御用商人の受難
王都中で、あいつらを連れて走り回るのはさすがに目立ちすぎると気づいた。
実際、数名の衛兵とすれ違ったとき、チラリとこっちを見られた気がする。あぶない。
「逃げるなら、誰も入らない藪の中だよね」
「はぁ? 何ですかそれ?」
エマが私の言葉に反応して、軽く顔をしかめながら小声でツッコミを入れた。彼女はいつもいい相棒だ。
うーん。貧民街は逆に奴らがよく知っている。なら、逆転の発想をしよう。
「お尋ね者を隠すなら、御用商人の家が一番目立たないんじゃない?」
我ながら天才的アイデアだ。ナイルの家は狭いらしいし、商人だがもちろん、御用商人ではない。
「セバス、かんちゃんちに向かって!」
元は私の家だけど、そう呼ばずに謙虚を装うのも私の役目。
それにしても、かんちゃん――カンクローってほんと可愛いんだよね。
太っちょでちっちゃな体にまんまるの顔。ピンク肌にくるくるの目。真面目ぶってる仔豚ちゃん、それがカンクロー。
やがてイセヤ家邸に着いた。慣れ親しんだ屋敷だ。セバスチャンが門の鍵を軽々と開け、馬車を入り口まで進める。
「おい! 何を勝手に入ってきている!」
荒々しく執事軍団が飛び出してきたが、セバスチャンの顔を見るや否や、一瞬でざわつきが凍りついたように静まった。
「カンクロー様に、リリカ様がお会いしたいと伺いまして。取次をお願いできませんか?」
新米執事が声を荒げようとした瞬間、ベテラン執事に軽く制され、庭の隅に連れて行かれた。
「馬鹿野郎、相手はセバスチャンさんだ。気をつけろ」
その声は聞こえている。セバスチャンは執事界で一目置かれてるらしい。やはりな。
馬車を追って、ガンツたちも屋敷の門を突破して侵入してきた。
「これ、完全に家宅侵入じゃないか。まあ、カンクロー次第だけど」
私は馬車の周りに座り込んだ彼らを見て呆れた。あいつら、体力無いなぁ。
とはいえ、もうすぐ私の作戦が功を奏するはず。ちょっとしたお願いを通すには、押しの一手が肝心だ。
しばらくしてもカンクローが出てくる気配はなく、執事が呼びに行っている様子だった。
私は馬車を降り、大声で叫んだ。
「カンクロー、遊びに来たよ!」
久しぶりに、いや、生まれて初めてかもしれない、大声を張り上げた。
ガンツたちもなぜか一緒に叫び始めた。
「カンクロー様、リリカ様が来ましたよ〜!」
「カンクロー様、リリカ様が来ました!」
遠慮ゼロの大合唱。見た目とのギャップで、そこそこシュールだ。
その場には、私たちを囲むようにして、数十人の丸坊主軍団が無言で立ち並んでいた。
悪いことしていたのが、まだ顔から滲み出てるな。迫力がある。
やがて諦めたのか、正面の扉の奥から声が聞こえた。
「おれが、がつんと言ってやる!」
「お願いします」
扉が開き、私たちの顔を見たカンクローは思わず引いていた。
ま、これだけの人数とノリで来られたら、びっくりするよね。
「よ、カンクロー、近くに来たから寄ってみたよ」
「あ、リリカさん。何で王国に戻っているんですか?」
「聞きたい? 仕方ないなぁ。じゃあ、ゆっくり説明してあげるよ」
私は遠慮なく屋敷の中に足を踏み入れた。
「いやいや、屋敷には……」
「遠慮しなくていい。屋敷のことは知っているから。セバスチャン、エマ、案内して」
作戦成功。とりあえず、私たちは屋敷に上がり込んだ。
⸻
※
言うまでもないが、この屋敷の構造を知っているはずがない。セバスチャンが胸を張って闊歩する後ろを、大人しくついていく。
エマは心なしか嬉しそうだ。
「おい、待て待て!」
呆気にとられていたカンクローが慌てて追いかけてくる。
どたぁん——カンクローが転げ落ちてきた。
「まるで漫画みたいだな」
「なんですか、それ!」
エマが即座にツッコむ。私はエマに注意した。
「エマ、私の言葉がわからないときは、『なんやねん、それ』と言いなさい」
「はぁ……」エマが固まってしまった。
知らんぷりして、カンクローに手を伸ばし起こす。
「大丈夫?」
「ああ、ありがとう」
顔を真っ赤に染めて、小さな声で答えた。
そうだった、カンちゃんは純情キャラだった。私の手を触っただけでこの反応だ。
まあ、私もこのゲームの恋愛シーンは背筋が寒くなって、吐き気を覚えたけどな。うーん、方向性は真逆だ。
彼のズボンは、廊下に溢れていた水でべちゃべちゃに濡れていた。
「水も滴るいい男ってか……ダメだよ、水なんて屋敷にこぼしたら」
まあ、無演唱で水魔法を出したのは私だけど。エマがニコッと微笑んでくる。気づいたらしい。
気にせず、すたすたと歩くセバスチャンに追いつこうと、早足になる。
「こちらでお待ちください」
勝手に応接室に案内すると、セバスチャンとエマは他人の家のキッチンにお茶を入れに行った。
「まあ、厚かましいわね」
私は屋敷の主人の席に腰を下ろし、カンクローが着替えて戻ってくるのを待つことにした。
「お待たせしました」
カンクローが戻るのと同時に、エマがお茶を運んできた。
「待たされたって怒らないわよ。同じ庶民なんだからね」
私は笑いながら答える。
「いや、俺は言ってないぞ。冤罪だ!」
「そうね、冤罪は嫌よね!」
私の言葉に、カンクローは少し眉をひそめ、苦笑まじりにため息をついた。
「……ほんと、自由すぎるだろお前ら」
怒っている彼を無視して、お茶を優雅に飲み、茶菓子をつまむ。
「どうです、美味しいですよね、このお菓子?」
よく見ると、エマのメイド服にお菓子のかすがついている。
「つまみ食いしすぎよ!」
「へっへっへ」
「……いやいやいや、俺がいない間に何してんの、ほんと……」
カンクローはこめかみを押さえ、視線をそらした。
「もう、カンちゃんたら、あなたの家のお菓子褒めてるのよ! よっ! 御用商人イセヤ!」
——その瞬間だった。ついに彼の怒りが沸点に達した。
「いい加減にしろぉおおっ!」
ドンッ!
机が鳴った。カンクローの拳が、そこにしっかりと落ちていた。
一拍、沈黙。
「……まあまあ、お茶でも飲んで、落ち着いて」
私はあくまで優雅にカップを傾け、内心では紅茶に水魔法を溢すイタズラを思いついていたが、話が進まなくなるので妄想だけにとどめた。
「それで、何の用だ?」
カンクローが腕を組み、睨んでくる。
「ええ、お願いがあって来たの!」
さて、商談の始まりだ。




