第五話『発音。』
◆
森を抜けると、辺りは清々しいほどに爽やかな晴天で、少女について街道を歩きながらリクは辺りの景色に激しく感動していた。
鮮やかな青々とした風景が果てしなく広がる草原だった。街道は地平線までまっすぐと伸びており、街道を脇に離れた少し小高い丘の中腹あたりで大型の草食動物のようなものが群れで草を食んでいたり、雲に届きそうな程のとても大きな岩肌を曝した山が連なってあったり、リクの暮らしていた場所には存在しないどこか幻想的で壮大な光景が広がっていた。画像検索で出てくるようなどこか遠い国の美しい景色のようだと思った。
「ようやく森を出れたね。といっても君は迷い木の毒にやられてたから時間の感覚もおかしくなっていたし、しばらくの間ぐるぐる同じところを回ってただけでそんなに時間は経ってないんだけどね」
少女は相変わらず楽しそうだった。
「ちょ、お前まさか俺が迷ってたのもどっかでずっと見てたのか?!」
「見ていたよ。少し離れて後ろからついて歩いてた」
クスクスと本当に可笑しそうに笑いだした少女に、リクはほんの少しだけ殺意が沸いた。
「お前……友達いないだろ」
リクが怒りを抑えて精一杯の嫌みを込めて言ったが、少女はあっけらかんとして答えた。
「どうかな?友達は多い方ではないけど、それってなにかおかしなことかな?」
「知らん」
リクはうまく言い返せない自分を歯痒く思いながらなるべく冷たく言い放った。
「少ないながらもそれなりにうまくやっていけてるんじゃないかと思っているよ。主観的なものだから相手はどう思ってるかまではわからないけど。わたしは楽しいよ」
“めっちゃ自己中じゃねーか!!俺は今楽しくないぞ!?”
リクは少し不服だったが他に頼りの無い世界で今この少女しか頼れるものがいないのは事実だったので、なるべく仲良くやっていかないといけないかも知れないと思っていた。
あまりにも広大な景色の中、一人で生きていけるのかは不安だと感じていた。せめて、最初の街につくまでは。
「そうか。ところでお前の名前聞いてもいいか?なんて呼べばいいんだ?」
「わたしの名前を聞いたってそんなに面白くはないと思うな」
「なんだよそれ?俺は夏目陸っていうんだけど。名乗る前に自分が名乗れってことか?」
「アハハ。そんなマナーは要求していないから大丈夫だよ。ナツメリク。ソーセキと親類かなにかかい?」
「いや親類じゃねぇよ。それに確かソーセキはペンネームだぞ。日本人に教えてもらったのか?」
「そうだよ。君の世界の著名な文豪だろう。本を読んだことはないけど」
「この世界にも本はあるのか?」
「そりゃあるよ。君の世界で言うマンガ?は無いけど娯楽小説の類もあるからね、図書館に寄ることがあったら色々見てみたらいい。歴史や地理の本もあるからこの世界のことを知るにはとても良いかもしれないよ」
「へえ、図書館があるのか。俺が思う異世界ファンタジーって中世ヨーロッパって感じなんだけど、文明的にはこの世界もそういう感じなのか?」
「ヨーロッパがどういうものかわからないけど。君が暮らしてた世界とは違う技術や学門や産業もあって、いろんな歴史を持ってる国があって王様が治めてたりしてる。国と国の間では貿易みたいなものあって、貨幣や物々交換でいろんなものを流通したり、文化的な交流もあったり、多少の争いもあったりする。発展している国もそうでない国もあるけど、ある程度の文明と呼べるものはきちんとあると思うよ。もちろん君の世界との水準は比べものにはならないと思うけど」
「俺たちが今向かってるのってお前が住んでる国なのか?」
「そうだよ。ウクルクという国。あの森からここら辺りはウクルクが治めている領土なんだけどね。その首都に向かってる」
「広い国なんだな!このあたり街とかなにもないけど」
「国土の面積でいったら他にもっと大きな国があるよ。ウクルクは人口も少ないしね。集落みたいなものはあちこちにあるけど、国民の大半が首都に住んでいるから」
「この国に住んでる人たちってのは人間だけなのか?エルフとかドワーフとか亜人みたいなのもいるのか?」
「いるよ。わたしの暮らしているところには多くはいないけどね」
「へえ……なんか感動するな」
「ニホンにはいないんだよね?」
「いない。幻想の存在だな」
「わたしの友達に……。この言葉を使うのは好きじゃないけど君にも分かりやすく伝えるなら亜人の女の子がいるから会わせてあげよう」
「亜人てことは……ネコ耳とかウサ耳が生えてるみたいな……?」
「たしかにネコみたいな耳としっぽが生えているね。とても可愛くて明るい人だから君もきっと気に入ると思うよ」
「マジかよッッッ!!!これぞ異世界!!!」
「ニホンの男の子はエルフだの獣の耳が生えている女の子だのが本当に好きなんだね。やれやれ、こうも同じ反応だと少し呆れてしまうな」
「当たり前だろ!!!ロマンでしかないわ!!!……ところで話をはぐらかされたけど、お前の名前って結局なんていうんだよ?」
「なんだ忘れてなかったのか。意外と君もしつこい男だね」
「俺は名前を教えたんだからいいだろ。それともすげぇ変な名前とかだったりするのか?だから教えたくないのか?なんかずるくね?」
少女は鬱陶しそうに手をヒラヒラとさせて答えた。
「やれやれ……違うよ。わたしの名前はね、スイっていうんだ」
「スイ。いい名前じゃないか」
「………はぁ~……」
スイと名乗った少女はため息をつくと流し目でリクを睨んだ。
彼女の美しいが鋭い目付きで睨まれると冗談でも少し身体が強張る様に緊張した。スイはリクを睨んだまま少し恥ずかしそうにしながら言った。
「わたしの名前はどうも君たちニホンの人には発音しづらい名前みたいなんだよ。言語変換をしてもうまく言えないらしい。意味が変わってしまっている。だから新しく来た人に名前を教えるのが嫌なんだ」
「へ?スイじゃないのか?」
「ちがう。そんなに母音を強調しないんだ。……でも別に良いよ。ただ人前では少し恥ずかしいからあまり気安く呼ばないでくれると嬉しいかな」
スイはチラリとリクの方を見ながらそう言った。
初めて彼女のペースを崩せた感じがしてリクは心の中でガッツポーズをとっていた。
「俺には違いが全然わからないけどな。それに意味が変わるって?元の意味がどう変わるんだ?」
「詳しく教えたくはないんだけど」
「いいじゃねぇか。これから俺たちしばらく一緒にいるんだろ?その方が仲良くなれると思うな」
「別にそれで仲良くなれるとも思わないけどね。はぁ……。まあいいか。元々の意味は名前が無いって意味なんだ。でも君が言うスイだと子どもって意味になる。それも幼児性の抜けきれない幼稚な人って意味」
───幼稚な人。そんなに大きく意味合いが変わってないというか、名は体を現すというか。リクはさっきまで楽しそうに自分をいたぶっていたスイの言動と意地悪そうな笑顔を思い出していた。
「名前がない、っていうのも随分衝撃的なんだが」
「物心ついた頃には両親がいなかったから。代わりに育ててくれた人がつけてくれた名前なんだ。孤児に多い名前だしそんなに珍しい名前でもないよ」
「そ、そうなのか……なんか無理やり聞いて悪かったな……」
「いや?別になにも気にしてないけど?それよりもくれぐれも人がいるところでは名前を呼ばないでくれよ?君の発音は特に悪いから、わたしが誤解されてしまうからね」
スイは肘でリクの脇腹を軽くつついてジトっとした眼差しで見てきた。
「そんなに恥ずかしいことなのかよ?」
「恥ずかしいに決まっているだろう!なんだろう…君の発音の舌足らずでいやらしいことったらない。まるで赤ん坊をあやす様な言い方に聞こえているんだよ」
「いいじゃねぇかバブバブ」
「殴ってもいいかい?わたしはもう大人だ。子どもじゃないんだ」
「俺的にはさっきまで強気だったスイたそが困ってる様に萌え萌えキュンなんだが?」
「なんだいそりゃ?なにを言ってるかはわからないけど、君がなんだか気色の悪いことを言っているのは伝わるよ」
「ぐへぐへ。子どもじゃないって見た感じ俺より年下だと思うんだけど何歳なんだ?」
「わたしは十九歳だよ」
「はぁ?!マジかよ!年上!」
「ふふん。君はいくつだい?」
「十七」
「なんだ。幼く見えるとは思ったけど本当にまだ子どもだったのか」
「そんなに変わんないだろ。そっちこそ、その見た目で成人してるとかビジュアルチートすぎるだろ」
「敬いたまえ」
「へぇへぇ、それとさ、名前教えるの嫌だったなら別に嘘の名前でも良かったんじゃね?日本人が発音下手なのわかってたんだろ?」
「嫌だけど、この世界に来たばかりで右も左もわからない人に嘘をつくなんて不誠実じゃないか」
「なんなんだよ……ええ子や………ま、とりあえずこれからよろしくな、スイ」
「はぁ……頼むから、街についたらやめてくれよ……?」
スイはそう言うと、こめかみをトントンと叩きながら困ったようにため息をつき、細めた目でリクを見た。
“なんだろう………すっごい楽しいッッッ…………”
リクはニヤニヤとしながら、今まで生きてきた中でこんなにも異性と楽しく話せたことがなかった気がして、この世界に来たことを再度感謝していた。
果てしなく続いている様に感じた道のりだったが、やがて二人の前に巨大で要塞のような石造りの城壁が見えてきた。一体どれほどの期間をかければ建設出来るのか想像もつかないような大きな城壁だった。
壁の上は通路のようになっているのだろう、鎧を着た兵士が何人かこちらの様子をうかがっていた。
城壁には太い蔦が巻き付いていたり、苔が生えていて、長い年月を経ているのが遠目にもわかったが、そうやってここに暮らす人々を守ってきたのだと考えると、その存在から醸しでる威厳に感動すら覚えた。
「で、でっか………!」
リクがただただその城壁に興味津々なのをよそに、スイは門番に手を振って挨拶をしていた。
「さ、ついたよ。ここがウクルクの首都、ウィソだよ」
「すっげぇな!!想像をはるかに上回るデカさなんだが!!」
「そうかい?それなら隣の国に行ったらきっとまた驚くね。もっとずっと大きいから」
「マジかよ……これより大きな街があるのか」
「ある。……オホン。それよりもわかってるね?今からいろんな人に会うと思うから、頼んだよ?リク」
スイが初めて自分の名前を呼んだことが素直に嬉しかったので少し調子に乗ったリクは軽い調子で答えた。
「わかってる、スイ」
無言のまま、スイは拳骨でリクの肩を殴った。
ドンッ!と鈍い音がする重い打撃だった。
“思いのほか……力強いな……”
気のよさそうな中年の門番がスイに手を振りながら門を開けてくれる間、リクは肩の痛みを感じながら、あまり調子に乗らないようにしようと自分の中で軽率さを反省し、誓うことにした。
◆◆