『ウクルクへ向かう。』
前話と場面切り替わっています!
時間も少し経過し、
ここからはスイの視点で書いてゆきます
◆
「あれ?今、何か揺れたーー?」
そう言って、ユンタはわたしに問い掛ける。
「揺れたような気がするね。地震かな?」
わたしは遠くを眺める仕草をしながら言った。
特に何かが見えていた訳では無いけれど。
◆◆
なだらかな道に沿って整えられた街道は、
ウクルクまでの一本道で、
若くて健康そうな馬に牽かせた幌馬車は、
幾つかの小さいけれど賑やかな宿場町や、
数多の妖精や精霊が棲むトンネルの様な小さな森や、
水神の加護を受けた綺麗な河川を通り過ぎて、
わたし達をウクルクの都まで送り届けている最中だ。
天候は良好で、
暖かい春が来るのはもう少し先だけど、
しっかり上着を着込んでいれば、
暑さを感じそうなぐらいに気温も高かった。
中央諸国には、四季が訪れる。
異世界と同じ様に。
「転移門が使えないんならさーー、
魔法で送ってくれりゃ良いのにね」
ユンタは少し愚痴っぽい口調だった。
多分、わざと。
「しょうがないよ。
その代わりに立派な馬車を用意してくれたんだし。
歩いて帰るよりはマシじゃない?」
馬車を牽くのは馬に似てる生き物だけど、
馬よりも随分毛の長くて、脚も太い。
北方諸国原産の雪馬と云う種類らしい。
雪や氷に覆われた、
北方の大地を歩くのに適しているらしいけど、
長い毛並みと、荒い息遣いからするに、
今日の気温は彼らには少し厳しすぎるのかも知れない。
時々、休憩をさせて水を飲ませてはいるけど、
心なしか足取りは段々と重たくなってる気がする。
「この子達には悪いけど」
「てかーー、何で雪国産まれの馬を貸すかね?」
「しょうがないよ。わたしがこんな状態だし。
与えれたもので我慢するしかなくてごめんね?」
「ま。急いでもないかんな。
いっそ、どっか寄り道でもしてくーー?」
「寄り道するほど大きな街も無いでしょ」
ユンタが努めて明るく振る舞っている事に、
わたしは気付いている。
「あーー、ウクルクに着いたら、
自分ちのベッドで床擦れするくらい寝よかなーー。
王宮のベッドもデカくて良いんだけどさーー、
なーんか落ち着かなくてさーー」
ユンタはそう言って寝転ぶと、
退屈そうに欠伸をする。
「てか久しぶりだよなーー。都に帰んの。
まさか、こんな歳になって、
長く家空けるとは思ってなかったわ」
──そう。随分と長い旅に出ていたのだ。
「ウチはやっぱし、
ウクルクが性に合ってんのかなーー。
イファルにも住んでた時期あったけどさ、
ご飯の味付けとか、ウクルクの方が好きだもんなーー」
「少し濃いよね。イファルの方が北に近いからかな?
一番長く住んでるのはウクルク?」
「どーーだったかなー?w
もう迅うに百年以上生きてるからなーー。
わかんないや」
「そっか。
元々生まれた西方でもイファルでも無くて、
ウクルクが好きなんだね」
「そだね。人も気候も好きーー」
「わたしもだよ」
◆◆◆
わたしは未だ小さい時に、
気づけばいつの間にかウクルクの都に居た。
傍には誰も居なくて、
見知らぬ街を本当に宛もなく彷徨い歩いていた。
お腹が凄く空いていた事を憶えている。
雨が降って、
身体が冷えると少し不安になったけど、
姿の見えない声だけの存在が、
ずっと明るい言葉で励ましてくれていた。
彼、或いは彼女達は、
自分達の事を精霊だと名乗った。
わたしは精霊達の声を聞く事が出来たし、
精霊達にも、わたしの声は届いた。
都の人達は皆優しくて、
わたしに声を掛けてくれて、
食べ物を分けてくれたりした。
──それなのに。
わたしは、
その人達に心を開く事は無かった様に思える。
今にして思えば、
どれだけ人の優しさに触れても、
渇きの様な感覚が埋まる事が無かったのだ。
──酷い話なのだけれど。
どれだけ食べても食べても、
本当は、
まるで満たされる事の無い、
わたしの卑しい食欲みたいだった。
渇きは段々とわたしを支配して、
水飴を溶いて、
其処に浸された様にして身体を重くしていく。
精霊達と言葉を交わす度に空腹は増していき、
何度も眩暈がして倒れそうになった。
何処に辿り着けば正解なのか解らない路上で、
わたしは彷徨い歩き続けていた。
何だか悲劇的な話に聞こえるけれど、
幼い頃のわたしは何か邪悪な生き物だったんだと、
自分では思っている。
◆◆◆◆
「やれやれ。まだ食べるのかい?」
コトハさんは、
言葉の割には楽しそうな口調と表情だった。
「……ごめんなさい」
「そんな小さな身体に、
その大きな林檎が一体幾つ入るんだろうね?
僕が此処来る前にも、
何個か食べているんだろう?」
「……お腹が空くの」
わたしに林檎を与えてくれた、
小さな商店の老夫婦は困った様な表情で、
わたしとコトハさんを交互に見ている。
「あの……、貴女、
其処の斜向いの建物に越して来た人だろう?
その娘……、どうにかしてやってくれんだろうか?」
旦那さんの方が、そうやってコトハさんに訊ねる。
少しだけ、わたしに申し訳なさそうな顔をしながら。
「僕が?それは一体何故?」
コトハさんは本当に不思議そうに、
旦那さんに訊き返していた。
「その娘は多分、孤児だろう?
孤児院に連れて行ってやれれば良いんだが」
「君は孤児なのかい?」
コトハさんが、わたしに訊ねる。
「孤児?」
その頃のわたしには言葉の意味が分からなかった。
「お父さんとお母さんは居ないのかい?」
「……居ないと思う」
「だそうだよ」
旦那さんと奥さんは困り果てた様な顔を見合せ、
摩り切れてしまいそうな声を、
奥さんの方がようやく喉の奥から絞り出して言った。
「あの……、恥ずかしい話だけどね、
私達、この歳になるまで子供に恵まれなかったの。
……孤児院も一応、
里親を見つけてあげたいと云う場所でもあるから、
子供の居ない私達に宛がわれるんじゃないかと思うの。
……でも、私達、小さな子を養う様な余裕も、
元気も無くて……、歳だからね……」
「それに、貴女、多分転移者じゃないか?
何度か買い物に来てくれたけど、
貴女の事を新聞で見た気がするんだよ。
転移者なら王宮にも顔が利くんじゃないかな?
このまま放っておくわけにもいかないし、
どうにか出来ないだろうか?」
そう言う旦那さんの表情は、
何かに縋りつくものの様に見えた。
わたしは申し訳ないような気持ちになって、
それを紛らわす為に林檎にかぶりついた。
「複雑な善意だ。構わないよ。
僕は、この娘の事が気に入ってる。
王様に頼る必要も、孤児院に行く必要も無い。
僕と一緒に暮らせば良い」
コトハさんはそうやって言いながら、
店先に並んだ林檎を一つ手に取ると、
わたしに手渡してくれた。
「ほ……、本当かい?
それなら良かった……」
旦那さんは本当に安心した様子だった。
此処の商店の夫婦は、
本当に良い人達だったのだ。
わたしとコトハさんは、
最初の家を引っ越すまでの間は、
この後も何度も脚繁くこの店に通った。
◆◆◆◆◆
「ところでさ。君の名前は?」
わたしはコトハさんにそう訊かれても、
何も答えられなかった。
わたしは名前だけじゃなく、
自分に関する事を殆ど一切、
何も知らなかったからだ。
「わからない」
「ふむ。それならさ、
僕が君に名前をつけてあげても良いかな?」
「え……?いいけど……」
コトハさんが繁々と、
点検するみたいにわたしの顔を眺める。
わたしも、じいっとコトハさんの顔を見てみる。
この時、それ以上には、
コトハさんは名前に関する話をしなかったけど、
後になって、コトハさんはわたしの事を、
突然スイと呼びだした。
わたしはそれを嬉しい事だと感じていた気がする。
とても気に入っていたし、
コトハさんに与えてもらったものだから。
意味なんてどうでもいい。
わたしにとっては大切な名前だ。
わたしは、
この名前をくれた大切な人を心から愛している。
コトハさんに出逢う事の出来たウクルクの事は好きだ。
たとえ、
それがどんなに呪われた土地だったとしても。
呪われた土地。
イファルに現れた魔女を名乗る女が、
わたしの故郷をそう呼んでいた。
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