『イファルでの回想録。』
◆
遡る事、数ヶ月前。
わたし達はイファルの王宮で、
ミナトの意識を乗っ取って支配した、
リロクと云う魔族(正確には魔族が造り出した、自我を持つ寄生魔法)と交戦し、情報を得る為に彼を捕えようとしていた。
リロクの戦闘力を削ぎ、ほぼ戦闘不能の状態にまで、
追い込む事は出来た。
彼の存在が、
七年前にコトハさんが行方不明になった事と、
何か関連が有る事に気づいたわたしは、
正直、頭にかなり血が昇っていたし、
今思えば、自分や仲間が思っているほど、
冷静では無かったのだと思う。
そう見える様に振る舞っていただけで。
今更、その事を後悔したって仕方ないのだけど。
──その時に、わたし達のパーティーは全滅した。
突然現れた魔族と、
一人の魔女の手によって。
◆◆
「……少し待って貰えませんか?
此処で僕を殺してしまうのは得策ではありませんよ?」
リロクは静かな声で、
わたしに向かってそう言った。
「得策では無い?何で?
じゃア、やっぱり君はコトハさんが、
居なくなった事に関係しているんだ?」
「ま……、待って下さい。それも含めてです。
一度、貴女に落ち着いて貰えるのなら、
謝罪もします」
リロクに、
わたしは冷静さを欠いているように見えているらしい。
実際そうだったんだけど。
「へえ。謝る?君が?」
「そうです」
「時間稼ぎはやめない?
わたしは君を直ぐには殺さないし。
君の知っている事さえ教えてくれたら……、
教えてくれなくても、
無理矢理吐かせるけどね。
もう判ると思うけど、
嘘を吐いても意味は無いよ」
「判っています……。
貴女の『言葉の精霊魔法』の行使力に、
僕の力では逆らう事が出来ない」
「よろしい。それとね、謝罪もいらない。
君に謝られたって嬉しくも何ともない」
「貴女は少し言葉が強い」
「事実だから」
リロクは、
きっとわたしの隙を付け狙うつもりなのだろう。
多勢に無勢で、
殆ど抗う余地なんて無いように思えるけど、
彼は何せ他人に寄生する事で存在する魔法だ。
わたしの言葉の精霊を警戒してはいるが、
此処に居る誰かの意識を乗っ取ろうとしている筈だ。
今の肉体を捨てて。
リロクはわたしの命令に従って、
あちこちに散らばっている分割した意識を、
わたしの目の前にいる肉体に移し終えたみたいだった。
◆◆
本当のところを言うと、
わたしの魔法でリロクに命令を下して、
どこまで彼の動きを制限出来るのかは判らなかった。
寄生魔法に対する知識は有ったし、
契約している言葉の精霊の力は充分過ぎたけど、
わたしの魔力がそれに見合うかは不明だったから。
彼が肉体を抜け出した瞬間に、
今の肉体に掛けた魔法が、
抜け出した本体にも有効なのか、
或いは二重に魔法を掛ける必要が有るのか、
肉体しか縛る事が出来なかった場合、
抜け出した本体はきっと実体を持たないから、
それに対して適切な速度で、
わたしは魔法を撃てるのかどうか。
と、まあ不明瞭な点はかなり多かったんだけど。
だけど、
試す価値は有ったし、
結果がどうなるのかとても気になったけど、
最初からわたしは確実な方法を取るつもりだった。
寄生魔法は当然、
眼に見えるようなものでは無くて、
著名な魔法使いに寄生していた事から判る様に、
魔法の発動時の魔力を、
限り無くゼロに抑えられるのだろう。
撃たれた拳銃から、
音も匂いもしないのと同じ。
君たちに判り易い喩えで言うと。
戦闘魔法に於いて、
静かな魔法と云うのは、
ある種の指標になるもので、
そういう魔法は特別に珍しいものでも無いのだけど。
──それは確かに其処に有る。
眼に見えない気体が質量を持つ事と同意義だ。
火を消し、木を倒し、土を砕き、
金を溶かし、水を枯らす。
魔法使いにとって重要な事ではあるが、
それは只の常識だ。
奇天烈な発想が全てを救うとは言い難いが、
非ざるものの本質を捉える為に時には、
火が水を失せさせ、木が金を綻ばせ、
土が木を朽ちさせ、金が火を払い、
水が土を腐らす事も必要だと、
私は思っている。
今日の次が明日で無くとも、
夜に月が昇らなくとも。
魔法とは、
不可解な世界と我々が触れ合う為の手立てだ。
これはケルンヴェルクの文章。
一応言っておくけど、
彼が寄生魔法に意識を支配されていた時の記述は、
この文章の次の頁からだ。
魔法書を記す様な魔法使い達は概ね、
魔法に対する己の矜持を文章の中で述べる。
矜持、
なんて言うと何だか仰々しくて感じが悪く思えるけど、
要は心構えみたいなものだとわたしは思っている。
◆◆◆
「……何を嗤っているんですか?」
少し腹立しそうな声のリロクの指摘で気づいた。
「気になる?」
からかってやろうと思った。
「貴女の考える事なんて、僕には到底思いつかない」
嫌味な言い方だ。
丁寧な口調が、殊更にそれを引き立てる。
「この際だから、ハッキリと言わせてもらいますけど、
貴女は頭がおかしい。人間として破綻しきっている」
「そんなに?」
「最初に会った時から、ずっと思っていました。
貴女は確かに優れた魔法使いです、
知識も能力も、それに見合う実力も、
周囲の環境にも恵まれている。
それだからなのか、態度は概ね尊大で傲慢です。
他者を見下している」
「そんなふうに見えているんだ」
「……嗤ってんじゃねえよ」
リロクの語気に怒りが孕む。
今度はわかっていた。
今、わたしは楽しいのだ。
「おや。ようやく素の君を拝見出来たのかな?」
「おちょくっんてのか!?」
「喋り方。
ミナトの真似をしてたんだろうけど、
君の下手な芝居に、
正直、辟易してたんだよね」
「勝ったつもりか。
お前は寄生魔法の詳細を知っていると言うが、
本で読んだ知識に全てを委ねるつもりか?
明かして無い能力が未だ有ったとしたらどうする?」
「別にどうも。出来る事をやるだけさ」
勿論、彼の言う事は一理有る。
「怖いの?君もやれる事をやったらどう?」
殺意。
彼の使う氷の魔法の影響なのだろうか、
それは凄く冷たくて、鋭いものに思えた。
まア、殺意なんて、
大体がそういうものなんだろうけど。
この時、わたしは楽しくて仕方なかった。
その理由は、
コトハさんの事で、
昂っていただけじゃ無いかも知れない。
身体の裏側で、
わたしに語り掛ける様に脈が波打つ。
───眼を凝らし、自由であれ。
わたしが捲った頁に、
ケルンヴェルクの言葉は続く。
「『鼓、弦、鐘、凪、
友よ。血で結うた汝らの祝いを』」
わたしはゆっくりと詠唱を始める。
深く呼吸をする様に。
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