再会の祝杯
小高い丘の上に立ち、私たちは眼下を見下ろしていた。
そこには、きらびやかな街並みが果てしなく広がっている。
進んだ技術と洗練された文化に彩られた、共和国随一の自由の都――パリス。
かつて「自由」を旗印に誕生した新たな政治体制は、確かに人々へ希望を与えた。
だが、その均衡が崩れた瞬間、理想は一斉に牙を剥いた。勢力間の対立は武力抗争へと転じ、混乱は共和国全土へ燃え広がっていく。
希望は、民衆の怒りへと、あまりにも容易く反転した。
「……すご。大きな街ね!」
感嘆の声を上げたのはソフィアだった。
その無邪気な調子に、私は一瞬だけ現実感を失いかける。
「だろ? 共和国中の道は、全部この街に繋がってるって言われてる。ここまでデカい都市は他にない」
ドノバンはそう言って、懐かしそうに街を眺めていた。過去に何度か、この街を訪れたことがあるらしい。
「ドノ、美味しいレストラン連れてって」
戦場を前にしたとは思えない、呑気なリクエストだった。
共和国の素朴な田舎料理には、どうやら本気で飽きているようだ。
「……店、やってるかな」
ドノバンの声が、わずかに曇る。
多くの市民はすでに疎開していた。街の上空には戦火の名残の煙がくすぶり、通りや屋根のあちこちに、各陣営の旗が無秩序にはためいている。
「どうかな……」
この街は城砦都市ではない。
あまりにも広すぎるからだ。ただし、旧市街だけは例外で、古い石壁が今もその輪郭を保っていた。
「壁の中の旗は、元老院の軍だな」
ドノバンが指差す。
「外側から取り囲んでるのが人民軍か……いや、ひとつじゃない。いくつかに割れてる」
人民軍は、もはや一枚岩ではない。
“民意”という名の正当性を、誰が手にするか。その奪い合いが、彼ら自身を裂いていた。
さらに目を引いたのは、街の中心にそびえる東方聖教会の大聖堂だった。
塔の頂には、枢機卿の紋章旗が掲げられている。
「まさか……教会も軍を?」
「持たなきゃ、奪われる。信仰も、街も、命もな」
ドノバンの声は乾いていた。
街の南の外れには、南部侯爵軍が陣を敷いている。
「西部グラバー侯爵軍は、まだなのね?」
「ああ。寄り道ばかりらしい。だが、近くまでは来ているはずだ」
クルミは街を見下ろしたまま、静かに言った。
「まるで、何かを待っているみたい。でも気にしないわ。目の前に敵がいるなら、邪魔される前に始末するだけ」
元老院の筆頭。
東方聖教会の枢機卿。
そして、人民軍総司令。
かつて同じ理想を掲げた三人は、今や刃を向け合っていた。
「……いや、理想じゃないな」
私は思わず、独り言をこぼした。
「暗躍だ」
それを耳聡く拾ったクルミが、即座に言葉を継ぐ。
「私の軍だけでも、この国は征服出来る。それくらい国力の差がある。それをしてこなかったのは、古くからの同盟国だし、王国には領土的な野望は持たないからだ」
それが、王国の哲学。
正義でも善意でもない。ただの選択だ。
「とりあえず、ご飯を食べましょう」
この内戦にひとかけらも興味のないソフィアが、何の前触れもなく言った。
「は? 遠因の一つは貴女にあるのよ! ドノバンから離れなさい!」
私の声には、苛立ちと焦りが滲んでいた。
「ごめん。頭に糖分。良い知恵が浮かぶからね!」
ソフィアは悪びれもせず笑った。
その軽さが、この張り詰めた戦場で、ひどく異物に見える。
彼女は、冷徹に考え、戦争を起こしている全ての人間は死んでもいい、と切り捨てている。
私たちは、街の飲食街へと向かった。
表通りのほとんどの店はシャッターが降り、横引きの防犯鉄格子が街を閉ざしている。
「この裏通りにある『クロノア』というビストロだけど……」
路地の奥、共和国の旗が掲げられた建物の下へと降りる階段の先に、その店はあった。
「開いてるのかな?」
重厚な店の扉を叩く。反応はない。
ギギギ、と軋む音を立てて扉を開くと、暗い店内には、すでに数組の客が食事をしていた。
「いらっしゃいませ」
獣人の女性店員が出迎え、私たちは席へと案内される。重厚な雰囲気の漂う店だった。
「メニューは、こんな時期なので、コース一種類しかありません」
「店を続けてるのですね?」
「はい。店主の意思です」
本格的なフレンチレストランだった。前菜、スープ、魚料理を経て、最後はデザートまで続く。
「うん、やっぱりソースよね」
ソフィアは満面の笑みを浮かべている。
「でも、食材とか、よく手に入るわね」
「金さえ積めば手に入るんですよ。その分、特別料金になっていますから」
振り向くと、太った獣人のシェフが挨拶に来ていた。
「美味しかったわ」
「それは光栄です。シェフのデュポアです。聖女ソフィア様、マリスフィア侯爵、ノクスフォード侯爵、それとドノバン様」
「あら、よく私たちの名前を?」
私は思わず身構えた。
「奥の部屋のお客様からお聞きしました。こちらは、ワインのプレゼントだそうです」
別室へと駆け込んだが、食事を終えた後で、人の姿はなかった。
「そのお客様はどこに?」
「すでに帰られました。裏口から」
もう追いかけても捕まえられないだろう。
私たちはやむなく、テーブルへと戻った。
「誰だろう? ここは奴らの庭だ」
プレゼントされたワインはすでに開けられ、ソフィアが口をつけている。
「え? 危険はないの?」
「ええ、もちろん」
ワインの首には、小さな手書きのメッセージカードが結ばれていた。
アイボリー色の紙に、万年筆のインクがわずかに艶を残している。
そこに、日本語で書かれた文字。
「愛するソフィアへ
再会を祝して
真聖女 マリアより」
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