『回廊と少女。』
◆
「物事と云うものが簡単に、
願った通りに易々と叶ってしまうのなら、
何とも味気の無い、
灰色の時間を人々は過ごす事になるだろうし、
苦難を知らない容れ物の中の魂は、
幸福に満たされる事は決して無いのだろうなぁ」
そうやって目の前の少女は呟いている。
声色に何の感情も乗せず、
事務的な手続きを確認する為に後程、
脳内で再生させようと取っておいた独り言の様だった。
少女は若く、
その声は年相応に甲高いものである様に思えたし、
呟いた言葉も大人のフリをして、
背伸びした様な内容だと考えると、
どこか微笑ましくも思えそうなものだったが、
コトハはそんな事を微塵も思っていなかった。
「そう殺気立つな。
だが、お前の様な者の歩む年月にこそ、
祝福は贈られるものだと儂は常々思っている」
「僕には必要無いよ」
「それはお前が満たされているからだ」
「それに、その問答も要らない。
悪いけれど、僕は急いでいるんだ」
「何故急ぐ?娘は平気だと言った筈だが?」
「会ったばかりの君の言葉を、
何故、僕が信じれると思うのかな?」
「そう急くな。儂を殺したとて、
此処から出られるとは限らんぞ?
儂はもう少し話がしたい。お前とな」
「……」
◆◆
都のスキル鑑定所で、
リクと別室に通された迄は良かった。
仕掛けられた魔法にまるで気付かず、
閉鎖された空間を産む魔法の産物である、
無限に続く回廊の様な場所に迷い込むまでは。
コトハは自分の迂闊さを呪った。
───七年前なら、こんな事は無かったのに。
ドアには微量な魔力が巡っていた筈だし、
感知に気を配っていれば、
鑑定所に入った時点で気付けていた筈だ。
自分を嵌める為に仕組まれた幾つもの罠が、
此処には無い筈だと、
どうして思い込んでしまったのか。
勝手知ったる異世界の都は、
戻って来た自分を温かく迎え入れる事は無く、
悪意の在る仕掛けを張り巡らせて、
その内に取り込もうと躍起だ。
軽快に躱しているつもりが、
その身は徐々に絡め取られていく。
尸童の魔女やゴアグラインドに苦戦した事も悔やまれる。
異世界に戻って来てからと云うもの、
追い立てられる様に時間が無いと焦っているのに、
自分の不注意で失敗を重ね続けている気がする。
(実際にそうだ。僕は間抜けだ。
本当なら、今頃はもうイファルに着いていて、
スイに逢えていたのかも知れないのに)
そう考えると、自然に溜め息が溢れ、
少しだけ泣き出したくもなった。
(……)
コトハは試しに眼の能力を発動させて、
迷宮の様な空間を見渡してみた。
其処に組まれている術式は、
思いの外、複雑に構成されていて、
幻術の類いでは無く、
自分が元々居た場所とは全く違う、
別の場所に閉じ込められている様で、
無機質な、
コンクリートの様な素材で出来た壁を指で触れると、
皮膚の下で脈を打つように、
その壁や廊下、空間の至るところに、
禍々しい程に凶悪で、
悪意を感じられる魔力が張り巡らされているのが解った。
コトハは指先から伝わるソレの事を考えると、
少し眩暈を起こしそうになり、
壁から指を離してはみたが、
自分の足元からも、
同じ様な魔力を感じて、
顔の見えない誰かに首を絞められそうにも思える、
その息苦しさに辟易してしまいそうになっていた。
(とにかく、此処から出ないと)
よろめいた身体は足を縺れさせて、
そのまま床に手をついて転ぶ羽目になった。
履いていたサンダルは脱げて、
手のひらと膝を少し擦り剥いてしまった。
「……何をやっているんだ僕は」
本当に小さな声でコトハは呟いた。
そして、床に手を置いたまま、
魔法の詠唱を始めた。
「混沌を漂いて 縁を統べる人」
コトハの手のひらの下に在る床が、
螺旋を描く様にして歪んでいく。
「双眸と弦の音」
徐々に回廊全体が、その形を変形させていき、
歪みに因って発生した亀裂が音も無く走り、
その様子は、其処に在る魔力に沿って、
魔法もろとも、回廊を絶ち斬らんとせんばかりだった。
「謳」
コトハの詠唱の声も、
発動する魔法も、
破壊され変わり果てて行く回廊の様子とは真逆に、
とても静かで穏やかなものだった。
回廊を構成する魔力が途切れかけ、
魔法で生成された空間は揺らいで、
亀裂の先には何も無い虚空が見える。
「さて、そろそろ姿を見せてくれないかな?
このままだと、この魔法ごと、
君の身体だか精神だかは、
この世界から消えてしまうかも知れないよ」
コトハのその言葉に、
緩やかに崩壊を続ける回廊の奥底に潜む、
術者の意思の様なものが呼応するように反応した。
トクン、と心臓の音の様なものが聴こえ、
術者がコトハとの対話を行おうとしている。
虚空の奥から、
微かに人の形をした様なものが見え、
段々とその陰影をハッキリとさせていくと、
それが子供だということが判った。
「そんな事をされては敵わん」
少女は、その姿に似つかわしく無い口調で声を発した。
声そのものは幼いのだが、
口調や発声のアクセントは、
まるで年老いた老婆の様だった。
「噂に違わんな、中央の魔女。
尸童のでは到底倒せん筈じゃ。尤も、
彼奴はお前を殺す気は毛頭無かったじゃろうがな」
「殺されかけたよ?」
「じゃが死んでおらん。
尸童のはお前に惚れておったからな。
お前の美貌と、その底知れん魔力にな」
「君は違うんだろう?僕を殺すつもりだ」
「冗談じゃろう。儂如きでは、
お前に手傷ひとつ負わせられん」
「ルカも君も、随分と僕の事を買い被ってくれる」
「事実じゃ。儂も、儂等の中の誰も、
お前には敵わん。
だから、儂等は考えた。
お前の力を封じ、捕え、殺す方法を」
「物騒な話だね」
「お前の力の強大さが故にな。
話自体は珍しいものでも無かろう。
人間は古来から、そうして世界を造ってきた。
自分達よりも強い獣に対抗する術だ」
「君と長話をするつもりは無い。
此処から僕を出して欲しい」
「娘に逢う為か?
急いても、結果は変わらんと思うが」
「どういう意味だい?」
──返答次第では、
と云った様子がコトハの言葉には込められている。
「娘は無事と云う意味じゃ」
「無事でないと困る」
◆◆◆
少女は語り続ける。
「まア、話を続けようではないか。中央の。
それに、お前も気付いているだろう?
儂の言う言葉の意味を。
此の回廊は魔法で出来ておるが、
儂が死んでも解ける事は無い。
術者でさえ、出入りを困難にする誓約を設けて、
強固な牢獄の様な空間を造りだしておる。
だが、お前の力なら空間ごと破壊するのは可能じゃ。
しかし、破壊して回廊を消したところで、
其処には何も無い。
元の場所には戻れはせん」
「それなら、君自身に魔法を解除してもらわないと。
まさか、それも出来ないとは言わないだろうね?」
「解除は出来る。だが、言ったじゃろう?
儂でさえ出入りが困難じゃ。
解除も簡単では無い」
嘘だ、とコトハは思った。
確かに強い力で構築された魔法だったが、
そこまでの誓約を設けてまで、
発動させるメリットが感じられなかった。
回廊の破壊も可能な上に、
閉じ込める意味合いを強めるなら、
術者が此処に入り込む理由が無い。
術者が死んでも云々の件は確かだろうが、
空間拡張の類いの魔法である。
空間の自動生成を補助する為に、
魔力の装置を利用して発動させているに違いない。
それを停止させれば、
魔法は解ける筈だとコトハは考えた。
「どういう訳だか、
君は僕を此処に引き留めたいらしい。
仮に僕の知らない魔法の術式だったとしても、
僕の能力なら見切れる。
回廊と君を破壊した先が、
何も無い虚空だったとしてもね」
「それはそうかも知れんな。
だが、それは七年前ならばの話だと思うがな」
「……僕は弱くなったと?」
「魔力も、戦闘力も衰えてはおらんのだがな。
言ったじゃろう?
儂等はお前を手篭めにする術を編み出した。
お前は此の世界では既に最強では居られん。
それは、お前が弱くなったからでは無い。
正確には、
これは、儂等がお前に掛けた呪いだ」
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