十一話
そのとき――
ドンッ
下の階から鈍い音が響いた。
二人の会話が止まる。
ドン...ドン...
「...聞こえました?」
「ああ」
彩斗はゆっくり立ち上がる。
音は一階から聞こえる。
何かがシャッターを叩いているような音だ。
志乃が小声で言う。
「ゾンビ...?」
「かもしれない」
彩斗は窓から階下を覗こうとした。
その瞬間。
「助けてくれええええ!!」
男の絶叫がデパートの中に響いた。
次の瞬間。
ガラスの割れる音。
そして――
うめき声。
「う゛あああああああ...」
複数の。
志乃の顔が青ざめる。
「...人がいます」
「ああ」
彩斗は刀を抜いた。
銀色の刃が朝日に光る。
「助けますか...?」
志乃が聞く。
数秒の沈黙。
彩斗は静かに言う。
「状況を確認する」
「無理なら?」
「無理なら逃げる」
「...冷たいですね」
「生き残るためだ」
志乃は少し考えたあと、うなずいた。
「分かりました」
彩斗はドアに手をかける。
「静かに降りる」
「はい」
「音は立てるな」
「分かってます」
ゆっくり扉を開く。
デパートの薄暗い通路。
階段の下から聞こえる――
肉を引き裂く音。
彩斗は小さくつぶやいた。
「...間に合わなかったかもしれないな」
二人は息を潜めながら階段を降りていく。
その時だった。
下のフロアから、誰かが叫んだ。
「おい!!上にいるだろ!!助けてくれ!!」
彩斗と志乃は目を合わせる。
そして――
階段の下から、
全力で走ってくる
大量の足音が聞こえた。
階段の下から響く足音は、明らかに一人のものではなかった。
ドタドタドタドタッ――
何人もの人間が必死に走ってくるような音。
だが、その中に混じるのは――
「う゛ぁあああ」
低く濁った、あの声だった。
ゾンビだ。
彩斗は瞬時に判断する。
「長瀬、戻るぞ」
「え?」
「このまま降りたら挟まれる」
二人は静かに、しかし急いで階段を引き返す。
その瞬間――
「うわああああ!!来るなああ!!」
男が階段の踊り場に飛び出してきた。
三十代くらいのサラリーマン風の男。
スーツは血で汚れ、ネクタイはちぎれている。
その背後から――
ゾンビが五体。
腕を振り回しながら階段を駆け上がってくる。
「助けてくれ!頼む!!」
男は彩斗たちを見ると、必死の形相で叫んだ。
志乃が息を呑む。
「笠井くん!」
彩斗は一瞬だけ考えた。
距離。
数。
退路。
そして――
刀を構えた。
「長瀬、下がれ」
「え...?」
「ここで止める」
ゾンビが階段を上がってくる。
一体目が手を伸ばした瞬間――
シュッ
銀色の軌跡が走った。
ゾンビの首が、ゆっくりと宙を舞う。
ドサッ
頭のない体が階段に倒れる。
志乃の目が見開かれる。
「...っ。速い」
彩斗は無言で次のゾンビへ踏み込む。
二体目。
横薙ぎ。
頭部が半分吹き飛ぶ。
三体目。
袈裟薙ぎ。
刀が眼窩から脳を貫く。
ゾンビが崩れ落ちた。
だが――
「くっ...!」
四体目が腕を振り回してくる。
彩斗は身体をひねって回避し、肘で押し返す。
そのまま、
斬る。
最後の一体が階段の途中で止まった。
ゾンビは仲間の死体を踏み越えながら、ゆっくりと近づいてくる。
彩斗は一歩踏み込む。
「終わりだ」
一閃。
ゾンビの頭が真っ二つに割れた。
静寂。
階段に転がる五体の死体。
志乃はしばらく言葉を失っていた。
「...すごい」
彩斗は刀についた血を軽く振り払う。
「まだだ」
そう言った直後――
下の階から
「う゛ぁあああああ」
大量のうめき声が聞こえた。
志乃の顔が青ざめる。
「まさか...」
階段の下に、影が見える。
一体。
二体。
三体。
十体。
「集まりすぎだ」
彩斗は舌打ちする。
さっきの戦闘音で呼び寄せてしまったらしい。
そのとき――
「た、助かった...」
サラリーマンの男がその場にへたり込む。
「ありがとうございます!本当に...」
彩斗は男を見る。
「立て」
「え?」
「ここにいたら死ぬ」
男は震えながら立ち上がる。
志乃が聞いた。
「他に生きている人は?」
男は首を振る。
「わからない...。僕は、裏口から逃げてきただけで...」
下の階からゾンビの足音が近づいてくる。
ドン
ドン
ドン
「時間がない」
彩斗は三階の通路を指さした。
「屋上に行く」
「屋上?」
「ゾンビは基本的に上へは来にくい」
志乃が頷く。
「なるほど...逃げ場としてはありですね」
「ただし」
彩斗は階段を見る。
「鍵がかかってたら終わりだ」
ゾンビの群れが階段を登り始めた。
十体以上。
いや、二十はいる。
志乃が小さく呟く。
「...ゲームなら詰みですね」
彩斗はわずかに笑った。
「ゲームじゃない」
刀を握り直す。
「だからまだ終わってない」
三人は屋上へ続く階段へ走り出した。
走る...ただひたすらに。
そして、三人は屋上に飛び出し鉄扉を閉じる
バンッ!!
背後の鉄扉が大きく揺れた。
ゾンビが内側からぶつかっている。
ドンッ
ドンッ
ドンッ!!
志乃が息を飲む。
だが、壊れる気配はなかった
「...とりあえず時間は稼げそうですね」
彩斗は屋上を見渡した。
室外機、給水タンク、フェンス。
隠れる場所は少ない。
逃げ道もない。
「最悪ですね」
志乃が呟いた。
彩斗は遠くを見た。
学校の方向だ。
「楓...」
小さく名前を呟く。
そのとき。
サラリーマンの男が頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました...!」
彩斗は男を見る。
「名前は?」
「え?」
「名前だ」
「...高橋です。高橋修司」
「笠井彩斗」
「長瀬志乃です」
高橋は深く頭を下げた。
「命の恩人です...!」
志乃は少し困ったように笑う。
「大げさですよ」
だが彩斗は冷静だった。
「質問がある」
「は、はい!」
「ここに来るまでに、生きてる人間を見たか?」
「何人か...でも大体は逃げ惑うばかりで...。」
高橋は少し考える。
「でも一人だけすごい人がいました」
彩斗の目が細くなる。
「どんな奴だ」
「高校生っぽい男でした。すごく強くて……」
志乃が小声で言う。
「まさか……」
高橋は続けた。
「あんたみたいに刀を持ってて、同じく高校生くらいの女の子と中学生くらいの男の子を守りながら、ゾンビを切り倒していました」
彩斗が呟く。
「……豪紀か?」
志乃が目を丸くする。
「知ってるんですか?」
「...多分な」
彩斗は少しだけ笑った。
「俺の親友だ」
「豪紀?...ああ、藤宮君のことですか」
「そういえば知ってるんだったな、豪紀のこと」
「そりゃまあ、学業に関しては学年一位ですし、運動もそこそこできて、なにより人当たりが良いと有名ですから。あと莉央を溺愛してる」
「豪紀の彼女を知っているのか?」
「幼馴染です。莉央と私は幼いころからずっと一緒で...なのに莉央は藤宮君と関わりだしてから私なんてそっちのけで...」
「嫉妬ですね」
高橋が余計なことを言ってしまった。
その言葉に瞬時に反応し志乃は高橋に笑顔で圧をかける。
「高橋さんは少し黙ってもらって」
「まあまあ...とりあえずここで少し待機して、扉の向こうのゾンビが散ったら中に戻るぞ」
「...笠井君。ゾンビって勝手に散るもんなんでしょうか?大体ゲームや映画だと何もないとその場にとどまってるイメージなんですが」
「...確かに...その辺は俺もわからないな。もし、ゾンビが散ってかないとなると隣のビルに飛び移ることになるな」
「...っそんなの僕には無理です!」
高橋の声は震えていた。




