる。こんな姿で悪いな。クルミ・マリスフィアだ!」
その場にいた全員の顔色が凍りついた。誰も声を上げない。事実だけが、そこにあった。
彼女なりの共和国への復讐だ。私刑ではなく、証人を伴った自衛という形をとってはいるが、誰もがわかっている。
「不問とします。ですが、ここは議場、剣はお納め下さい」
リラの声は変わらない。血にも動じない。その姿は、すでに一国の象徴だった。
「これは失礼」
クルミは剣を納め、騎士の首をマレクの足元へ投げつけた。鈍い音が響く。転がった首が、彼の靴に当たって止まる。その乾いた音が、彼の運命を確定させた。
「わぁわぁわぁ」
彼は腰を抜かす。さきほどまでの余裕は完全に消えていた。権力に守られていた男の、裸の姿だった。
「しっかり立て!」
国軍の兵士は、両脇から乱暴に掴み上げる。優しくする訳が無い。主を殺された者たちだ。その怒りは、命令によって辛うじて抑えられている。
「クルミ様、リリカ様。要人殺害幇助の件で、尋問には立ち会ってもらいますが、裁判はこの国が行います」
共和国が裁く。だから手を出すなと。
私たちは、「任せた」としか答えられない。とても頭の回る子だ。闇を知り、なお制度を選ぶ。その覚悟が、眩しかった。
マレクと側近たちは、尋問の為に、刑務所へと送られた。背中は、先程までとは比べものにならないほど小さく見えた。石床に響く足音だけが、やけに大きかった。
※
ソフィアは、その後のことを見守ること無く、ディナモスと子供の元へと帰った。もちろん、マリアも一緒に。道は修正した。それだけだ。彼女たちの関心は次のところに向かっている。
数日後。
「あれで良かったの?」
私は、クルミに聞いた。
「まあ、自分の手で、決着をつけることが全てじゃ無いしね。それより、遊びに行こう!」
彼女は、少しだけ空を見上げてから笑った。雲の切れ間から、光が差していた。
「そうね。そうしましょう。ドノバンも行く?」
「当たり前だろ。その為について来たんだ」
私たちが、街の中心に行くと、マレクたちの処刑の準備が行われていた。組み上がる処刑台。木材を打つ音が、乾いた空に響く。無言で待っている民衆。
この数日のうちに、尋問から裁判まで済ませていた。それは、早く暗黒の時代と決別し、新しい共和国を迎えるためだ。復讐のためではない。再発を断つための裁き。誰もが、終わりを急いでいた。
「あの子は、意外とシビアね」
「シビア? 言葉の意味がよくわからないけど、私たちの父以外にも多くの人が死んだ。その落とし前が必要」
その言葉に、私も静かに頷く。胸の奥が、わずかに軋んだ。
私たちは、その様子を観ること無く、遊びながら、王国へ、自宅へ向かった。
「もう、どれだけ待たせるんですかぁ」
ヴァーデン侯爵領境で、エマたちが待っていた。
「リリカ・ノクスフォードのリベリオンは終わったわ」
「なんですかぁ、それ? それよりもお土産ください! 大人しく待ってたんですからぁ」
ドノバンが、馬車に積んである袋を指差す。
「やったぁ!」
彼女は、馬車に飛び乗った。
代わりに、クルミが馬車から降りた。出迎えの馬車が来ていたからだ。
「又ね!」
私たちは、熱く抱擁して別れた。彼女も、リヨンにいるマリスフィア兵を率いて帰る予定だ。
御者は、セバスチャンが、ドノバンから変わる。
「これでゆっくり、客室でリリカ様と話ができる」
「ありがとう。ドノバン、手伝ってくれて」
私から拒否されると思っていた彼は驚いて目を丸くし微笑んだ。
「どう致しまして!」
その表情に、ようやく日常が戻ってきたと実感する。そして気づいた。私はずっと緊張していたのだ。
馬車の後ろには、ガンツ率いるノクスフォード遠征軍が続く。
「帰ったら、第百回目の悪の軍団会議ですよ、お嬢」
「それなら盛大にやりましょう!」
国境から、遠くに、リヨンの街が見えた。風が、頬を撫でる。
私は振り返らない。振り返る必要は、もう無かった。
もう、夜は明けているのだから。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




