エンドの向こう、馬小屋は目覚めの舞台
それではスタートです。
私は、PCゲームのエンディング画面をじっと眺めていた。
「END」の文字が浮かび上がり、ふぅ、と深く息を吐く。沈み込んでいた椅子から、重い腰を上げた。
「ううううう」
思いきり頭を振り、大きく伸びをする。
ふと気づくと、長年着続けたスウェットが、いつの間にかすっかり短くなっていた。
私の名前は、玉依 澪。
年齢なんて――引きこもってからは、もう思い出さないようにしている。
卒業式、入学式、成人式、入社式、結婚式。
そんな“式”ばかりが好きな同級生たちに嫌気がさし、SNSもいつの間にか見なくなった。
「これで、きっと全部のエンディングをコンプしたはず。裏モードも……」
達成感と満足感が私を満たす。
けれど、ふと寂しさが胸を締めつけ、同時に眠気が押し寄せてきた。
数日ぶりにベッドに寝転びながら、スマホであのゲーム――『ブラックティアラ』のWIKIを検索する。
「これ、発売してから何年経ってるんだっけ……?」
独り言が、もう私の唯一の会話相手になっていた。幸い、まだWIKIのページは残っていた。
私は“攻略情報”を絶対に見ない主義だから、これが初めてのアクセス。
けれど、このゲームは一作限り。続編は、出ていなかった。
ゲーム制作会社:ファイブカラー解散
キャラクターデザイン・シナリオライター:神代 湊
「じゃあ、この神代さんの新作は……?」
検索を続けても、何も見つからなかった。
嫌な予感が胸を締め付けて、私はそれ以上調べるのをやめた。
「そうだ、祝杯に、高級なお茶でも飲もう」
外に出る必要なんてない。ネットがあれば、欲しい物は何でも届く。置き配指定すれば、人に会うことなく済む。
リビングに向かおうと部屋のドアを開けた、そのとき――
つけっぱなしのPCの画面が、さっきと違っているのに気づいた。
「澪、こっちにおいで」文字が書かれていた。
その瞬間、私は驚いて、床に散らばった小物につまずく。
バランスを崩し、ドアの向こうにある階段――
そのまま転がり落ちていった。
※
「あああああああ」……痛くない。階段から落ちたはずなのに。
私の目には、体を包む干し草の匂いと馬。耳には馬のいななき。
私は上半身を起こして、その場所がどこかを確かめる。
馬小屋だ。数頭の馬がいる。そして、天井の梁に吊るされた丸い紐。倒れている脚立。
「いったい何が起きてるの?」
ふと、干し草の中に、立派な封筒があるのが見えた。私は手に取ってみる。そして愕然とした。
そこには――「遺書」の文字。
誰だ? 周りには誰もいない。
だが、私は好奇心を抑えられなかった。
「開かない! 仕方ない!」
朱色の封蝋に浮かぶ紋章に見覚えがあったが、面倒くさかったので、びりりと破いて中身を取り出した。
汚い文字だ。
そこに書かれている文字は……
――はぁ! ゲーム『ブラックティアラ』の文字だ。
簡単に言えば、変形したローマ字。普通の人なら、字幕で読むところだが。
やりこんでいる私は、すらすらと読める。……だが。
『大嫌いなパパへ
サクナ様に助けてもらう、頑張って生きて
さようなら
リリカ』
何なんだ! リリカといえば、敵の一人、悪役令嬢だ。
ゲームのどのルートにも、サクナ様なんて出てこなかったはず! 彼女のノクスフォード家の始祖。
少女が囁く声が聞こえる。
「……まだ、終わりたくなかった」
周りじゃない。私の中から聞こえる声だった。怖いから知らんふり。
そして、破いた手紙の紋章を、改めて確認しようとしたそのとき。
馬小屋の外に物音がした。
誰かが近づいて来る。
「まずい」私は反射的に、服に封筒を――ジャージじゃない。ス、ス、スカート。
どんどんと扉を叩く音。
「リリカ様、ここにいるんでしょ? 拗ねてないで出て来てくださーい」若い女性の声がする。
馬小屋には、内側から横木の閂がかかっている。聴き覚えのある声だ。
フルボイスだったゲームの声で、見分けがつかないわけがない。たとえ端役でも。
「あなた、エマね!」
私は自分の発した声に驚く。
「リリカの声だ……」
「何言ってるんですかぁ。もうすぐナイル様が到着されますよ! ようやく時間を作ってこんな田舎に」
私は好奇心に負けた。いや――ナイルに会えるなら。でも、あいつ、性格は最悪で……。
「待って、この閂どうやって開けるのかな」
クリック一つじゃない。重い木の閂を横にずらすと、馬小屋の扉が開いた。
ギギギギギ。
それは、私が引きこもって初めて踏み出した、外出だった。
光が眩しくて、体が溶けてしまいそう。牧場の風景。広い空。小さな女の子。我が家のメイド服を着ている。
「世界って、美しいのね」
「どうしちゃったんですかぁ。馬糞の匂いにでも頭やられたんですかぁ。いつも、田舎嫌いって言ってたのに」
「何でこんなに自由にしゃべるの?」
私は思わず、エマを抱き上げて、くるくる回る。大勝利だ。勝ち組だ。たとえ現実でなくても、私はこれを望んでいた。
「ははは、エマ、私の名前は?」
「はぁ? 馬鹿にするな。てか、降ろしてくださいよぉ。リリカ様、丁寧に話しますので」
エマの顔が半泣きになって謝っている。
確か、リリカと同い年。口が悪くて、とても小さくて可愛い、悪戯好きのメイド。
彼女の仕掛けるつまらない悪戯は、ゲームのスパイスだった。
「怒るわけないでしょ。それがあなたの個性だもん!」
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。