第81話 金色の髪の女と、改名
「マジか……ってか、テメー嘘ついてんじゃねーエルタルロス。テメー程の奴が足が痛いくらいで敵を逃す筈ねーだろうが! 仮に痛くてもすぐに立てバカ!!」
魔法使いとは違い、普通に年老いていく(この世界の普通の人間の平均寿命は80年くらい)老人に対してフルーナの心のない怒声が飛んだ。
「いや、いや、フルーナよ……。わっしは実は片脚になってから初めてあの高さから飛んだんだが……凄い衝撃だったぞ。だから無理。普通に無理だった。ふぁっふぉ」
「あん? 笑ってんじゃねー。どこに面白いとこがあったんだコラ? あん、エルタルロス」
「……総隊長……。おんし、いつも言っているが、わっしの事は呼び捨てではなく総隊長と……」
「うるせーバカ!!」
フルーナは、もうなんか自由な奴だった……。ちなみに敢えてもう一度説明するが、治安維持連隊の中で一番に偉いのが総隊長のエルタルロスで、No.2に位置にする大隊長のフルーナは平たく言えば部下であった。
「……いや、そもそもおんしが言ったんだろ? 部隊ってのは上下関係はしっかりした方がいいって……」
「──うるせーバカ!! テメーが私より偉いわけがねーだろうが! 寧ろ慎めバカ!」
フルーナはもうなんか凄い奴だった。ただ、もしかしたらなのだが、先程ツナギ服のこん畜生を逃して悔しい分の八つ当たりも含まれているかも知れなかった。
そして、治安維持連隊の総隊長である、上司でしかも年上であるエルタルロスもフルーナの怒号には何も言い返せないでいた。
「……」
それから数分後──
「ところで、なんださっきのアレは? 魔法使いか?」
エルタルロスがフルーナにそう聞いた。
「あん? 魔法使いじゃねーよ。テメーと同じ英雄種だろ? 私の防御魔法を素手で打ち破ってきてたぞ」
「うーん……。じゃあ英雄種か。生身の拳で魔法使いの……しかも参大魔道士のおんしが作った防御魔法など貫けないからな……。だが、だとしてもあの再生能力は説明がつかんけどな」
「あん? そもそもあんな再生なんて魔法にもねーよ。異常だ、あんなの。首が切断されたんだぞ。治るってなんだよコラ」
「いや、わっしに怒られても……まあ、でもおんしがこの島を巻き込まんででも倒したい気持ちは理解した……いや、許される事じゃないけどな」
「あん? バカかテメー。許されねーのは分かってんだよ。ただ、さっきのあのバカは今すぐに殺さなきゃなんねーって感じたからそうしただけだ」
「……まあ、確かに末恐ろしい奴だったな。おまけに本当かどうかは知らんが、力を取り戻したら、とかなんとか言っていたしな。って事はあれで本気じゃないって事だろ?」
「あん、知らねーよ。どっちにしろ益々舐めたヤローだ。本当、殺しておけばよかった──」
「ふぁっふぉ。あやつ、また来るって言っていたぞ」
「あん?」
「だったらわっしらは待っていればいいだけだろ? 返り討ちにすればいいだけなんだからな。ふぁっふぉ」
「あん?」
「ん? わっしらより強い人間なんてそうは居ないだろ?」
「あん? そりゃそうだが、テメーにしては意見がまともだっからちょっと驚いていたんだよ。笑い方もいつもの如くキモいしよ。ははん」
「キモ……ま、まあいいさ。ふぁっふぉ」
「ははん」
「ふぁっふぉ」
なにかどっちもどっちの2人であった。
◇◇◇
その頃、逃げだしたツナギ服のこん畜生は金色の髪をした1人の女と遭遇していた。
20代前後と見られる細く長くどこか儚げな表情をした美しい女。ツナギ服のこん畜生はフルーナとエルタルロスの自由な服装しか見ていなかったので、この女が治安維持連隊の専属の服を着ていたがそれには気付かなかったのだが、ただタイミングと雰囲気的にすぐに敵だとは勘付いた。
雰囲気。一見として表情からは何も感じられないが、鞘に収まった剣の柄を握りこちらを見つめるその眼光からは獰猛な殺気が感じられた。
距離は10メートル。逃げる事に専念したいツナギ服のこん畜生は取り敢えず無視をするが、金色の髪をした女はやはりと言うべきか、即座に間合いを詰めようと歩を動かした。
──が、刹那、グキッという音と共に女は苦悶の表情を浮かべながらしゃがみ込んだ。
「……」
ツナギ服のこん畜生は意味が分からないと思った。なんだコイツは、と思った。思ったが、すぐに、まあバカならそれでいい、と判断をしてそのまま海に向かって走りだした。
「あっ、ま、待て!」
金色の髪の女は慌てた。それが痛みを堪える力になったようで何とか立ち上がった。けれどこの時点でツナギ服のこん畜生との距離は20メートルほど離れていた。
「──待て! 待てと言っているだろうが!!」
大きな声。それと同時に女は鞘に収まっていた剣をぬ──いや、その前にたぶん物凄く力んでいるのだろう、美しい顔を台無しにするくらいに目鼻や頬を大きく見開かせてだいぶ不細工な顔を作ってから剣を鞘から抜いた。
速かった。金色の髪を微かに揺らしながら真横に走るその一撃は、これまでの無様を帳消しにしてしまうくらいに速すぎる程に速かった。
神速?
風切り音が凄まじい勢いでツナギ服のこん畜生に迫る。そして彼がその異常な音に思わず振り返った瞬間に、バシュンッ!! と痛烈な音が辺りに響き、ほぼ同時に両方の瞼から血渋が激しく舞った。
斬撃。
金色の髪の女との現在の距離は20メートル以上。それを風圧のみで貫いた。
なんだそりゃ? あるのかそんな事? 剣を鞘から抜いただけの風圧で……。
だが、斬撃はその一度きりで、さっきのグキが効いているのか金色の髪の女からの追撃はなく、ツナギ服のこん畜生は例の驚異的な治癒能力の効果ですぐに血が止まり、視界が鮮明に戻ったタイミングで減速していた足を再び加速させて結局は海へと逃げていった。
◇◇◇
金色をした髪の女の元にフルーナとエルタルロスがツナギ服のこん畜生を追ってやってきた。
「おっ、シュレン。こんな所に居たのか?」
エルタルロスがそう言って金色の髪の女に足早に近寄っていった(ちなみにエルタルロスは鞘に収めた剣を松葉杖代わりにしている)。
「──こっちに変な奴が走って来なかったか?」
「変な奴? 来たぞ総隊長」
金色の髪の女シュレンはそう答えた。
「なっ! 来たのか? そ、それでおんしは大丈夫だったのか? なんともないか? どれ、どれ」
そう言いながら心配そうにシュレンを触診しようとするエルタルロス。だが、即座にフルーナに「触るな。殺すぞ」と殺意を浴びせられてすぐに止まった。
「……大丈夫だ。総隊長。ただ、その変な奴の眼球は斬っておいたぞ。距離が離れていたから風圧のみだったが、眼球を斬っておいたぞ。ただそれでもその変な奴はたぶん海に逃げていったがな。でも眼球は見えなくしておいたぞ」
「そ、そうか……って、が、眼球って……おんし、目の事を眼球っていうのか? そんな美しい容姿をしているのに? 目だ、目! その方が絶対に可愛いぞ。それに前から言っているがわっしの事は如何なる時でも総隊長ではなく、お父さんと呼んで……ほしいな、なんてな……」
「ん? いや、隊の中では総隊長と呼べと言っていたのはお父さんのほうではないか? お父さんの方がいいのか?」
「大丈夫だシュレン。ソイツの事は総隊長でいい。なんなら呼び捨てでも構わない。ソイツの頭がおかしいだけだ。気にするな。眼球よりも目が可愛いってのもソイツ独自の馬鹿な発言だ。何も気にするな」
「……わ、分かった。じゃあ総隊長で眼球のままにする」
シュレンはエルタルロスよりもフルーナの意見を尊重し、それが当然に気に食わないエルタルロスは恨めしそうにフルーナを見るが、すぐに「あん?」と睨み返されて慌てて視線を逸らした。
「……そ、それで、け、怪我はないのかシュレン?」
「大丈夫だ。ただ、足をグギっとやって今すぐには動けないだけだ。だから心配するな総隊長」
「そ……えっ、あ、足を! う、嘘だろ……そ、それは一大事ではないか! 見せてみろ! あ、ああ、なんて事だ! 見せて見ろ!」
物凄く過保護の親のように狼狽えるエルタルロスに、「そこをどけ」とフルーナがやってきて、そのままシュレンをお姫様抱っこした。
「大丈夫か? 今日はもう仕事はいいから家に帰って安静にしてろ」
「いや、だ、大丈夫。少し捻っただけだから……だから──」
「駄目だ。私の言う事が聞けないのかシュレン?」
ピシャリ、ピシャリと相変わらずの言い方をするフルーナだが、端的にいってその言葉の中にはエルタルロスの時とは比べものにならない程の優しさで出来ていた。
「分かりました。おか……いえ、フルーナ大隊長」
シュレンが素直に従い、それが嬉しかったのか、フルーナはこの日はじめて優しい笑みを浮かべた。
「ははん」
エルタルロスはそんな2人を見て物凄く何かを言いたそうにしていたが、結局特には何も言わなかった。
「わっしの娘なのに……」
いや、結局はそうぼやいていた。
◇◇◇
海面をバタ足だけの背泳ぎをしながら、ツナギ服のこん畜生は悔しそうに呟いた。
「……弱いな今のオレは……まさか初戦で負けるとはな……」
フルーナにエルタルロスに最後の金色の髪の女。
「──だが……まあ、カカカ。神獣の治癒は健在か。それが分かっただけでも得はあったか」
神獣の治癒能力。
「──だったらオレが生きていくには、どうとでもなりそうだな。──あとは、てっとり早く神獣を宿したオリジナルのオレを見つけだせれば……いや、まあ、そこは運任せだがな。カカカ」
ツナギ服のこん畜生はそう言って笑った。
「──……ただ、ラグン・ラグロクトか……。今の不完全なオレが名乗る訳にはいかないな……」
不意にツナギ服のこん畜生はそう言った。
「──ラグ、でいいな今のオレは。不完全なラグン・ラグロクトでラグ。カカカ」
ラグ……。ロクトに続き、彼もまた名前を勝手に変更した。
ラグ。
「カカカッ」




