留守の屋敷と忠実な影
「さあ、行くわよ、リリカ」
「ちょっと、待って」
私は教会の看護師に薬を分け与えながら、使用上の注意を一つひとつ説明していた。
向かう先は、リラの屋敷。
私とクルミは、冒険者の姿に変装している。
彼女の屋敷は、リヨンへと流れ込む川の上流、森の近くにひっそりと建っていた。
門は開け放たれたまま、人の気配はどこにもない。
途中で出会った商人や農民に場所を確認してきたので、道を間違えているはずはなかった。
ただ一人、屋敷の敷地内で洗濯をしているメイド姿の女性がいた。
背筋の伸びた佇まい。無駄のない動き。
普通の人ではない。
その佇まいには、長く主を支え続けてきた者だけが持つ落ち着きがあった。
私はクルミと視線を交わし、声をかけた。
「すいません。こちらはリラお嬢様の屋敷ですか?」
「どちら様でしょうか?」
彼女が一瞬で身構えたのが分かった。
……強い。
「失礼しました。マリスフィア侯爵家の者です。リラ様はいらっしゃいますか?」
「出かけておりまして。もうそろそろ戻る頃かと……お待ちになりますか?」
思いもかけない提案に、私たちは顔を見合わせた。
「それでは……」
足を踏み入れたリラの屋敷は、私たちの想像をはるかに超えていた。
※
屋敷の広間には、干された草が吊るされ、魔物や動物の骨格標本が並んでいた。
机の上には魔物図鑑をはじめとする専門書の山。
奥からは、数種類の鳥の鳴き声が聞こえてくる。
一瞬、セディオの研究室が脳裏をよぎり、私は反射的に息を止めていた。
だが、よく見るとまるで違う。
禍々しさがなく、どこか澄んだ空気すら感じられる。
私はようやく息を吐いた。
「リリカらしくないわね!」
クルミは相変わらず呑気だ。
「トラウマがあって……」
「すいません。こちらへどうぞ。ここには、リラ様も私物を持ち込まない約束なので」
キッチンに繋がる食卓には、何も置かれていなかった。
清潔で、整然としていて、まるで彼女の城のようだ。
私たちが席につくと、カモミールティが差し出された。
「あら、ハーブティですか?」
「リラ様のご趣味で、まともなのがハーブ集めなので。そうだ、プラムのタルトを召し上がりませんか?」
……絶品だった。
やはりこのメイド、只者ではない。
連れて帰りたいくらいだ。
冗談めかして思ったが、内心ではそれほどまでに有能だと認めていた。
「美味しい!」
私たちは遠慮なくお代わりまでいただいた。
彼女は、メイド長兼執事長で、コヨリと名乗った。
「良かったです。そろそろリラ様が戻る頃だと思い、作って待っていたのですが……」
「どちらへ出かけているのですか?」
「山とだけ。聞いたところで予定は変わるので……
もう数日経っていますし、お腹を空かせてそろそろ帰ってくるはずです」
その口調に、心配というより、会いたいという感情を感じ取ってしまう。
それは主人を案じる従者の感情というより、ひとりの人間として向き合っている相手へのものに近かった。
「ところで、他の使用人は? リラ様とご一緒ですか?」
「いいえ。近頃は何かと物騒ですから、辞めてもらいました。それと、リラ様の趣味に……」
なぜだろう。
このメイドは頭が切れるのに、肝心なところを隠さず話しすぎる。
私は違和感を拭えなかった。
聡いはずなのに、警戒を示す素振りすら見せず、必要以上の情報を惜しげもなく差し出してくる。
「お腹も膨れたし、そろそろ……」
クルミが、どんと手をついて立ち上がる。
「帰るの?」
「何言ってるの? 屋敷見学よ!」
完全に取り調べモードだ。
だが、ここは他国の公爵家の屋敷である。
「失礼でしょ?」
思わず常識人ムーブが出る。
「構いませんが、私は片付けがありますので、ご随意に」
コヨリの目が一瞬、鋭く光ったのを私は見逃さなかった。
「動かないと太るわよ! じゃあ、二階から」
クルミは私の手を引き、階段を上り始めた。
清掃は行き届いているが、とにかく物が多い。
階段の両脇にも、本がびっしりと並んでいる。
「変わった本の並べ方ね」
「気づいたの?」
「リリカ、私を馬鹿にしてない?」
ジャンルごとに分類されている。
だが、なぜ階段なのだろう。
二階の奥から順に扉を開けていく。鍵は掛かっていない。
最初は書棚の部屋。
「凄い量……溢れるわね」
「これだけ集めるのに、相当なお金が掛かってるはずよ。
公爵の資金を使っているなら問題ね」
次は武器の部屋。
「面白い。漁師や猟師みたい」
「しかも、きちんと整備されてる」
そして、リラの衣装部屋。
「最低限のワードローブしかない」
「リリカですら、もう少し持ってるのに」
式典用のドレス以外は、形の違う作業着ばかり。
使い込まれているが、丁寧に手入れされていた。
「酷い。でも……リラへの好感度、上がったわ」
「何それ!」
思わず二人で顔を見合わせて笑った。
最後は、リラの寝室と思われる部屋。
ここも鍵が掛かっていない。
「……いや、これ、鍵壊されてない?」
「そうね……」
一階に戻ると、コヨリが様子を見に来た。
彼女は奥の部屋を指さす。
「そこは私の部屋なので鍵が掛かっています。
何もありませんが、ご覧になりますか?」
「いいわ」
クルミは首を振った。
私は一番気になっていたが、仕方なく諦める。
「質問があるんだけど。リラ様の寝室、鍵が壊れてたんだけど?」
「ああ。起きてこないので、私が壊しました」
平然と言うコヨリ。
やはり只者ではない。
「それと、本の数が凄いわね。お金、相当掛かってるでしょ! どうやって?」
「……色々とです。リラ様の器量で手に入れた物。公爵様のお金は使っていません」
そこには、コヨリのリラへの尊敬の気持ちがあった。
凄い子だと褒めたい気持ちを押し殺し、事実だけを淡々と述べているようにも見えた。
一階には、標本を作る作業部屋と、製薬のための部屋があった。
「これが、リラ様の趣味なの?」
「はい」
「ここも、開けていいのかしら?」
「どうぞ!」
そこは、鳥の鳴き声が響く部屋だった。
私たちが目を見開き、私は後退りをし、クルミは剣に手を伸ばす。
その姿を見て、コヨリは笑いを堪えている。
私たちがどんな反応を示すのか、最初から分かっていて待っていたのだろう。
「害は加えません。リラ様の従魔ですから」
――数匹の魔物が飼われていた。
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