第87話 完全無敵の存在
ロクトとマイちゃんの移動時の基本的なスタイルは、現在のマイちゃんは歩くのが困難な為に、ロクトが黄色いリュック(元はミヨクの物)を背負い、そこにマイちゃんが入り、そこから顔を出していた。
故にロクトとマイちゃんを見かけると街の住人たちは老若男女を問わずに特にマイちゃんに話しかけてきた。
「おはようマイちゃん。今日も可愛いね。頭なでていい?」
「うん。おはよう。なでなでしていいよ。オラ嬉しいんだよ」
「おっ、マイちゃん。今日も可愛いね。これ食べる?」
「えへへ。オラ、今日も可愛い? もっかい、もっかい言って。きゃー、きゃー。でも食べ物は食べないんだよ。オラ、消化器官ないし、そもそも口も絵だから。えへへ」
「あっ、マイちゃんだー! ママ、マイちゃんだよ。可愛いね、可愛いね」
「えへへ。えへへ。えへへ」
実に王城のあるこの街にやってきて僅か3日目にして、既にロクトとマイちゃんが通ると人集りが出来るようになっていた。
「えへへ。えへへ。えへへ」
そんなマイちゃんをロクトはとても尊敬していた。自分がこうして街の人たちから警戒されないのもマイちゃんが人気者でいてくれているからだ、と。
◇◇◇
ロクトはアイスの計らい(ゴリ押し)で王城に住む事を許されていた。ただ、15才という年齢から労働(主に掃除)と勉学を行う事が条件とされていた。だがこれに関しては、それが記憶の欠如によるものか、元来の性格によるものかはわからないが、ロクトは苦とは思っておらず、寧ろ喜んで勤しんでいた。
ちなみに、腰まである長い髪は今は耳がはっきりと見えるくらいの位置まで切られていた。
◇◇◇
アイスは、一国の王であるにも関わらず、仕事の合間を見つけては何かしらの理由をつけてロクトの様子を眺めに行っていた。
ああ、今日も頑張ってるわねロクト。本当に健気で素直で可愛いわね。ああ、私の弟。
けれど、当然にアイスがどう想っていようとも格差のありすぎる2人に親密となるチャンスなど訪れる筈もな……いや、そこは純粋で無知で無邪気なマイちゃんが上手い具合に仲立ちの役割を担っていた。
「あっ、王様だよ。また勉強の様子を観に来ているよ。ロクちゃん、手を振って、手を! きゃー、きゃー」
また、場内の清掃中に偶然に会った時も、「ロクちゃん、王様だよ。今日もまた会ったね。お話しよ。お話しよ。えへへ。えへへ」と、無意識の内に親密になる手助けをしていた。
故にアイスはマイちゃんを、本当に可愛くて素敵で可愛くて可愛いぬいぐるみだと思っていた。
そしてその結果、ロクトはアイス国王の仲良しとして場内の者たちに広く知れ渡り、暗黙に特別に認知されていた。
──アイス国王がそれを望むなら、と。まだ16才の少女だし、と。年齢の近い友達がいた方が、と。前王の娘という事を知っている者たちは特に温かい目で見守っていた。
それがロクトとマイちゃんがこの王城に住んで僅か5日目の事だった。
◇◇◇
マイちゃんは眠らない。そういった機能が備わっていないからだ。故に永遠に起きていられる。ちなみに食事を摂取するという機能もないから腹も減らないし、エネルギーを消費するという概念もそもそも存在しないから体力も無尽蔵である。
故に、マイちゃんはミヨクに魂(時間)を抜かれない限り、完全に無敵な存在であった。
だが、これまでに何度かミヨクが魂を抜くのを忘れた事があり、その際に夜中にゼンちゃんと騒いで、それをミヨクに叱られた事があったので、マイちゃんはロクトがベッドで眠っている時はテーブルやら棚やらの上に座ったまま一切動かないようにしていた。基本的に骨やら神経がないので同じ態勢でずっと居ても辛くはなかったし、そういった概念も持ち合わせていなかった。
ただ、この日、この王城にやってきて7日目の深夜2時、暗闇の中でマイちゃんは急に静かな声で話し出した。
「……ねえ、ねえ」
いつもの屈託のない笑顔はそこにはなかった。無表情で顔だけをベッドの上で眠っているロクトに向けている。
「──……ねえ、ねえ」
動かない。目も口も静止(絵)したまま。
「──……ねえ、ねえ、ロクちゃん」
やがてベッドの上でロクトが目を覚ます。
「……いや、うん。最初の、ねえ、の時に起きていたよ……。ボクがマイちゃんに2時に起こしてって頼んでいたから熟睡していなかったからね……」
そう、これは単に目覚まし時計であった。怪奇現象的な感じでぬいぐるみが急に奇声を発した訳ではなかった。
「──……ただマイちゃんが怖い雰囲気で起こしてくるからすぐに返事できなかったんだよ……。ねえ、マイちゃん……なんで急に静かな口調なの? ワザと、ワザとだよね……?」
「……」
その問いに対してマイちゃんは何故か口を噤み、まるでそこにあるのはただのぬいぐるみであるかのように静かにしていた。
──と、いう深夜ならではの冗句をしたマイちゃんであった。ちなみにこの発案者はゼンちゃんであった。
◇◇◇
ロクトが深夜2時に起こしてもらったのには理由があった。
それは昨日の正午くらいの事。朝の城内清掃が終わり、昼食を済ませて、これから勉学の為の教室へと移動している最中に、ふっ、と声が聞こえた。直接脳に、或いは心の中に話しかけてくるような不可思議な声が。
それが、深夜2時に“コレ”に会いに来い。というものであった。
ロクトは暗黙にこれを無視するべきでさないと悟り、今に至ってた。
何処に行くべきかはなんとなく声と同時に頭の中に浮かんできていた。道順もぼんやりとなんとなく。
この王城の地下。
そこへと続く道は別に複雑でも閉ざされている訳でもなかった。ただ扉は2つ程あり、そこには、関係者以外立ち入り禁止、と書かれた札が掛かっていたが、施錠はされておらず、進む事が容易であった。
ギイィ…。バタン。
扉を抜けると壁には松明ほどの灯りをもつ火の魔法が幾つも浮かんでいて階段を照らしていた。底は随分と深いようで、踏み面を次々と踏んでいったもなかなか終わらりが見えなかった。
ようやく足の裏の感覚が変わったのが、実に階段を降り続けて30分後のこと。
そこは床も壁も全てがコンクリートで作られた円形の広場であり、照らす灯りもここに来るまでの仄かなものに比べてその光量が強く、幾つかの巨大な柱が並び立っているのが確認でき、そして、その柱の一つに何かが凭れて座っていた。
巨大な何かが、こちらに顔を向けて座っていた。
キオウ。
このポトスの国の護り神。




