最後の元老院会議
人民軍の総司令は、大聖堂から身を投げて死んだ。
神に最も近い場所で、彼は地に堕ちた。石畳に叩きつけられた肉体は動かず、朝の祈りの残響だけが虚しく空を震わせていた。
「殺されたんだ!」
「側近も消えた。あいつがやったに違いない」
噂は火の粉のように広がった。だが遺書が見つかる。
そこには、これまで重ねてきた悪行と、その報いを受ける覚悟が記されていた。震える筆跡は、己を断罪する刃のように鋭かった。
やがて疑念は、興味へ、そして無関心へと変わっていく。人は慣れる。どれほど劇的な死であっても。
力で押さえつけてきた総司令は、恐れられてはいたが、慕われてはいなかった。
その死に胸を痛める者は少なく、安堵する者のほうが多かった。長く続いた圧力から解放された者たちは、口には出さずとも肩の力を抜いていた。
「我らは、これより正式に国軍となる」
優秀な副司令が人民軍をまとめ上げる。混乱を最小限に抑え、離反者を出さず、兵の誇りだけをすくい上げる手腕だった。
悲願は果たされた。旗は翻り、彼らはようやく“正義”の名を得た。風を孕んだ旗は、これまでの血と泥を覆い隠すように高くはためいた。
「国軍は、民を守り、その財産を守る」
聖女ソフィアの声は澄み、まっすぐに兵たちへ届く。迷いを抱えた者の胸に、静かに灯がともる。
剣を握る理由を、初めて与えられた者もいた。つまらない派閥争いで殺し合うことはもうない。刃は、ようやく意味を持つ。
「へえ、感動したよ」
私が言うと、彼女は小さく笑った。張り詰めていた空気が、ほんの一瞬だけ緩む。
「向いてないのよ。でも……私の責任だから」
「責めてないわ。元の世界だって、似たようなものだった」
理想と現実の距離は、どの世界でも同じくらい遠い。
「行きましょう。枢機卿の葬儀よ」
急病で亡くなった彼の葬儀。突然すぎる死は、敬虔な祈りの中にもかすかな疑念を落としていた。
そこで聖女は、正しい教会のあり方を説き、新たな枢機卿を発表する。
死は終わりではなく、秩序を書き換える合図だった。弔鐘は、同時に新しい時代の幕を打つ音でもあった。
「結局、彼らの仲違いの理由は?」
「王国の圧力が消えた。外が静まれば、内が荒れる」
「セーヴァス侯爵は圧力を?」
「いや。ただ心配していただけだ。筋書きを描いたのは、元老院のマレクだ」
クルミは目を伏せた。やるせない彼女の気持ちを思うと私の心は痛んだ。理念なき暗殺に倒れる、その現実が重い。
※
マリアは、ソフィアの部屋に入り浸っていた。私がいつ尋ねても、彼女は座っていた。窓辺の椅子が、いつしか彼女の居場所になっている。
「グラバー侯爵の相手をしなくていいの?」
「うん、弟みたいなもんだから」
「あなたの方が、年下でしょ」
私がマリアと世間話をしていると、ソフィアが言った。
「そうだ、リリカ。今日の貴族院設立の議会を出たら帰るわ!」
「私たちも、決着をつけるわ。少し強引になるかもだけど。一緒に帰る?」
「へへへ、ティア様と話をつけてあるの」
やられた。あの浮気ドラゴンめ!
「私も一緒に行くの」
マリアは、ソフィアの腕をとって言った。その無邪気さは、自由を得た証のようだ。
「はぁ? あなた、領地は?」
「私、領主代行だもん。湊お姉ちゃんとそのうち帰る」
彼女の政治的な手腕、特に経済政策は理系人間と思えないほど、優れている。数字の裏にある人心の流れを読む力がある。
「私たちの領地も遊びに来てね」
「うん。世界を見てまわりたいし」
「リリアは、マリアをこき使おうとしてるだけよ。このお姉さん、計算高いからね」
ソフィアが、揶揄う。まあ、その通りだなら何も言わない。
「そろそろ、行こうか!」
ドノバンが呼びに来た。彼とクルミはこの数日、パリスの街を走り回っていた。枢機卿の目を潰していた。それは、帝国に情報を流していた組織。ほぼ全員始末したらしい。痕跡すら残さぬ手際だった。
「ええ」
私たちは、ソフィアについて共和国の中央にある議事堂へと向かった。歴史ある立派な建造物だった。石柱は重く、天井は高い。
元老院の会議場に入る。
「色々と準備をしてくれてるみたいね」
会議場には、魔術を打ち消す魔道具が見えないように仕込まれていた。床下、壁の裏、柱の内部まで抜かりはない。
そして、元老院の筆頭マレクの側には、例の騎士が片時も離れない。その視線は鋭いが、どこか落ち着きがない。
ドノバンに耳打ちすると、足早に去っていく職員。
「すまん、やられた。元老院の次席がさっき殺された。警備もつけていたが……」
空気が一瞬だけ凍りつく。私たちが担ぐべき者が殺された。
次々と、ソフィアに挨拶に来る貴族や豪商たち。彼らは、今回の参加者、議員だ。
「よろしく頼みますね」
「もちろんでございます」
私は、この会議が行われるまでの間に、彼らと接触した。もちろん多数派工作だ。
決して強要はしないし、脅したりもしない。選択肢を示し、未来を提示するだけだ。
利に聡い商人には、伊勢屋と紀伊國屋との商売の取り次ぎを、貴族たちには将来の安全と資金援助を。いずれも商売と王国侯爵の権限の範疇だ。
マレクの派閥工作よりも、わざと悪い条件を提示した。選ばせるために。従わせるのではなく。利で選ぶものは、利で裏切るから。
だが、私の予想では、多くの仲間が出来ている筈だ。静かな確信が胸の奥にある。
「困ったな、次席の代わりになる人がいない」
私たちが悩んでいるうちに、会議は始まってしまう。
「仕方ない、あの子にしましょう」
席について、こちらを向いて微笑んでいる東部侯爵。リラ・ヴァーデン侯爵、周囲の小貴族から挨拶をされて動けないようだ。その笑みは柔らかいが、逃げ場のなさも滲んでいる。
「可哀想……」
「何言ってるの? 今や最大の版図を持つ侯爵よ」
彼女は早く魔物と森と遊びたいのだろう。それを知っている私は同情してしまう。だが他の選択肢を思いつかない。彼女は優秀なのだ。優秀であることが、運命になる。
「それでは、最初に東方聖教会の聖女様よりお話があります」
共和国はどこに辿り着くのだろうか?
最後の元老院会議が始まった。
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