『模倣を共有する魔法。それから、遠い世界からやってきた呪法。』
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狂気。喰う?人間が人間を?
人間と云っても、相手は、あくまで元々は只の人間を自称する、頭のおかしい魔女ではあるんだけれど。
幾ら冷静を保とうとして、状況と情報を整理しようと試みても、その頭のおかしい魔女が使う魔法が、“対象の血肉を経口摂取して能力を奪う魔法”なのだから、彼女の云う、食事として喰らう、って言葉の意味が脅迫めいた圧力を増して、殊更に恐怖を煽って仕方がない。
とんでもない。とんでもなくおそろしい状況だったんだ。なにせ、人を食事として見なせる、禁忌的思考と身体の構造を備えた化け物を相手に対峙してしまっていたのだから。
そして、シージは言う。
「俺と、俺の仲間の魔女は不老の身体を持つんだが、それは不老の魔法使いの肉体を共に喰らい尽くして、感覚と環境を共有したあとに、精神的な意味合いの回路と呼べるものに魔力を通して通じて、俺の模倣する魔法でシェアしたことに因って手にいれたものだ。そうやってすれば、俺が模倣した魔法は、文字通り、同じ釜の飯を喰った仲間に分け与えてやれることが判った。だが、それは実験的なものだったんだぜ?俺は、それと同じことを女神にしてやって、女神の魔法を模倣してやりたかった。不老不死のオマケつきでな」
彼女は、自分は種族としての魔女では無いと言っていた。
種族としての魔女とは、深い魔性に触れた人間が、生物的に転化して誕生する魔人の一種とされてる。
だけれど、
彼女が嬉々として語る、過去の凶行を、どの側面から観て考察したって、彼女が既に、人間としての道徳を捨てて、魔性に触れて堕ちた魔女そのものにしか思えなかった。
というよりも、
人間だろうが、魔女だろうが、今、目の前に居る女が、どうしようもなく狂った生き物だということには、違いがまるで無い。
「女神の不老不死の魔法は、とても強力な魔法でな。どんなに肉体を傷つけられて破壊されたとしても、女神は、その魔法の所為で死ぬことがない。更には、傷つけられたあとの肉片や骨を喰ったことはあったが、女神の身体から離れてしまったあとには女神の魔力が途切れて失われちまうらしくてな、魔法を模倣することは叶わなかった」
晴れだと思っていたのに、雨が降り始めた、とでも言っているくらいの語り口のくせに、内容はとにかく狂っている。
「そんなに怯えるなよ。お前は俺を食人鬼か何かだと思っているんだろうが、旨いと思って人を喰ったことなんて、ただの一度も無いんだぜ?それに魔力を宿してない女神の肉の味はひどいもんだった。結局、嚥下も出来ないで吐き出したんだからな」
嘘だ。
「信じてないな?」
信じられるもんか。
「信じてなくて正解だ。他人の魔法を模倣する魔法の弊害のひとつで、それも、他人の血肉を摂取して発動するという術式の形態の所為で、俺は食事という行為を、自分の魔法に奪われて禁じられた。お前の想像通り、俺は食人鬼の一種に成り果ててしまっている。もっとも、一度喰えば、百年近くは何も口にしなくても問題の無い身体だがな」
「君に良識的な人間性は初めから求めてない」
シージに噛み千切られた腕の箇所が痛む。
「それに、俺はお前をすぐに喰ってしまいやしないさ。お前には役割がある。それを果たすまでは、お前のことは丁重に扱うつもりなんだぜ?傷や魔力も回復させてやる」
「いらない」
「お前がいらないとしても、俺には、それが必要だ。それに、お前の身体も精神も既にボロボロで、おまけに、魔力を消費し過ぎた状態で、デカい魔法を連発したおかげで、対価が払えずに魔法に喰われかけてる。崩壊寸前だ。はやいところ、治療に取りかからないと、お前は今すぐにでも死んでしまっても、何もおかしくはない。遠慮するな。助けてやる」
「いらないといっている」
後退りをしながら、シージとの距離を何とか少しでも離そうとする。
シージの云うとおり、どこもかしこもズタボロで、身体中どこを探しても、巧く動かせるところなんて、なにひとつ無かった。
「お前がいらないとしても、俺には必要なことなんだ」
本当に僅かだけど、懸命に空けた筈のシージとの距離は、無慈悲にもアッサリと詰められてしまい、それでも何とか逃れようと身体を捩ってはみたけど、細やかな抵抗にさえなりやしない。
「要件も伝えたことだし話も尽きたな。なかなかに楽しい時間だったぜ?元の場所に帰してやる。それから、必要だったら仲間たちに別れを告げるといい。それが、お前が仲間と過ごす最期の時間になる筈だからな」
「随分と勝手に決めるんだね?ボクにしてみたら、君がそれを必要としてることなんて、知ったことじゃない。ボクは皆と、お別れなんてしないし、コトハさんにだって逢う。なにひとつだって、ボクに関することを君になんて決められてたまるか」
魔力は回復していない。
当然だ。するわけがない。
魔力は底を尽いて、魔法に喰われて炭化して失った指先は相変わらずそのままだった。
「ボクは、君に喰われてやらない。君なんて、大嫌いだ」
それから、一呼吸。
落ち着かないままでは、とてもやってられないから。
「ははは。心配するな。お前は必ず、俺を満たしてくれる。無作為に選ばれて喰われる家畜とは違う」
会話にならない。
期待なんてしてないけど。
それから、
口に手を突っ込む。無い指先では、なかなか巧く掴めないけど、そんなことにかまっていられない。目一杯に、力を入れて、滅茶苦茶に引っ張る。
力を入れるっていったって、そんな大したことなんて出来やしないし、さぞかし、みっともない姿だっただろうと思う。
だけど、力なんて、そんなには要らないんだ。奥歯を引っこ抜くだけなんだから。正確には、本当の歯を模した義歯。
一応、簡単には抜けないように歯茎に埋め込まれてはいるから、メリメリメリメリッ………、っていう、なかなかに嫌悪感を掻き立てる音を立てるけど、痛みは殆ど無かった。
折れたような感触がして、喉仏が刺激されて、溢れる胃液にまみれた義歯を口から取り出す。落とさないように、しっかり掴んだ指先も義歯にも、泡立ったようなヌルヌルの胃液が、蜘蛛の巣みたいな糸をひく。ばっちい。
「なんのつもりだ?」
あまりに突然の蛮行を目の当たりにして、不審そうにシージが訊いてくる。
そう感じさせないようにはしていているみたいだけど、さすがに少しばかり警戒してる様子だった。
「なんだと思う?」
義歯の挿さっていた場所からは、
当然だけど血がドクドクと噴き出す。
それから、これ見よがしに義歯をシージに突き出してみせる。まア、当然、引っこ抜かれた義歯にしか見えないだろうけど。
「ボクの義父はさ、腕の良い職人なんだけど、ウクルクで流行らない店をやってる。君は、随分とボクやコトハさんのことには詳しいけど、何故だか、ヤンマのことに関しての情報は乏しいみたいだね」
義歯を見ても、シージからは何も仕掛けてこないところをみるに、おそらく、それは確実に。
「お前の義父?あの呪具師の男のことか?知らないわけではないが、物質に呪いを付与するだけの能力を、俺が脅威だと感じると思うか?」
ああ、やっぱり。
「それは君の主観だろう?」
ヤンマは侮られやすい。本人も認めているけれど、前線で戦闘を行う性質の能力じゃないうえに、コトハさんが居たから、どうしたった補助的な役割を担う人材だと思われてしまう。
それだから、悪意を持って、つけこまれてしまうことは多々あった。まるで、相手にとっての格好のアキレス腱であるかのように、執拗に狙われてしまったことも。
「これはヤンマがボクに持たせてくれている御守りだ。愛情の深い、実に彼らしい、父親としての娘への贈り物だ」
この義歯は、幼い頃にヤンマに仕込んでもらった呪具だ。彼の能力は、彼が想う対象への愛情の大きさ、想いの深さ、なんて云う、眼には見えない、非常に抽象的かつ主観的、それに加えて、或いは他人には歪にも映るであろう彼の独善的なものが重要な要素になって、振り幅を大きく変える。呪いの付与に際して、魔力を使用するし、大きな括りの中では、勿論、ヤンマは魔法使いではあるんだけれど、彼の能力は魔法の理からは大きく外れたルールと秩序を持って成立する。
その為に、彼は一般的な魔法使いとは、詠唱も、術式も、能力の発動も、それに、行動理念の様なものも、一線を画す、明らかに異質な存在だ。隠し持っていたこの奥の手に、シージがまるで気づいていなかったことも、まったく不自然なことじゃない。
ヤンマの呪具は、魔力感知の類いに反応しないのだ。魔法使いだらけの、この世界で、それがどれだけ脅威的なことかわかるかな?
それから、この呪具の発動に魔力が要らない。使用者の血液が触れさえすれば、あとは何も要らない。すっからかんの、この身体でも、血塗れでズタボロの今なら、それさえも都合が良かった。
「君は本当におそろしい相手だ。ボクが万全の状態だったとしても、君にはきっと勝てなかったと思う。それは、君がボクよりも強い魔法使いだった、と云うだけの事実なんだけれど、その事実は覆せない強い楔だ。ボクには、その楔を抜くだけの力が無い。だけど、それが魔法使い同士の理屈だったとしたら、どう対処すればいいか君にはわかるかな?」
「寄越せ。スイ。それを俺に渡せ。今更、俺に逆らっても仕方がないだろう?仮に、お前のそれが、俺に手傷を負わせることが出来たとしても、お前は俺には勝てない」
手傷?手傷なんかで済めば良いけどね。
「知らないみたいだから、教えてあげる。ヤンマの能力は、君の理解の範疇を遥かに凌駕する筈だよ。ヤンマの能力の由来は、この世界には無いんだから」
眼にしてしまえば、
耳に届いてしまえば
口にしてしまえば、
立ち入ってしまえば、
知ろうとしてしまえば、
それに触れようとしてしまえば。
禁を破った者には必ず降りかかる災厄。ヤンマの能力の真髄は、異世界からもたらされた、その呪法のこと。
それから、ヤンマの能力には祝福と呪詛の表裏が存在する。
その表裏が呪法の威力を際限無く高めることは、もう説明しなくたって伝わるかな?
祝福を贈る相手=愛娘。に対して、
呪詛を送る相手=憎き相手。
シージがボクに向ける悪意の全てに、ヤンマの愛が、その姿を具現化させながら、守護と呪いの為に奮う牙となって突き立てられることになるだろう。
巨大な黒い影が、蠢きながら、ボクの周囲で聳え立ちながら這いずり廻る。
あまりの巨大さに、少し驚いてしまったけれど、これがヤンマからのボクに対する愛情なんだって思ってしまえば、なにひとつ怖がる必要なんて無いんだって思えた。
かなり、照れ臭くはあったけれど。
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