無自覚の煽り
私たちは、手分けをして治療を開始した。
病人の数は百名近くに及び、広場はうめき声と、黒蝕毒が溶け出した鼻を刺す匂いに満ちていた。
クルミが、看護のできる修道女たちを連れて来てくれたおかげで、夕方には、ひとまず応急手当てを終えることが出来た。
命の危険に瀕していた者たちも、体力が戻れば回復するだろう。
私たちは、誰もが疲労を顔に滲ませていた。
「ありがとうございます……本当に」
警備兵たちと病人の家族は、次々と感謝の言葉を向け、何度も頭を下げる。
「それで、アンリお兄様はここに来ないの?」
リラの問いに、警備兵の一人が言葉を選びながら答えた。
「いつもなら、とっくに広場にいらっしゃる時間なのですが……今日は大事な軍事作戦があるから、遅くなるかもしれないと」
だが、その説明とは裏腹に、周囲の警備兵たちの顔色は明らかに良くなかった。
視線が泳ぎ、無意識に武器を握る手に力がこもっている。
「……騎士団の兵が、ずいぶん少ないようだけど。アンリ様と一緒なの?」
私の問いに、彼らは一瞬だけ言葉に詰まった。
「はい……ただ、自領に帰ったり、用事で軍を離れた者も多く……」
「そんな奴らに気を使う必要はないわ」
低く、冷たい声でコヨリが遮る。
「つまり、逃亡したんだな」
誰も否定しなかった。
その沈黙が、何よりも雄弁だった。
「探しに行きましょう。まずは、ヴァーデン本家の屋敷に――」
そう切り出した、その時だった。
ぞわり、と背筋を撫でる感覚。
広場を取り囲む柵の、その外側から、はっきりとした魔力の波動が押し寄せてくる。
「……来た」
空気が、重く沈んだ。
「おい! アンリ、出てこい! 決着をつけよう!」
風の魔術で拡散された、怒りに満ちた野太い声が、広場全体を揺らす。
周囲の一般町民が、一斉に息を呑むのが分かった。
「シャルルお兄様の声だ」
リラが即座に反応し、柵から顔を出そうと身を乗り出す。
「リラ様、危険です! お下がりください!」
警備兵が慌てて制止する。
「はーい!」
気の抜けた返事をして、すごすごと下がるリラ。その様子に、私は思わず目を瞬いた。
「……リリカと同じね。少しも怖がっていない」
恐怖を感じないのではない。感じる前に、動いてしまう。この子は、そういう種類の人間だ。
クルミはすでに剣を抜き、無言で構えに入っていた。状況判断が、早すぎる。
「もし出て来なければ、キャンプごと火の海にするぞ!」
再び響く、シャルルの声。
今度は明確な殺意が、魔力に乗って伝わってきた。
警備兵に状況を尋ねると、シャルルの来襲自体は、ここ最近ほぼ毎日のようにあったらしい。
だが、これまでは籠城すれば、しばらく罵声を浴びせた後、すごすごと引き上げていったという。
「……でも、今日は様子が違うな」
誰かが、かすれた声で呟いた。
「うるさいわね。リラ、返事をしてあげて」
私が風の魔術を展開し、リラの声を空へと放つ。
「シャルルお兄様、リラです! アンリお兄様は、ここにはいませーん!それと、毒を使った戦いは禁止でーす! 禁止! 民を巻き込んでしまいます! ここには一般の町民ばかりでーす! 攻撃はいけませーん! わかりましたかぁ?」
……完全に、煽っている。
「リラか? お前は関係ない。黙っていろ!」
怒声が叩きつけられる。
「騎士団は武装解除して、降参しろ!」
「黙りませーん!」即答だった。
「私の話、ちゃんと理解しましたかぁ? こっちには、つよーい味方がいるんですよ! 降参するのは、そっちでーす!」
それ、完全に宣戦布告だから。
しかも、その「強ーい味方」、どう考えても私とクルミのことだ。
「リリカ、シャルル軍については調べがついてる」
クルミが、低い声で告げる。
「シャルル陣営の貴族と商人が雇った、傭兵と冒険者だ。人数も装備も、日を追うごとに増えている」
「……それ、相当厄介なやつじゃない?」
胸の奥に、嫌な重みが溜まる。
「ねえ、リラ。あなた、魔獣使いでしょ? 戦える魔獣、いるの?」
一縷の望みを込めて聞いたが。
「ううん。みんな可愛いから、戦えない」
……じゃあ、なんで煽るんだ。
私は、深く、心の底から溜息をついた。
周囲から、傭兵が炎の矢を構え、魔術師たちが炎の呪文を演唱しているのが見える。
「妹もいるってのに……本気なのね」
私は、静かに腕を振り上げた。
「かかれ! 手加減なしだ!」
シャルルの号令が響く。
「じゃあ、私も手加減なしね」
私は風魔術で、すべての炎を天高く巻き上げた。敵が第二波を放つより早く、暴風雨を叩きつける。
「何だ……この魔術は……」
「大陸でも、こんな魔術を使える者は限られてます。撤退を!」
敵側の動揺が、はっきりと伝わってくる。
「リリカ、捕まえてくる。アシストを」
クルミが、地を蹴って駆け出した。
「シャルルお兄様は、あそこです」
リラの魔鳥たちが、空から指揮位置を正確に捉えている。
「もう!」
私はクルミの剣に、風魔術をエンチャントした。彼女の行く手を阻む者は、風の刃に吹き飛ばされていく。同時に、逃げ道を土魔術の壁で塞ぐ。
「おい! あれ、惨殺姫クルミ・マリスフィアだぞ! 降参しないと殺される!」
「後ろにいるのは、暗黒の魔術師リリカ・ノクスフォードだ! 敵対したら閉じ込められるぞ!」
傭兵や冒険者たちは、次々と武器を地面に落とし、両手を上げた。
「……どんな噂が広まってるのよ」
クルミは笑っていたが、私は、心底、憤慨していた。
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