『⑩。混雑する群像。』
◆
「死ね」
凄まじく直球的で悪意に満ちた言葉に魔力を乗せる行為を、わたしは初めて行ったんだけど、
その反動は思いの外凄まじいものだった。
他者を呪わばなんとやらとやつだね。
見た目程に痛みなんてものは殆んど無いんだけど、
とにかく吐く血の量が尋常じゃない。
次から次に口から溢れ出てくる血なんて気持ちの良いものじゃないから、口を閉じたり飲み込んだりするんだけど、血の匂いが酷くてそれがまた気持ち悪かった。
それに、痛みは無いんだけど、
舌にも喉にも違和感を感じた。
誰かが、っていうか魔法なんだけど、
見えない手で、ソッと引き抜こうとしているみたいに。
◆◆
『「ァァァァアアア!?!?」』
リロクの肉体の崩壊が始まって、
その叫び声の五月蝿さで、わたしは朦朧と始めた意識を何とかハッキリと保つ事が出来た。
どこが頭部で、どこからが顔なんだかわからない、
いい加減な見た目のリロクの身体は、
ボロボロと剥がれ落ちていくように崩れていく。
そして、わたしはシージの方をチラリと見た。
シャオの拳を片手で受け止めたまま、
彼女は興味深そうに此方を眺めている。
(範囲を絞りすぎたな。効いてないや……)
少しだけ、いや、本当はかなりガッカリした。
まあ、シージの方は一旦シャオに任せよう。
───どのみち、わたしはもう戦えない。
魔力が完全に底をついてしまっているのが判る。
いつもの空腹感だけじゃない空虚な感覚が身体を支配し始めている。舌や喉だけじゃなくて、
身体のあちこちを爪や嘴や牙が啄む。
契約していないけど、いつもわたしの周りに集まる精霊たちが容赦なしに、対価の払えなくなったわたしの身体を喰おうと群がってきていたんだろうか。
(ごめんね。もう魔力が無いんだ。わたしの貧相な身体なんて、食べたって美味しくないと思うけどな)
わたしはリロクの方へ、もう一度視線を戻す。
肉体の崩壊が始まって苦しんではいるけど、
まだ死んではいない。
とどめをささなきゃ。
でも、もうわたしには魔法が撃てない。
「金色の王よ。誇り高き古の獣よ。世界を蹂躙せし暴虐の化身よ。汝、我と結びたもうた契約により、我が命によりその身をここに顕したまえ!!」
ユンタが詠唱を終える。
───『ナードグリズリー!!』
「スイ!! もーー見てらんねーーー!!
寄生魔法だろーーが、魔女だろーーが、関係ねーー!!
ウチの娘に手ェ出すヤツは全員敵だコノヤローー!!」
───自棄になっちゃダメだ。
ユンタも分かってる筈なのに。
止めなきゃいけない。
「クアイおじさん!! ラオ様!! ユンタを止めてくれ!! 召喚術を使わせないで!!」
わたしがそう叫んだ時にはもう遅かった。
シージとリロクだけが、
わたし達の敵では無かったんだ。
まるで戦闘に参加する様子の無かった影の薄い魔族が、密かに魔力を練って術式を構築し終えていた事にわたしは激しく狼狽した。
(完全に見過ごしてた)
───『貧民の檻』
大型の魔獣の大きな大腿骨や頭蓋骨で構成された悪趣味な檻がユンタの足元から出現して、
彼女はその中にアッサリと閉じ込められてしまった。
「ッッざけんな!? ンだよコレーー!?」
ユンタは毒づきながら檻を殴って破壊しようとするけど、彼女の小さな身体に比べてあまりにも巨大な檻はびくともしない。
───『雲ヲ射ヌク陽光!!』
ラオ様の放った閃光魔法が、
アメビックスの頭部をかすめて、
かすめただけなのに彼の頭の片方の角を跡形も無く溶かしてしまった。
アメビックスは絶叫の様な悲鳴をあげて腰を抜かしていたけど、魔法を躱せたのは偶然なんかじゃない。
ラオ様は威嚇のつもりで撃ってない。
間違いなく殺す気だった筈だ。
アメビックスは腐っても魔族なんだ。
戦力の比較。
えらそうだけど、わたしは頭の中でその計算をする事を止められなかった。
シージ。リロク。アメビックス。
何度計算しても答えは同じだったけどね。
多分、というか絶対にわたし達は勝てない。
気持ち的には敗けるつもりなんてサラサラ無いんだけど、現実はそうも上手くはいかないものなのだろうね。
◆◆
「ハハハッ。何だ?アメビックス。リロクに殺されるのを恐れてはいたが、やっぱり自分の半身とも呼べる魔法は恋しいか?庇ってやるとは意外だったな」
シージはそう言うと、ようやくシャオの方を見て、
腹の立つ笑い方でニヤリと嗤った。
「そういうわけでも無いが……。この場に居てもイツカに殺されてしまう。どうせお前は助けてくれないのだろう?リロクと同化出来れば魔力が上がる。少しでも生き残る確率を上げておくのは当然だ……」
息もきれぎれにアメビックスがそう答える。
「アメビックス!! 殺す!!」
イツカが骨で出来た檻を軽々と飛び越えて、
魔力が宿った瞳を爛々と光らせながらアメビックスに襲いかかる。
嘘でしょ。わたしの魔法が解けたんだ。
魔法を連発したから効果も分散してしまったのか。
「ヒガシアカツキイズナ!! お前の姉を私は知っている!! どういう意味か解るか!?
私を殺せば姉がどうなる事だろうな!?」
ああ、何だか滅茶苦茶だ。
「何でだ!? 何でお前が姉様の事を知ってるのだ!?」
とてもじゃないけどイツカは正気とは思えない様相だった。
「私は異世界に居たんだ!!
彼処で私はお前の姉に逢った!!
お前の姉はお前を捜していた!!
だから私はお前に逢わせてやる為に、此方の世界にお前の姉を送ってやったんだ!!
どうだ!? これだけでも私に感謝するべきだ!!
お前は私を殺すべきじゃない!! 解るか!?」
絵に描いたように話は混雑していく。
わたしは頭が痛くなってきていた。
「何処だ!? 姉様を何処へやった!?
今すぐに教えろ!! じゃないと殺す!!」
「私を殺せば永遠に姉とは逢えなくなるぞ!?
この場では私が優位な筈だろう!?
考えろ!! 頼むから考えてくれ!!
それに私は魔族だ!! 姉に何か仕掛けてるとは思わないのか!?」
「だったら何だ!? 姉様に何かしてみろ!!
イツカは必ずお前を殺す!! 今度は絶対に逃がさない!!」
アメビックスの言う仕掛けは、術者が死ねば発動する様な類いのよくあるやつかもしれないけど、
だけど、アメビックスが異世界に居たのなら、遠く離れた異世界に送った対象からの危害をそんなに警戒するものなのかな?
イツカの事を異様に恐れているから(一度敗けたから?)、
その姉を人質に取る事に執着してもおかしくはないけど、再びイツカと対峙する可能性なんて相当低いんじゃない?
「ッッッギャァァァア!?」
ラオ様の魔法がアメビックスの片腕を消し飛ばした。
「騙されるなイツカ。僕くらいになると分かる。そいつは魔族の中でも相当下衆な類いだ。そいつを殺したところで、君の姉さんに被害が及ぶ事はないさ」
見るからにラオ様は決着を急いでる。
「おい王様!! 余計なことすんな!!」
イツカが噛みつきそうな勢いでラオ様を怒鳴りつけた。
もう暴走って言葉が本当によく似合う。
余計な事っていうのには少し共感出来たかな。
何かを少しずつ間違えているみたいな気分だったし。
未だ止まらないわたしの血が、
柔らかな光に包まれて少しずつ乾いていく。
ロロの呪歌が耳に心地好い。
そのおかげで、底をついた魔力が少しずつ回復しようとするんだけど、消費の箍が外れたわたしの魔力は、回復した端から漏れていく。
乾いた血が濡れる。
また乾く。その繰り返し。
ロロが相当無理をして歌ってくれているのがよく判った。ここまで消耗すると、回復するのも簡単じゃない。
(なんか食べたい……)
シンプルにお腹空いた。
何だって良いから食べ物を口いっぱいに頬張って、
喉を詰まらせながら涙眼で飲み込んでしまいたい。
「ロロ……! ありがとう……。だけど無理しないで大丈夫。正直、すぐすぐ回復しないし、ていうか、
手遅れかもしれない。魔力を温存してた方が良いよ」
「スイちゃん!! 何言ってんスか!?」
「事実だからさ。リロクはわたしが倒す。
だけどシージまでは手が回らない。
後は皆に任せなきゃいけない。
ロロの呪歌が無いとそれも厳しいよ」
「あーー! もーー!!
良いから黙ってるッス!!」
「いや、本当に良いから……。死にはしないよ」
余裕ぶって片眼を瞑ってみせたけど、わたしはウインクなんてした事無かったし多分下手だったと思う。
「死なれたら困るんス!! スイちゃん!!
自分、聞き分けの良すぎるガキは嫌いッス!!」
◆◆◆
「良い。思いの外楽しかった。
それに、あのグラスランナーの能力は興味深い。呪歌の同時発動なんて久しぶりに見た。可能にしているのは種族的な肉体の構造の違いだろうな。
知ってるか白銀?
呪歌と魔法は別物だ。似たような効力の事象を起こすが、呪歌には呪歌にしか無い特性があるんだぞ?」
「随分と……ッ! 余裕ですね……ッ!?」
シージの興味はすっかりロロに移っているみたいだった。
「当たり前だろうが。お前は俺の防御魔法を破れなかった。お前は先刻からどうにか魔法が砕けないものかとインパクトを送っているが、所詮お前には無理だったみたいだな?大口を叩いた割りにはくだらなかったな。
お前の能力にこれっぽっちも興味が湧かん」
「……大体そう仰るんですよ貴方達は。
防御魔法を素手で破壊した事があるからか、
私も最初はそういう修行をたくさんしましたけど、
そうじゃなかったんです。
私の王子様が教えてくれたんです。
“砕けないものを砕く必要なんてない”って。
私にとっては天啓、本当にお告げです。
大いなる意思の。解りますか?
その意思とは、愛です」
何言ってんだか。
「ほお。発想の転換ではあるが、伴わなければそれは只の空虚な妄想だと俺は思うぜ?」
「空虚な妄想かどうかは受けてもらってから感想頂いても宜しいですか?あ、でも無理ですね。
その時には貴方は死んでますもんね」
煽りがひどい。
でも、シャオの言う事が真実味を帯びて発言されている事をわたしは知っている。
「魔法は砕けないかも知れないですけど、
術者の身体はそうでは無いですものね?」
対魔法使い用のシャオの奥義、
魔力を持たない彼女の、スキルで闘気を纏わしただけなのに、それは魔法を透過して、術者を貫く打撃に成る。
───『戦乙女と狼!!』
シャオの拳を受け止めたシージの腕が歪み、
それが魔法を構築する術式に異常が起きた時の反応だと、魔法使いには直ぐに判っただろうね。
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