第74話 その男から始まる物語
その男は全ての記憶を持っていた。
800年前に世界を滅ぼそうとして、ルアとその仲間の魔法使い達によって封印されるまでの記憶をほぼ完璧に覚えていた。
故に思う。
これは自分の身体ではない、と。
力がまるで足りない。あらゆる全ての魔法を無効にする事の出来る左手も今は右手と等しく普通の人間と同じものであり、その色も黒色ですらない。何よりも、身体の内側に神獣の存在が確認出来なかった。
これでは、つまりは、ただの人間。
「……あの女……”ルア”の仕業か……」
口惜しそうに呟きながら、立ち上がる。
ただ、理解は出来ていた。この世界には神獣が“まだ”存在していて、それを再び自分のものにする事が出来るのであれば、あの圧倒的な力が復活することを。
だったら、自分のすべき事は──
いや、その前に腹がぐーっと鳴った。
「──……先ずは腹ごしらえか」
彼はそう言うと歩き始め、そのままソクゴの神殿を後にした。
ラグン・ラグロクト。800年前の──体内に神獣を宿した後の記憶を持つ“もう1人のラグン・ラグロクト”。
──彼は、その時の神獣の“怒り”により悪意だけが増幅された存在でもあった。
◇◇◇
この時点でミヨクやファファルがこの存在に気づいていたのならば、今後の世界は“ああはならなかった”のかも知れない。
けれど、ミヨクもファファルももう1人のこのラグン・ラグロクトを認識出来なかった。何故ならこの時点での彼は神獣の力を宿しておらず、左手にも特別な効力が無く、つまりはミヨクとファファルが危惧する程の恐ろしい力をもった存在ではなかったのだから。
◇◇◇
彼の空腹具合はほぼMAXであった。しかし、この場にはソクゴの神殿以外には何もなく、仕方がないので彼は海を眺めた後で舌打ちをし、それからその辺に落ちている割と先端が鋭利になっている石を拾うと、それで鬱陶しいくらいに伸びている赤髪を限界まで剃り落とし、それから海を──歩いて渡ろうとした……のだが、そんな事が可能な筈もなく、一度沈んでから再び上昇をしてくると、また口惜しそうに舌打ちを打ちをして、今度は背泳ぎを始めた。しかも足だけをバシャバシャとさせながら。けれどその脚力は凄まじいものがあり、相当な速度であった。
陸地がどの方向にあるかは彼は知らなかった。ただ、いずれはどこかにぶつかるだろうと考えていた。ぶつかってからどうすればいいかを悩めばいいと思っていた。目算で24時間くらいは余裕で泳げそうな気がしていたから何とかなるだろうと思っていた。
……。仮に、もしも40時間くらい泳いでも陸地が見つからず、そこで彼の体力が尽きたのなら今後の世界はああはならなかったのかも知れなかった──のだが、残念ながら18時間後に陸地が存在してしまった。
元はロイキの大陸、今はロイキ共和連国と名を改めた、その南の端のナバナの港町に彼は無事にたどり着いてしまった。
◇◇◇
彼が先ず最初に気づいたのは、そういえば自分が素っ裸であるという事であった。
別にそれでもいいと思ったのだが、気紛れに近くにあった船から荷持を降ろす作業をしていた者からその作業服 (青と白のツートンカラーのツナギ)を奪い取ってそのまま着た。
次に空腹を満たす為に適当な食事処に入り、大量の料理で腹を満たすと、至極当たり前の顔をしながら暴力で会計を済ませた。
それから彼は、さも当たり前のような顔をしながら、町に並ぶ建物を次々と壊していった。
凶行、狂人の出現により町人たちは騒然とし、すぐにその町の強者たちが彼を取り囲んだ。
「カカカッ。分かりやすくていいだろ。さあ、やろうテメーら。皆殺しの始まりだ。カッカッカッ!」




