『③。』
◆
それと。
リロクの顔面を覆うペストマスクは魔法具で、
それに付属したゴーグルは彼の魔法を補助する役割とは言ったけれど、どの程度の割合で、
何がどれくらいの作用を果たすのかなんて勿論わたしには判るわけがない。
干渉する空間や対象(もちろん限られた範囲の)を捉える必要がある筈だし、無制限にその範囲が広まるとは考えにくい。彼の魔力が無限にあれば別だけど。
そんな事は無いと思う。多分。
これは予想だけど、
ある意味では本当のところ時間になんて干渉する事は出来ないんじゃないかなと思ってる。
コトハさんとリクの時間が巻き戻されても、
わたし達の記憶からは何ひとつさえ奪えてないし、
何より、わたし達の時間は巻き戻ってない。
わたしにとって、凄く悲劇的な未来を迎えさせた魔法だけど、絶望的な感傷を与えられてなんかない。
卑屈で矮小な、
実に彼らしい取るに足らない魔法だ。
そうやってわたしは彼の魔法を定義づけてやる。
勝手に。そんなくだらないものに、
わたしが敗けるわけがないのだ。
少し大袈裟ではあるかもだけど、
何だかよくわからないものと対峙する時には、
強い気持ちを持つ事が大事だとわたしは思っている。
◆◆
──リロクが魔法の対象にするとしたら、
それは一体誰なのだろう。
わたしはその言葉を思い浮かべながら、
詠唱の文言を唱えるのを途中で止めた。
途中で止めた事に気づく事は、
あの場に居た誰にも無理だったと思う。
それはあまりにも唐突だったから。
──「『封ずる』」
わたしは詠唱を止めて即座に言葉に魔力を込めた。
リロクはわたしのフェイントに確実に狼狽していたけど、この土壇場の状況で退く事は出来なかったらしくて、彼の詠唱は途中で止む事無く最後の一句まで唱えられた。
「子の骨を喰む異形の主 百日紅 藤 彼岸」
彼の詠唱が終わった後に、
ほんの一瞬だけ気を失いそうな程の寒さを感じた。
ちなみにわたしは大体いつも薄着だけど、
上着の羽織は体温を調節してくれる魔法具だ。
リロクの魔力の放つ冷気は、
そんな日常生活を支えてくれる程度の魔法を、
ひどく無慈悲に踏みにじっていくように思えた。
──『逆鉾に転ずる!!』
何かが剥がれる様な音がして震え、
凍てついた風が吹き荒ぶ。
(これが彼の使う時間を巻き戻す魔法)
わたしは寒さに耐えかねて、
上着の前をしっかりと締めながらそう思った。
(なるほど。仕組みは解った。
つまらない魔法だとは思ったけど、
シットリッカーズの魔法とは違うアプローチで、
そこまで悪くもないかな)
「僕の勝ちだ!! お前の言葉は僕には届きはしない!! 」
「スイ!!」
ユンタとシャオがわたしの名前を呼ぶ。
鋭い声色だった。安否の確認と牽制。
二人の行動が遅かったわけじゃない。
わたしとリロクの魔法が迅かったんだ。
何だか嫌な言い方に聞こえるけど。
「大丈夫。みんな動かない方がいいよ。
彼が使えるのは時間魔法だけじゃない」
攻撃を仕掛けようとするユンタとシャオの周囲に、
禍々しい程に鋭く研がれた氷柱が音を立てて発現し始めてきる。
「油断していたとは云え、
大魔族のお腹を突き破った氷の魔法だよ。
それに簡単に傷は塞がらないみたいだし」
「嫌味な女だ……」
掠れた声でディーヴィーエイテッドが呟く。
塞がらない傷は氷の魔法に重複して付与されたされた効力に因るのだろう。
時間やら寄生やらで忘れがちだけど、
リロクは暗殺が得意だと言ってた。
ただの氷撃魔法じゃない。
相手を死に追いやる為の悪質な趣向が凝らされている。
彼が操るのは間違いなく呪氷魔法の類いだ。
「遅い! それに何だ!? お前は一体、
何と言ったんだ!?」
「気になる? 教えてあげないけど」
わたしの一言でリロクは本当に堪忍袋の緒が切れた様子だった。
そして、彼は自分の足元に氷塊を発現させ、
それに乗って滑る様に移動すると、
素早くわたし達から距離を置いた。
これが彼の勝ち筋。
わたし達のパーティーからの反撃のパターンを色々と考えたんだろうけど、彼は自分の勝ち筋を忠実に再現する選択を取った。
わたし達の一度戦った時には使わなかった、
呪氷魔法を広範囲に向けて撃つ為。
怒り狂っているようにしか見えなかったけど、
どこか解き放たれた様な清々しさも見て取れた。
それは彼が時間を巻き戻していたから。
──誰のかって?
わたしは少し読み間違えた。
考えを修正する必要がある。
「時間を巻き戻したとはよく言ったもんだね。
君の呪氷の温度は絶対零度よりも低い状態で発現させる事が出来るんでしょ?
こんな言い方はよくないかもだけど、
それはまあ、魔法なら特別珍しくもない。
君は魔力で出来たマイナス273℃以下の氷に、
実に巧みな技巧を組み込んでおく事が出来るんだ。
自分の魔法だから当然の様にも思えるけど、
それが出来るからこそ優れた魔法使いであるといえる」
「まだ偉そうに講釈を垂れるか!?」
「君は呪氷に意識の一部を寄生させて、
制御をより精密なものに向上させると、
それから相手の体内を攻撃する。とても局所的に。
比喩的な表現じゃなく、
君の魔法は相手の体内時計を凍結させて狂わすんだ。
その結果、時間を逆行させる現象が発生する」
「今更それが解ったところでどうする?」
「別に?だけど君の狙いは確かになった」
リロクは巨大な氷壁を造り出す。
爆発的な勢いで発現した氷はイファルの王宮を破壊しながら次々に生成されていく。
文字通り、意識を持った呪いの氷は、
王宮どころか、都全体を凍てつかせるようだった。
「君が魔法を使った相手は君自身だ。
君は自分の時間を巻き戻した。
わたしに術式を書き換えられる以前の時間に」
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