魔物はいない、だが
「ねえ、ソフィア。貴女、マリアのこと知ってるのね?」
私は彼女に小声で話しかけた。
「うん、間違いない。茉莉奈ね」
「誰なの? 茉莉奈って」
「神代茉莉奈。私の従妹よ。彼女にもゲーム制作を手伝ってもらってたの」
「どうして彼女だってわかったの?」
ソフィアは笑いながら答えた。
「だって、この汚くて特徴的な文字は、あの子の文字だもの」
「マリアが敵対する相手じゃないってわかって、良かったわ」
「うん。でも、からかい癖のある子だから気をつけましょう」
彼女は現実世界では、遊び心のある優秀なプログラマーだったらしい。からかい癖……その言葉が何故か引っかかった。
「どうやって治安を取り戻すか、ね」
「それは私たちが考えることじゃない。……三人の処刑を優先すべきだ、と言い切りたいところだけど」
クルミが逡巡しているのは、言葉の端々から伝わってきた。
苛烈さと慈しみ。その相反するものを同時に抱え込めるところに、彼女の美しさがある。
「それなら、関係者全員を集めて会議をしましょう。場所は、大聖堂で」
ソフィアが提案した。
「召集に応じるかな?」
「応じなければ……使者はドノバンね。リリカとクルミは隠れていて」
「やっと俺の出番だな。それじゃ」
私は、ドノバンが走り出そうとするのを止めた。
「待ちなさいよ。ソフィアの親書を持って行きなさい」
「ああ、そうだな」
ソフィアが手紙を書く間、私たちは追加でケーキとコーヒーを味わっていた。
「ずるい!」
「頭に糖分が足りない私たちは、食べないとね」
私とクルミは顔を見合わせた。
※
『クロノア』の支払いは高額だった。
「ソフィア持ちね! 言い出したの貴女だし」
「ちょっと待ってよ。うちの所領は貧乏なのよ!」
そのセリフに、思わず笑ってしまった。
王国の財宝を自由にできる立場にありながら、彼女は不正も便乗も図らず、貧困の田舎暮らしをしている。それも楽しそうに。
「私が奢るわ」
そして『クロノア』を出て、会議を行う大聖堂へと私たちは向かった。
大聖堂の周囲には、信者たちのテントが境目なく立ち並び、警備兵が険しい顔で立っていた。
「お前たち、何者だ?」
近づく私たち三人に声がかかる。
「私、王国の聖女ソフィア。枢機卿に会いに来ました」
コートを脱ぎ、煌びやかな聖女の衣に身を包んだ美しい彼女が現れる。
東方聖教会から正式に認められた聖女で、大陸中の魔物を討伐し、人々を守ってきた救世主だ。
一目見ようと、人々が次々と集まり、幾重にも取り囲まれてしまった。
「聖女様だ! ありがたや」
「きっと、この状況を知って駆けつけてくれたのよ」
人々は歓喜に震え、歓声を上げた。
「失礼しました。すぐに取り次ぎを致します」
警備兵たちは態度を改め、深く礼をする。
「いえ、慌てなくて結構よ。待っている間に、皆さんの治療をいたしましょう」
「こちらへどうぞ」
テント村の顔役が、私たちを清潔で大きなテントへ案内した。
侍女役の私が大切にしている薬を使って、彼女は我が物顔で治療を始める。
「貴女の魔術を使えば、すぐじゃない?」
「万能じゃないのよ。いくつか制限があるの。同じパーティの時とか、魔物との戦闘時とか」
「ふうん。わかった」
私は、ソフィアが間違えそうになる病状を指摘し、正しい薬を手渡す。
「リリカ、私より正確ね!」
「どれだけやり込んだと思ってるの?」
「そうだったわね」
クルミは、押し寄せる街の人々を整理している。重症者や子供を優先して、テントへ通していた。そんな仕事も楽しげだ。
「こんなものかしら」
「そうね。軽傷者には薬を配ればいいでしょう」
深夜になってようやく、警備兵が一人の司教を連れて戻ってきた。
「お待たせいたしました。枢機卿のお手が空きました」
司教がソフィアに告げる。
「どうして、こんなに遅くなったのかしら?」
「申し訳ありません。会議が立て込んでおりまして」
「それは大切ね。それじゃあ、案内してくれる?」
ソフィアは、待たされたことに腹を立てることもなく、笑って答えた。
すでに大聖堂内では、マリスフィアの密偵が調査を進めている。後で正確な情報が上がるはずだ。
私たちは、ようやく大聖堂へと足を踏み入れた。
民衆は、聖女の通り道の両脇に並び、祈りを捧げている。
大聖堂の中は、蝋燭の光ではなく、魔道具の灯りで満ちていた。
人のいない礼拝堂は、外の喧騒とは正反対に静まり返っている。ここにだって人は入れられるはずなのに……。懐の小さな奴らだ。
「こちらです」
大聖堂は、いくつもの建物と連結していた。宿舎、学舎、兵舎。
「ここで、教会の関係者たちは寝泊まりしているのね」
階段を上り、長い廊下の先――ようやく私たちは、枢機卿の待つ応接室へ辿り着いた。
重い扉。赤い絨毯。その奥に、長い白髪と白髭をたくわえ、目の窪んだ痩せた男が座っている。
「お待たせいたしました」
悪びれた様子はどこにもない。
まるで、突然訪ねてきたこちらが悪いのだと言わんばかりだ。
「座ってもよろしいかしら。私は聖女ソフィアです」
返事を待つことなく、クルミが椅子を引き、ソフィアが腰を下ろす。
クルミはすっかり、聖女の護衛役になりきっていた。
東方聖教会の最高位は枢機卿だが、本来、聖女への敬意が払われるべき立場だ。
だが彼には、その欠片すら見受けられない。彼女から名乗らせている。
「よく存じております。貴女を聖女にした一人は、枢機卿である私――グレゴリオ二世ですからな。ところで、何をしに来られたのです? この地に魔物はおりませんぞ」
魔物はいないが、妖怪はいるだろう。
今すぐ成敗したい気分だった。いや、クルミが斬りかかるのではと内心ひやひやしていたが、彼女の表情は変わらなかった。
「ええ。ですが、民の悲鳴が届きました。簡潔にお話ししましょう。明日正午、この地にて会議を召集いたしました。準備をお願いします」
「勝手に……」
「貴方にとっても悪くない話です。共和国の平和をもたらした英雄として、名を歴史に刻めるでしょう。私も折に触れて語るかもしれません。貴方が、この会議を主催したと」
「なるほど。さすがは知恵者のソフィア聖女だ。謹んでお受けいたしましょう。何をしておる? 聖女様に部屋と食事の準備を」
彼は、嬉しさを抑えて、司教に指示を出した。
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