『ステレオ。』
◆
───ガッ!!
リクが荒々しく脚を蹴り上げると、
質素だが頑丈そうな机が、
見るも無惨に木っ端微塵となり、
破片を宙に撒き散らすと、
その一連の流れの合間を掻い潜る様に、
リクの身体はミズチに接近していた。
一歩か二歩を大きく踏み出せば、
身体同士が触れ合いそうな程に狭い部屋である。
リクの指は、壁に背を向けたミズチの肩を掴み、
彼女の身体中に膜状に張られた防御魔法を、
彼女ごと振り回す様にして、
そのまま乱暴に引き剥がした。
ミズチはリクの動作の逆向きに魔力を巡らせて、
体勢を崩した自分の身体が受け身を取れる様にしたが、
それを見透かす様に倒れかけたミズチの身体を、
リクは靴の底で蹴り飛ばして、
地面に叩きつけられたミズチの身体を踏みつけた。
激しく打ちつけられる音がして、
その反動がリクの脚に伝わったが、
リクは追い討ちをかけて、
その反動を押さえつける様に、
ミズチの身体を踏み砕こうと脚に魔力を込めた。
しかし、その瞬間には、
リクは自分の脚に込めた魔力が、
霧散する様に消失してしまった事に気がついた。
魔力の込められていない攻撃でも、
男の脚で踏みつけられる事に違いはなかったが、
剥がされた魔法を再び、
その身に纏わせたミズチには、
ダメージを負わされる様な代物では無くなっていた。
「『気色悪ィ』」
そうやってリクは呟いた。
「でしょ?ちなみに蹴りも効いてないからね」
「『当たってなかったか?』」
「全然力入ってなかったよ?言ったでしょ?
アンタは力の使い方を忘れちゃうんだって」
リクはその言葉には反応せずに、
ミズチの顔面を拳で殴りつけようとした。
しかし、その拳はミズチには届かなかった。
寸前のところで、
リクの手首をミズチが掴んでいたのだ。
そして、リクの顎に掌底が叩き込まれた。
鉄の塊を振り回す様な音がした後に、
リクは身動きも取れないうちに、
顎に凄まじく重たい一撃を喰らい、
その身体は吹き飛ばされていた。
彼は仰向けに倒れ、
すぐに立ち上がろうとしたものの手や脚が震え、
立ち上がる為についた腕に力が入らずに、
滑る様にして再び崩れ落ちてしまった。
「身体が脆いんじゃない?
あたし女だよ?少しオーバーだって」
「『吐かせ』」
そう言ってリクは血の混じった唾を吐き捨てた。
「『お前が今、俺を殴るのに使ったのは魔法だ。
魔法使いに男も女もあるかよ』」
「あはは。怖。だとしたら、
手加減はしてくれないって感じ?」
「『オメーならすんのか?』」
そう言った次の瞬間には、
リクは立ち上がり、
再び凄まじい疾さでミズチに掴みかかろうとしたが、
その腕が到達する事は無く、
ミズチの放った前蹴りが、
リクの鳩尾に浴びせられ、
怯んだリクは再度、顔面を殴りつけられた。
信じられない重量感と、
獣の様な荒々しさがありながらも、
相手な致命傷を狙って急所を的確に打つ、
訓練された精確な一撃だった。
それに加えて、
強化魔法で装甲を纏った様な強度と化した拳である。
魔力を帯びた攻撃を魔力無しで防ぐ事は難しい。
身を護る防御魔法を張ろうにも、
リクには魔力を操る事が出来なかった。
正確にはミズチの言う通り、
文言を詠唱し術式を構築させ、
魔法が発動する迄の最中に、
魔力の操作を忘れてしまっていたのだ。
そして、
試しに再度、詠唱を行おうとしたが、
今度は詠唱の文言を口にする事が、
どうしても出来なかった。
思い浮かべていた筈の言葉は、
意味の無い記号の羅列に変わり、
やがて、言葉を思い浮かべていた事すらも、
気が抜けば忘れてしまいそうになっていた。
「……およよ?意外と勝てっかも知んないね?」
「『クソうざってえな、オメーの魔法。解け』」
「解くわけ無いでしょ。てか、アンタ、
魔力は高いけど、戦い方は雑じゃない?」
「『彊郭魔法だけじゃ無ェ。
諱の付与を使って、
魔法に因る精神干渉の効力を、
限度ギリギリまで上げてやがる。
その所為か頭も痛ェ。解け』」
「解かないって。てか、解いたとしても、
何か勝てそうな気もしてきたな。
アンタ何者なの?
リクの新しいお友達って言ってたけど、
まさかホントに産まれたてホヤホヤって事?
それにしちゃ、色々と詳し過ぎるか」
「『説明しても解んねェだろうから教えねえ』」
「あっそ。ま、いいよ。
そんなにゆっくりするつもりも無いから」
ミズチは詠唱し、散乱したテーブルの破片を掴むと、
更に細かく握り潰し、
魔力が込められ弾丸の様になったそれを、
リクに向けて放った。
───ヒュッ!!
ただの木片が風を切る凄まじい音を立てて、
魔力を帯びた光を放つ攻撃魔法へと変わった。
リクはミズチの放った攻撃を、
その場から一歩も動けないままに、
全てその身に受ける事となってしまっていた。
「『痛ェッ!! クソが!!』」
威勢の良い声を上げたが、
ミズチの放った破片は、
リクの顔や身体のあちこちに痛々しく突き刺さり、
噴き出る様にして彼の全身は出血をし始めた。
「虐めるつもりは無いんだけど、
アンタのお陰かな?リクのステータスじゃ、
そんな傷を受けてちゃ死んでる筈だよね」
「『オメーの魔法がショボいんだよ。
尤も、諱やら彊郭魔法の所為で、
何かしら誓約が出来てたら、
話は別だけどな?』」
「知ってたんだ?じゃア悪いけど、
ショボい魔法を何発か撃たれて、
苦しんで死ぬ事になるけど良い?」
「『良いわけ無ェだろクソッタレ。
この部屋に掛かってる魔法を解きゃ、
誓約も無くなってデカい魔法撃てんだろうが。
解けよ。こんなんじゃ、コイツの身体が死んでも、
俺は殺せねえ』」
「どういう仕組みなんよ?
術者が死んじゃったら、
スキルもクソも無くなるだろうに。
自我を持つ魔法が有るのは知ってるよ?
だけど、自我を持った魔法は、
術者の手から離れて独立する事が出来る。
アンタみたいに術者に寄生してる形じゃ、
宿主が死んじゃうのはマズくない?」
「『そりゃオメーの把握出来るだけの世界の話だろうがよ?
ンなちっぽけな匙加減の理屈を、
俺に押し付けんじゃねぇよ』」
「はいはい。あたしが解んないのは判ったわ。
今でも充分、リクは死んでてもおかしくないけど、
遠慮無く撃たせてもらうね」
「『やってみろよ』」
───今のうちに仕留めなくてはいけない。
ミズチの手のひらは、
じんわりと滲み出る汗で、
固く握りしめた指と指の間が、
滑りそうな程に濡れていた。
優位に立っている筈なのに、
身体を小刻みに震わせ、
悪い想像を無理矢理に浮かばせる、
拭い去る事の出来ない感情は恐怖だった。
リクの言う言葉の意味も、
まるで理解出来なかったが
それを一笑に付す事は、
そのまま死に直結させる事になるのは明らかだった。
(術者が死んでも平気なんて意味わかんない。
魔法って何?って話になるじゃん。
……考えるな。別に本当の事なんて知らなくて良い)
ミズチは再び木片に魔力を込めてリクに放ち、
防御を忘れたリクがそれをまともに喰らうと同時、
続け様にリクの下腹部、
丹田と呼ばれる辺りに直接、拳を叩きつけた。
「『カハッッッ……!!』」
リクが呻き声を上げ、
その場に膝から崩れ落ちるより先に、
ミズチは既に次の魔法の詠唱を終えていた。
「頭ブチ抜かれちゃったら関係ないでしょ」
───ズドンッッ!!!
砲撃の様な音と共に、
硝煙と、その匂いが部屋に充満していく。
魔法に撃ち抜かれたリクの後頭部は撃ち抜かれ、
ミズチはリクの位置から眼を離さずに、
後退りしながら一旦距離を置いた。
手応えは有ったし、
何よりリクに攻撃魔法を防ぐ術が無い。
それでも念の為に、
本当に戦闘不能になっているのかを、
目視で確認するつもりだった。
(出来るだけの出力ギリギリで撃ったもんね、
魔法防御無しなら頭粉々になってるっしょ)
魔力の感知をしても、
微々たる量すらも感じ取る事は出来ず、
それが魔力の操作が出来ない事が要因では無く、
リクの生命が、
既に死の淵を越えようとしている事を意味した。
しかし、何かが変だと、
ミズチは自分の直感が騒ぐのを堪えきれなかった。
(早く……。早く煙消えろ。
死体、死体を見れば少しは落ち着くから。
そしたら魔法解いて……、
装置解除して、部屋出て……)
思考の整理を捗らせる為に、
深く息を吸い、
煙の匂いに少し噎せ、
咳払いしながら眼を凝らした。
中々、煙は晴れない。
───絶ッッッッ対、変!!
ミズチは素早く詠唱を終えて、
煙の中心に向かって、
弾幕を張る様に攻撃魔法を撃ち続けた。
しかし、その最中に、
ある事に気づいた。
───魔力が練れない、てゆうか、あたし、今何してたっけ?
ミズチの意識に張られた、
薄膜の様なモノが剥がされていく感覚がした。
「『気色悪いだろ?オメーの魔法』」
声がした。
それは先程の声と呼吸を合わせる様に、
重なって聴こえた。
「『ブッ壊れちまって、もう聞こえてねぇか。
調節わかんねえから、思い切り喰らっちまったな』」
煙は既に消え失せていた。
リクはミズチの腕を掴んで扉まで引き摺ると、
その指を部屋に掛けられた魔法の装置を解除する為に、
装置の核となる部分に乱雑に押し付けた。
「『俺の事を知りたがってたが、
気にしねえようにしてただろ?
お前は知ろうとした方が良かったんだ』」
ミズチの返事は無い。
「『俺の名前は第三の声』」
「『俺の名前は第四の声』」
リクのものでは無い、二つの声が、
重なり合いながら、そう聴こえた。
◆◆
♪紡木こかげ『夢をかなえてドラえもん』




