第94話 片鱗
“ラグン・ラグロクト“の左腕は肩から指の先にかけて黒色に覆われていた。
──その黒い左腕は魔法使いのあらゆる魔法を完璧に無効にし、あらゆる物理攻撃さえも“ほぼ”完璧に防いだ。
だが、今の──過去の記憶を持たないロクトはその左腕の力を持ってはいなかった。
けれどこの時、遥か上空からの落下の際にその力が遂に目覚めた。
──とはいえ、少しだけ。左手のその5本の指だけであった。
ロクトがその意味と効果は考えるまでもなかった。何故なら遥か上空からの落下の衝撃をその5本指だけで完全に防いだのだから。
──しかも衝撃というものを僅かにも感じられない程の完璧な吸収力で。もちろん5本の指も無傷であった。
そこにマイちゃんが泣きながら近寄ってきた。ただその際に身体能力の低下により3度ほど転んでしまったが。
「ぐおーん。ぐおーん。ロクちゃん、ロクちゃん、ごべん、ごべんだざい。オラのせいで、オラのせいで、ぐおーん。ぐおーん」
ロクトは突如として現れた奇妙な指の変色に戸惑いながらも、それよりも泣きじゃくるマイちゃんを案じて右手で優しく頭を撫でた。
「大丈夫。ボクは少しもなんともなっていないよ。だから泣かないでマイちゃん。マイちゃんの方こそ大丈夫?」
「ぐおーん。ぐおーん。オラは、オラはぬいぐるみだから大丈夫だよ。綿でできてるから大丈夫だよ。どんな高さから落ちてもポテってなるくらいだらから大丈夫だよ。ぐおーん。ぐおーん」
この時、キオウは見てしまっていた。スローザとの戦いの最中であるにも関わらずにその緊張を解いて、マイちゃんとロクトの方を見て、そして2人が無事である事に安堵していた。
──故に、スローザがその隙を突いて逃げ出した。
キオウはその走り出す足音に即座に気がついたのだが、まさかスローザがこの場から逃げだすとは予想していなかったので対応に遅れ、その逃亡を見逃してしまった。
まさか逃げるとは……戦争の最中に……しかも敵戦力の要であろう英雄種が堂々と一目散に……。
スローザの生い立ちや性格を知らなければ当然に思うところであった。
◇◇◇
「ぐおーん。ぐおーん。ごべんだざい。あの悪い人間が逃げたのはオラのせいだ。ごべんだざい。キオウごべんだざい。ぐおーん。ぐおーん」
マイちゃんはキオウにも泣きながら謝った。
「ぬいぐるみ。お前のせいじゃない。敵に逃げられたのは完璧にコレの責任だ。まさか逃亡するとは考えていなかったコレの責任だ。お前のせいじゃない」
「でも、でもオラが落っこちて来なかったら……あの悪い人間はお城の沢山の皆んなを沢山傷つけた凄く悪い人間なのに……」
「安心しろぬいぐるみ。コレの部下たちがすぐに見つけるから。逃がさないさ。コレの部下たちは優秀だからすぐに見つかる。だから泣かなくていいぞぬいぐるみ」
「ほんと? あの悪い人間すぐに見つけられる?」
「ああ、本当だ」
そう言ってキオウはマイちゃんの頭を撫でるのだが、その力はどんなに加減をしても強いようでぬいぐるみのマイちゃんの身体は押し潰されていた。
◇◇◇
スローザは持ち前の運動力で階段をあっという間に上り切ると、これまたあっと言う間に場外へと出た。その際に幾人の兵士と鉢合わせになったが、スローザを見た瞬間に兵士たちは萎縮をし、スローザもまた別に殺しても殺さなくてもどちらでもいいと判断したので、今は逃げる事に専念をしたようだった。
走り続けること4時間後、ついさっき走り抜けた田舎町から少し離れた集落で足を止めた。
「あー疲れたな……」
ボヤくようにそう呟く。
「──少し休憩するか。腹も減ったし……」
休憩と腹ごしらえ。だがこの集落にあるのは民家のみであり、そのような宿屋的な施設はなかった。
「──楽だよな英雄種。強ければ天下のこの世界では何も困らないんだからよ。魔法使いとかもこんな感じなんだろうな。はは」
そう言うとスローザは近くの民家のドアを蹴破って中へ侵入をし、住人が驚く声を上げる前にその命を簡単に奪った。
「──万が一にでも他の奴らに気づかれて騒がれると面倒だから、ここら辺りにある家の中の住人は全員だな」
集落の民家の数6軒、住人の数13人。
「ハハハハハハ! 英雄種サイコー! 弱えー奴ザマー! ハハハハハハハハハハハッッ!!」




