第105話 ミヨク、1000年前──⑥
この世界の戦争は魔法使いによる攻撃が中心であった。故に敵国に魔法使いが何人居て、そこに大魔道士以上の階級が何人居るのかを知る事が重要であった。
戦争の初戦を任されるのは、大体が攻撃する側の国のエリート集団ではなく、魔道士たちで多く編成された部隊で、その上官として数人の大魔道士と、部隊長に弐大魔道士を置いている事が多かった。
これは国境を守る警備隊のその戦力が一般的にその程度で楽勝と推察された為であった。
戦争の初戦はただの情報戦。攻撃側の魔法使い達で敵の国境警備隊を撃破して、そこに援軍として何人の魔法使いと大魔道士以上を送ってくるかを知る為のもの。
つまり、戦争を仕掛ける側も仕掛けられる側も、上官や援軍以外は“国の捨て駒”である事が多かった。
そう、国を最前線で守る国境警備隊が捨て駒。町からだいぶ離れた位置に砦があるのは援軍が来て、すぐにここが戦場になってもいいようにと敢えての事であった。
国境警備隊──援軍が来るのを待つ間の時間稼ぎをする者たちの事。
それが全ての国の扱いではないが、少なくともアトラの住むこの国では国境警備隊はそんな役割りであった。
◇◇◇
魔法使い以外の人間は人間に非ず。
今よりも昔に本当にあった言葉。
それだけ世界は今よりも圧倒的に不平等であった。
力の優劣が人の優劣。
──後に英雄種が誕生したのは、きっとそんな一強を許さない神の仕業なのだろう。
◇◇◇
隊長は──アトラの慕う国境警備隊長は魔法使いでも英雄種でもなく、ただの筋力のある普通の人間だった。
故に、隊員から敵国が攻めてきたと報告が入ると、一瞬顔が強張った……が、すぐにそれを悟られないように大きな声で笑うと、それから鎧に身を包みながら、隊員たちを集めてこう話した。
「……まあ、無理だわな。この世界で戦争が起きずに定年を迎えるなんて……。それでも20年以上は大きな戦争は無かった。それでよし、と納得するか。なあ、皆」
この砦にいる隊員の数は全部で15人。隊長はその一人一人の顔を見回すと更にこう言葉を繋げた。
「──お前らとは家族以上の付き合いだ。世話になったな。さて、部隊を分けるぞ。国に援軍を要請する部隊と、ここに残る部隊を──俺以外は全員が中心街に向かい、そして援軍を要請してきてくれ」
犠牲者は俺1人で十分。
その意見に反論する者は……誰も居なかった。隊長は隊員からも凄く慕われているのだが、それとこれでは話が別であったからだ。なにせ普通の人間では決して魔法使いに敵わない(この時代の統計では100%)のだから。故に魔法使いと戦うという事はそもそもが無謀であり、ここに残るという事は単に無駄死にを意味し、それを隊長は1人で充分だと告げているのだ。
犠牲者は俺だけで十分。
「──なあに敵からすればこの砦に人間が何人いるのかなんて重要じゃないさ。大事なのは宣戦布告の為にこの砦を破壊する事なんだからよ。だからお前たちは皆この砦から──」
「オイラは残るよ」
強引にそう割り込んできたのはアトラだった。けれど、それはすぐに隊長が「ダメだ」と制した。
「──いや、それがダメだって事はお前もよく分かっているだろアトラ。それが必要か不必要かは今は置いておいて、戦争には戦争のルール……いや、定石か……そんなアホみてーのがあって、お前ら魔法使いの出番はこの砦が破壊されて、敵国の宣戦布告が成功して、本格的な戦争が始まったその時なんだからよ」
それが戦争の定石。すなわち捨て駒たちの役割。
「……知っているよ……いや、知りたくもないけど分かっているよそんな事は……。でも、オイラは弐大魔道士でこの国で6番目に強い魔法使いだ。今この場で敵を返り討ちにしてしまえば誰も文句は言わないだろ?」
「……お前は優しい奴だからそう言うよなアトラ。でもそれが不可能だってのはお前がよく分かっているだろ? お前1人じゃ無理だ。援軍の到着を待つしかない。しかも今のオマエは弐大魔道士の魔力じゃないんだろ?」
「でも……でも、それでもオイラは残るよ。魔法使いが魔法を使えない人たちを救わずに何の為の魔法使いだって話だからさ!」
そう言うとアトラは隊長の制止を振り切って単身で外に飛び出して行った。
アトラらしい行動と言えばそうなのだが──ただ、これは愚行以外の何でもなかった。
◇◇◇
アトラが外に出ると砦は既に囲まれていた。そして水の魔法で作られている防御壁が今まさに打ち破られた所であった。
国境線の窮地──なのだが、しかしアトラはそれは都合がいいと咄嗟に思った 何故なら防御壁を破るくらいの魔法を使う者は敵の上官の可能性が高く、恐らくそれが今は最前列に来ているだろうから。
それならば比較的に話が通じやすいだろう、と考えたのだ。
そして、
「オイラはこの国の魔法使いで弐大魔道士のアトラだ! お前たちの中でリーダーは誰だ?」
と大きな声でそう言った。それに対して案の定敵の最前列にいた1人の男が両端に2人を従わせながら近寄ってきた。
「俺がこの部隊の指揮官だ。珍しいな、国境警備をする下位の人間たちの中に魔法使いがいるなんて。情報が漏れたか、はたまたお前達の国ではそういうものなのか?」
「違う。たまたま今日はオイラが居ただけだ。普段は魔法使いはいない。ただ、お前、人間に対して下位とか言うな。ここにはオイラの尊敬する人たちが居るんだから」
「なんだオマエ、生意気だな。命乞いしに出て来たと思ったのに違うのか? まさか戦うつもりか? 1人で? しかも弐大魔道士と言ったが俺にはお前の魔力がそこに到達してないように思うが、無駄死にするのが本望か? 俺たちはこの境界を超えてお前たちの国に宣戦布告さえ出来れば任務完了なのだが、お前はどうしたいんだ?」
どうしたい? その問いにアトラの脳は瞬時に好機を見出した。
「だ、だったら、ここの砦に居る人たちは見逃してくれないだろうか! 無駄に人が死ぬ必要はないだろう! 砦はお前たちにくれてやるから! 戦争はどの道はじまるんだろ? だったら──」
「なるほど。確かにそうだな。俺たち先発隊の目的には人の生死は含まれていない。ふむ。なるほど、なるほど。そうだな──」
指揮官はそう言いながら何やら右手をすっと上げ、そしてそれをすぐにアトラの目の前に落とした。すると指揮官の後ろにいた20人程の魔法使いたちが一斉に攻撃を始めた。
ドオーン! ドオーン! ドゴーン!!
しかもその照準はアトラでも砦でもどちらでもいいようで、雨嵐のように適当に魔法を撃ちまくってきていた。
「──ギャハハハハッ! なんで俺を説得しようとしてるんだ? お前の意見なんて聞く訳ねーだろうが! 無駄に人が死ぬのが戦争なんだよ! バーカ! ギャハハハハハッ!」
◇◇◇
アトラが自身の行動が愚行だったと気づいたのは、砦の中から仲間の皆が次々と出て来た時だった。
アトラの思惑では、自分が敵国と対峙している隙に皆が逃げてくれればいいと考えていたのだが、むしろ真逆の事態が起きてしまった事に驚きを隠せないでいた。
「み、皆……な、なんで……」
──だが、それは冷静になって考えると当たり前の事であり、だからこそ愚行だと気づいたのだ。
なぜならアトラは国の上官(王守魔法隊)であるのだから──……いや、勿論そうではなく、この砦にいる誰もがアトラの事を好きであったからだ。故にアトラを助けたいと皆が当たり前に思ってしまったのだ。
隊長は部下たちを止める事が出来なかった。部下たちの意志の強さを尊重せざるを得なかったからだ。アトラを助けたい気持ちは自分も同じであったから余計に。だから隊長は外に飛び出した瞬間に複雑に考える事を潔くやめた。無駄死にとか、部下たちの生死とか、そういう複雑な考えの一切を。
──故にシンプルに、大きな声で笑い、そしてアトラにこう告げるのだった。
「アトラ! 聞こえるか!? 関係ねーからな! 俺たちはお前を助けに来たわけじゃねーからな! これは俺たちの役割なだけだからな! 戦争が開始された時にここで敵を足止めするのが俺たちの仕事で、そしてそれで給料を貰っているんだ。だから役目を果たすのが当たり前の事なんだ! だからお前は何も気にするな! ただお前もお前の役割は果たせ! この場からすぐに撤退して、救援を呼んできてくれ! この国で生活をしている魔法使いとして、お前も役割をきちんと果たしてくれ! 頼む!!」
その言葉は決してアトラを咎めないという遠回りの優しさに包まれていた。だから愚行者はただ、だだ──自身の浅はかな行動を悔やむしかなかった。
◇◇◇
あっという間の出来事だった。
まるで紙切れが強風に吹き飛ばされるように、簡単に人の命が散っていった。それほどまでに魔法使いと魔法を使えない者との戦力差は圧倒的であった。
激しい豪雨のように打ち続けられる魔法攻撃を前に、アトラは自身を防御する魔法を展開するだけで精一杯だった。
ただ、それでも1人でならば撤退する事は可能であった。
だがアトラはそうはしなかった。隊長に「早く行け!」と何度も怒鳴られようとも、ただ、仲間たちの死を見続けていた。満身創痍になりながらもそれでも立ち上がり怒鳴り声と仲間たちを鼓舞する隊長の勇ましい姿を見続けていた。自身の後悔を重ねながら……。
そして、やがて、隊長が力尽きて地面に膝を着けた。
──その瞬間だった。
アトラが自身の防御魔法を解いたのは。
敵の魔法攻撃が激しさを増すこの状況でその行為の意味は、無論一目瞭然であった。
死。
そう、アトラはそれを望んだのだ。望んでしまったのだ。
──後悔よりも、悲しみよりも、そちらの方が楽だと考えたから。考えてしまったから。
故に、目を閉じ、静かに生命の終わりを受け入れた──……
……──が、
まさに、その時だった。
聞こえてはいけない声が聞こえた。
──聞こえてしまった。
「助けに来たよ」
……助けにきたよ。
タスケニキタヨ……。
ミヨク。
それは久しぶりに聞いた声であったが、間違いなくミヨクの声であった。