第38話 カネアの大陸の女王と英雄⑥
茶色い短髪の男は、名前をイロアといった。
彼が自分が英雄種だと自覚(潜在能力を解放)したのは、5歳の頃だった。旅の途中で両親が魔獣たちに殺された事により、怒りによって強制的に解放された。
不幸な生い立ちであるのだが、その強さのがおかげで20歳の現在まで生きる事には困らなかった。
彼はずっと旅をしていた。このカネアの大陸で。両親がそうであったから他の生活手段を知らなかったからだ。
10歳を過ぎた頃から魔獣ハンターを名乗りはじめた。魔獣の被害に遭っている町の人々を救うと大いに喜ばれて、それが食へと繋がったから自然とそうなった。両親から学んだ基礎以外の生き方(言葉やその使い方や礼儀や態度など)は町の人々との交流から習得をした。
スマートな生き方は知らなかった。親という指針がなかったのだから仕方がない。故に彼はひたすらに我武者羅に生きてきた。
そして、それは剣技にも現れていた。
力任せの一刀両断。
──5歳の頃から強制的に父の形見である剣を振るってきたイロアには、技やペース配分という概念はなかった。勿論それは無知故にであり、それを可能にできる程の力が彼にはあったから出来た事なのだが、それ以上に戦うという事をもっとシンプルに考えていたからであった。
生命と生命の、魂と魂のぶつけ合い。
故に初手から全力で立ち向かう。
全ての攻撃に全身全霊の一撃を込める。
それが戦うという事と認識しているから。生きるという事と認識しているから。
それ故か、ミヨク曰くその一撃には威力があった。魂を喰われるかのような迫力があった。
現に時の魔法による未来予知とはいえ、世界の三大厄災のであるミヨクをたった1人の力だけで一刀両断にした。
それはファファルには及ばない(ミヨク曰く)にしても、それに近しい強さを持つ英雄種の中でも更に稀な存在といえた。
──けれど、そんな彼にも弱点はあった。
なにせ疲れた。常に全身全霊を賭けたその我武者羅な戦い方は、非常に体力がすり減った。しかも彼は敵が弱いか強いかに関係なくひたすらに全力なのだから。
魂のぶつけ合い。敵が誰であれ。
──この日、イロアは18体もの魔獣を退治し、その報告を町の人々にしに行く途中であった。近道にと静かな湖畔を通ったのが間違いであった。程よい日差しと木々の間を抜けてくる風が思いのほか心地よく、誘われるがままに休憩をとり、そのまま眠ってしまったのだから。ただ普段のように警戒心をマックスにするのは忘れなかったのだが。
──そこへ時の魔法使いのミヨクがやってきた。
そして、何の前触れもなく且つ悪魔の所業のごとく時の魔法(ウラ・コノメ・カ《そこはスローモーション》)を使われた。それから更に歩み寄ってこられた。
それは爆睡をしていても伝わってくる恐ろしい気配であった。殺意とはまた違う、まるで水底に沈められたような息苦しい圧迫感と、それに抗う事が出来ないような絶望感。イロアは慌てて瞼をこじ開けると、間髪を入れずに立ち上がり、反射的に得意の上段の構えをとった。
だが、
景色がおかしい……。
イロアは咄嗟にそう思った。
──どう説明すればいいのか悩むのだが、大雑把に言ってしまえば、全てがブレている。目の前の人 (ミヨク)らしい何かも、湖畔も木々も、陽の光もその色も、風の音も、全てが絶えず不気味に揺れ動いている。まるで自分と景色の時間の流れが異なっている(正解)かのように。
「なんだ、これ……夢?」
イロアは当然に先ずそう思った。だが、そうではない事は目の前の人らしい何かから絶えずに放たれている恐ろしい圧力から理解していた。犯人は間違いなくコイツだ。コイツが何かをしているんだ、と。故にイロアは考える事を止めた。無心となる事で現時点での目的を一点に絞り、ただ目の前の何かに向けて剣を振り下ろそうとした──のだが、その前に目の前のその何かは光のような速度で去っていった。
「ま、待て!」
イロアはすぐに追いかけた。
そしてブレている景色に飛び出した瞬間、頭の中が真っ白になり、ふっと意識が飛んだ。
──彼が再び目を覚ましたのは陽の光が赤く染まりだした頃だった。気分が冴えずにぼーと空を眺めていると、やがて先程の出来事を思い出した。
「……夢か……」
ボソリと呟く。
「──いや、夢じゃないだろうな……きっと」
そう言って上半身を起こして簡易的に身体を検査した。目に見える外傷も、目には見えない内面にも特別な変化は感じられなかった。
「──ならいいや……。生きているのならそれで……」
そう言うと彼は立ち上がり、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。
イロア。これが時の魔法使いミヨクとの初めての遭遇であった。
──ただ、この出来事は本人たちの記憶にはたぶん残ってはいないのだが。




