『⑧。隣人。一人称の重要性の有無等。』
◆
(下着の替えってまだあったかな)
わたしがそんな事を考えている間、
シージはまだ嬉しそうに何か喚き続けている。
彼女はわたしに何かを期待しているのかも知れないし、
或いは、そうではないのかも知れない。
ぼんやりとした頭で考えると、
それは本当にどうでも良い事の様に思えた。
リロクを倒したとして、その後にシージがどう出るかを考えなくてはいけなかったのだけど。
飄々とした雰囲気とは裏腹に、彼女は禍々しい存在感を隠しもせずに此処にいる。
それはこの場に居る誰の事も歯牙にもかけていないのと同義に思えた。実際、そうだったんだろう。
「仲間に言葉の魔法を掛けたか。
リロクの狙いを既に読んだって事だな。
しかし、そのエルフの血が混ざった娘の意識を飛ばしてどうするつもりだ?
見たところ五感も封じる魔法の様だが、
果たしてリロクの寄生魔法をそれで防げるかな?」
本来は味方に使う魔法じゃない。
強い拘束力を持って相手の動きを封じる為の魔法。
その分、魔力の消費も当然大きい。
だけど、いい。かまわない。
「そうだとしたら相当詰めが甘いが、お前はそんなヘマはしないだろうな。
無闇に仲間を危険に晒すような事もだ」
そんなの当たり前じゃないか。
「『馬鹿が!! 散々、僕を見下してくれたが、これでもう詰みだ!! 魔力が底をついたお前をシャオの肉体でなぶり殺しにしてやる!!』」
──スゥ。と、わたしは深く、肺一杯に息を吸い込んだ。
リロクの呪氷で冷えた空気は冷たく、
口の中に空気が入った瞬間に凍てついて、
喉やら器官が霜焼けでも起こしてしまうのかと思った。
そんな事をしなくても、眼も頭も冴えていたけど。
そして、わたしは想像をする。
自分の思い描いた光景の、そのまた先を。
わたしは声に出さずにマオライに語りかけて、彼の魔力だか本体だかの一部を切り取って術者の魔法の補助を行う道具として具現化させてもらう。
───ピィィィィィギィィィィーーーーッ!!
眼の前に現れたマオライの力の断片は(異世界で云うところの“拡声器”に似てる形をしてる)、
わたしの魔力に反応だか共鳴だかをして、物凄い不協和音を起こす。
顔をしかめて耳を塞ぎたくなるような馬鹿デカい音量なんだけど、不思議と気持ちを昂らせる。
わたしの魔力の波長と調律を合わせられた、マオライがわたしの為に用意してくれたものだから。
わたしの魔法の本質は言葉。
それから、それに伴う概ね全ての事。
マオライに借りるこの道具の名前は声。
その名前の通りにわたしの声の音量を魔力で増幅する。
強い言葉、というかキツい言葉かな?
そういう種類の言葉は大きながなり声の方が威力が上がる。シェンはその為に使う。
この時点で既に身体は重たくなり始めていた。
精霊の力を宿したシェンを借りるのに、
魔力が足りてないのだ。
だけど、わたしはお構い無しにシェンを掴むと、
喉の奥に魔力を集中させるイメージをしながら眼を瞑った。
完全にハイになってた。
後先なんて、この瞬間だけは本当にどうでもよかった。
マオライの声が聴こえる。
「『僕としては、契約主に無茶をして欲しくはないのだ。僕の魔法は僕がスイに抱いている敬愛の感情を無視して対価をスイから奪う。
人間と精霊が結ぶ契約と云うのはそういうものなのだ。だから、みすみすスイが危険に晒される事を、本来、僕は未然に防ぎたいのだ。
だけど、悲しいかな、魔力を根源とする、浅ましい精霊の本性ともいえる恐ろしい事実として、
僕は今、スイの魔力を美味いと感じてしまっているのだ』」
(嘘でしょ?マオライって、わたしの魔力食べてるの?)
「『あくまでも比喩なのだ。比喩なのだが、酷く実感を伴う。甘味も感じられる深みの有る旨みなのだ』」
(それはもう食べてるって事じゃん)
「『あくまでも比喩なのだ』」
(まア、どっちだって構わないんだけど)
「『しかし、いつもより量が多い。僕の感じるスイの魔力の美味さを差し引いても、冷静さを欠くことは推奨しかねる。魔力の漏洩は君の特性でもあるのだけど』」
(魔力の調節って本当に難しいね)
「『スイを護る為なのだ。
調節が上達しない事も、精霊達が次から次に君と契約を結びたがる事も、その事柄に関わりがあるのだ』」
(難儀な身体)
「『その為に僕が居るのだ。僕が司るのは言葉。
僕とスイは契約で結ばれている。それは僕がスイの肉体、ひいては脳の言語中枢との結びつきも意味する。これは僕の持論だが、人間の魔法を構成する事で最も重要なのは言語だ。詠唱や術式の構築、魔法の現象や、
その属性や形態、魔法の存在を、想像力を根源の糧とするものとするのならば、人間が想像に最も用いるのは言葉そのものなのだ。君が言葉を操って魔法を創造する限り、僕はスイを制御する』」
(マオライは一体どうしてそんな事をするの?)
「『僕がそういう存在だからなのだ』」
(解答になってないよ)
「『精霊と人間の結びつきと云うものは、
本来こういったものだったのだ。我々は、人間に力を与える為だけの道具では決してないのだ。
現在、広く認知されている契約と云う形態は、
共通する言語を失った人間と精霊の唯一の繋がりなのだけど、それは需要と供給の範囲内で全てが語られる。
精霊魔法の本質とは人間と我々が同胞になる事を指標にする事に依って、
ようやく本来の在り方が見えてくるものなのだ』」
(それは知ってる。現在流通している精霊語が、古代に使われていたものとは違って、人間も精霊も合図や記号的なものでしか互いの言葉を認識出来てないって事も)
「『そうなのだ。記号はあくまで記号なのだ。
記号に意味を込める事は出来ても、正確な意図を汲み取る事は非常に難しい。つまり、我々と人間は本来の在り方を見失っていると云う結論に至るのだ』」
(それはまた突拍子も無いと思うけど。
精霊魔法を使う魔法使いが少ないって事は事実だよね)
「『理由は色々と後付けされてはいるのだけど、
正確には古精霊語の習得と実用の難解さと、精霊の性質を理解して共に歩める魔法使いがいなくなった事が本当の要因なのだ』」
(わたしも?)
「『スイは現代の魔法使いの中で別格なのだ。古に僕と契約した魔法使いと比べて、何ら遜色は無い』」
(贔屓にも感じるね)
「『同胞になる事が本質だと言ったのだが、
それは精霊が本来、理解してくれる人間と共に在りたがるものだからなのだ。幼き日の君と僕が出逢った事は、只の偶然では無い。勿論、僕はスイを自らの意思で選んだ』」
(マオライは、わたしを精霊にしたいの?)
「『スイはあくまで人間だ。精霊ではないのだ。
しかし、スイは我々と近しい存在になり得る。古い言葉で表現するならば、我々は“隣人”なのだ』」
(そっか)
「『自分にも他者にも関心が薄い。君の興味は魔法にばかり向けられる。しかし、だからこそ良い。
“隣人”に選らばれるのは、いつも君のような人間だった』」
(操りやすいお人形さんだって言われてるみたいだね。
でも、本当にわたしはどっちだっていいかな。
とにかく、今はリロクを倒したい。
ねえ隣人さん。わたしの魔法を形にするのを手伝ってくれないかな?)
「『無論。僕はその為に君の頭の中に居る。君の思い浮かべた言葉を、それに基づいた情景を、君が精彩に描く魔法の全てを。さア、スイ。口にしたまえ。
それが君の魔法だ。その全てを、
僕は何一つ欠ける事無く形にしよう』」
───はいはい。
マオライは大袈裟だ。でもそういうとこは嫌いじゃない。隣人。随分と騒がしい隣人だ。
それだから、退屈はしない。
わたしは声を口の前に掲げる。
そして、想像を事象と結合させる言葉を。
───『『命ずる!! 形を成し姿を現せ!!』』
◆◆
凍りついてしまったような喉の奥が、
熔けたバターをねじこんだみたいに途端に熱くなり、
わたしは言葉を発した後に激しく咳き込んだ。
案の定、血溜まりが出来そうな程に吐血したけど、
舌も喉もまだ残ってる。
───身体のどこも、ひとつだって欠けてない。
わたしはそう自分に言い聞かせて、
口の中に残った血を唾と一緒に吐き出すと、
その拍子に今度は鼻からドボドボと血が勢いよく溢れだしてきた。血の味が口一杯に拡がって匂いが鼻孔へ通る。上着が白いものだから、酷く血塗れになって悲惨な様子に見えるんだろうな。
赤色。
「───ッ!? ───ッ!!」
誰かの声がしたけど、
わたしはそれが誰の声かわからなかった。
多分、心配してくれてたんだろう。
───大丈夫。わたしは死なないよ。
その意思表示を込めたつもりで、
わたしは声の主に笑ってみせた。
あくまで、つもりだったので、
相手にどう伝わったかはわからないけど。
「目に見えないものを形にしてやるんだ。
いつまでもコソコソとして姿を現さないお前に、うってつけの想像をしてやった。
マオライの魔法は話が迅い。
①詠唱→②術式の構築→③発動。の基本形式を極限まで短縮してくれる。短縮したからと云っても、形式を省略した事にはならなくて、それが彼の魔法の正しい在り方なんだ。発した言葉を魔法に即変換。単純な構造に見えるけど、シンプルな分、対価の大きさや誤発動の危険性も高くてシビアな面もある。
だけど、ボクにはそれが向いてる。
頭の中に思い描いた全てを、マオライは形にしてくれるって言った」
「『馬鹿な!? 馬鹿な馬鹿な馬鹿な!?
何を、一体どうすればそうなる!?
僕に何をした!?
本当に頭の芯からイカれてやがるのか!?
クソが!! クソ女!! 頭のネジの飛んだイカれたクソ女が!!』」
不可視だった筈の彼の姿が、
どんどんと色づいて形取られていく。
それは彼の望んだものじゃない。
わたしが適当に思い浮かべた、不格好で不細工で、
人間でも獣でも魔族でもない、
本当に意味の無い落書きのような無意味な姿。
仮定の姿の強制。
的は出来た。
「……ぷ。あははははは!!
だ……、ださい!! 君の顔なんてまるで浮かばなかったから、適当に考えた結果がこうだ。
ボクに絵心は無いみたい。
だけど、君にはピッタリだ。似合ってるよリロク」
「『殺す!! 殺してやる!!』」
殺意と咆哮。
震え上がっちゃいそうな声だったけど、
なんてことはなかった。
サラッと一人称が変わってしまっているのは、
わたしにもよくわからない。
昔はコトハさんの真似をしてたんだけど、
興奮状態が過ぎると時折なっちゃうんだ。
わたしは、今となってはどっちだってかまわないんだけど。
魔法に溶けてくみたい、
降って、上がっていく、
身を任せて、投身自殺でもしているみたいに。
慎重に気をつけていないと、
息遣いさえも忘れてしまう。
苦しい、けど、
嫌いじゃない。
わたしはリロクにとどめをさすのだ。
生物的に、と云う言葉があってるのかわからないけど、
今から彼を殺す。その為に彼の生命を奪う。
「見せてあげるよリロク。これがボクの魔法だ」
◆◆◆




