『女神と。』
◆
「ちょっと待って……。何なの?
お前と俺の、
スタートからしての格差……。
ちょっと俺可哀想じゃない?
てか、お前ずるくない!?」
リクは突然のコトハの発言に、
情報を整理しようとして、
苦し紛れに憎まれ口を叩いてみせた。
「僕に言われても……」
「そもそも女神って、姿を現さないんだろ?
転移者が、この世界に来た時にだけ、
痕跡を遺すんだって聞いてるぞ?」
「そうだよ。だけど、
何故か彼女は僕の前に姿を現した。
それと先刻も言ったけれど、
彼女と過ごした時の事は、
何故だかハッキリとは思い出せないんだ。
随分と長い間、一緒に過ごして、
沢山の事を教えてくれた様な気もするんだけれどね」
「お前の強さの秘密って、
そこにあるんじゃねえの?」
「どうだろうね?イズナの言っていた、
祝音だの、天選者だのと、
関連性は確かに有るのかも知れない」
「イズナも女神と逢った事があるのかな?」
「わからないね。
イズナの発言と僕が女神に抱いている感想は食い違う。
少なくとも崇め奉る様な人間性で無かった事を、
僕は憶えている。
尤も、女神が、自分と接した人間の記憶を、
何らかの理由で操作して、
僕の様に虫喰いにされているか、
都合の良い様に改竄しているのかも知れないけれど」
「改竄?」
「そういう可能性もあるって事さ。
神様なんて、
僕は彼女にしか逢った事無いから比べられないけれど、
彼女と別れた後に、
あちらこちこらで聞いた、
女神の伝承と彼女の人物像が、
随分かけ離れていたからね。
確かに傍若無人で、性格は破綻していたけれど、
僕は彼女が世界の半分を焼け野原に変容させた、
破壊神の様な存在だとは思わなかった」
「女神の伝承は、大昔の話なんだろ?
途中で物語の内容が変わっただけじゃないのか?」
「そうだね。充分に有り得る。
それに、先刻まで僕達が対峙していたのは、
正しく、この世界の闇と云うべき存在だった。
世界の歴史が、本当に彼女達の言う通りに、
都合良く玩ばれていたのだとしたら、
女神の事だって、
何か歪な形に変えられていたって、全くおかしくない」
「怖いんだけど……」
会話の途中で、
ようやくコトハとリクに、
受付から声が掛かり、
二人はそれぞれ別室に通された。
「じゃあね。また後で」
「ああ」
前回訪れた時に、
スイと一緒に行った部屋と同じかどうかは、
リクは思い出せなかったが、
簡素だが重厚な造りの扉は、
どれも同じに見えたので、
部屋の違いも、差程無いのだろうと思えた。
───ギィィィ……
重くるしい扉を開ける音が引き摺る様にして鳴り、
リクは部屋の中に居た人物に名前を呼ばれた。
◆◆
「君がリク」
「はい。そうです」
「ま。掛けてくれたまえ」
フードを深く被り、
顔は全く見えなかったが、
声からして、部屋に居た人物が女である事は分かった。
三畳か四畳程度の部屋の中には、
他に誰も居なかったので、
その女が鑑定士なのだろうとリクは思った。
「スキルの再鑑定と、
ステータスカードの再発行で良い?」
「はい。お手数かけてすみません」
「構うことは無いよ。それが与えられた仕事だからね」
明るい声で鑑定士の女は言うと、
リクに向かって手招きをして、
もう少し顔を近づける様に指示をした。
リクは何となく、
咄嗟にフードの中の女の顔を、
覗き込む様な視線を送ってしまい、
慌てて眼を反らそうとしたものの、
自分の眼に映った女の顔に驚き、
あからさまに、その事について反応してしまった。
「あア、こんな顔を見るのは初めてだった?
驚かせてごめんね」
女の顔は、額に掛かる髪を除いて、
その他の眼も鼻も口も、
顔の一切が、輪郭でさえも、
薄くモザイクが掛けられた様になっていて、
何一つハッキリと視認出来るものが無かったのだ。
そのマネキンの様な顔は、
感情に合わせて、モザイクの下の顔が動くと、
奇妙に波打って動き、その様は、
どうしても不気味なものに映った。
「少し理由が有ってね。
顔を認識出来なくさせる魔法を掛けているんだよね。
あ。でも心配はしなくて良いから。
罪を犯して顔を隠さないといけない、
とかじゃないからさ」
女の声は明るかった。
笑顔でも見せているのか、
モザイク越しではハッキリと判らなかったが、
怖がる子供を安心させて、
あやすように、身振り手振りを添えながら、
快活に話を続けた。
「残念だけど君の持っていたステータスカードは、
親切な人が届けてくれる事も無く、
綺麗サッパリ紛失しちゃったみたいなんだよね。
君の魔力と紐付けてあるから、
魔力を辿って世界中を隈無く捜せば、
いつか何処かで見つかるかも知れないんだけど、
そこまでするには時間も労力も、
勿論、お金だって掛かる。
だから、お勧めはしない。
破棄って事にしちゃって良いかな?」
「え……。そっすね……。
すみません、自分よく分からないんで……、
お任せで……」
「良き。話が早くて助かる」
リクは、どこか強引な勢いに気圧されるがままに、
近づけた顔に女の手が触れ、
眼を覗き込まれる様な仕草をされると、
竦んだ様にして身体を強張らせてしまった。
「怯えなくて大丈夫だからね。
ま、何処に眼が在るかも判んない様な、
こんな顔に、ジーッと見られちゃ無理もないか」
笑う様な仕草をして、
女の黒い髪がハラリと揺れる。
「あの……?これって何してるんすか?」
「んん?リクの魔力と、
紛失したカードの魔力を照合してんの。
詳しくは教えてあげらんないけど、
鑑定士には、こう云うスキルが必修だからね」
「へ……、へえ~……」
「うん。問題無いね。
これはさ、
嘘の紛失と再発行の届けを防止する為でもあるんだ」
「ステータスカードって、
悪用されるんすか?」
「身分証代わりに使う人もいるからね。
でも先刻も言った通り、
持ち主とカードは魔力で紐付けされてるから、
手に入れたとしても、
偽物は、すぐにバレちゃうよ。
それでも嘘の届けが、ごく稀にある理由は、
魔法の媒介に利用する為だね」
「媒介?」
「古典的な一部の魔法のね。
あんなに小さな物質でも、
名前と魔力が、一括りになって結びつけられる行為は、
時には魔法的な意味合いを強く発揮するんだよね」
「すみません……。ちょっと難しい……」
「良いよ良いよ。
ま。お呪いみたいなもんだよ。
好きな娘とか、嫌いな人の名前とかを書いて、
なんだかんだするヤツとか、やんなかった?
あんな感じのイメージだよ」
「ああ……、成る程」
「リクは何だか特殊なスキルを持ってるらしいね?
引き継ぎの資料に書いてあるよ」
「そうすね。魔法使いって感じじゃないすよね」
「そう?でも剣士って訳でもなくない?」
「まア、それはそうだけど」
「でも、リクはスキルを巧く使えれば、
剣士にも成る事が出来るんだよね」
「試した事は無いけど」
「失敗しそうで怖い?」
「まア……。怖いって云うのとは、
少し違うかもだけど」
「フフ。多分、頭が良いんだね?」
「いや、そんなことはないけど」
「後学の為に教えてあげるね。
模写系のスキルって云うのは、
幾つかの種類と系統を持って、
それぞれが派生して存在してるんだよ。
まア、大体のスキルがそうだけどね。
同じ魔法って括りでも、
火炎魔法と氷結魔法じゃ全然違うでしょ?
一括りに模写系って云っても、
相手の能力を、
鏡に写すみたいに、そのまま複製するもの、
能力そのものを奪ってしまって封じるもの、
能力を複製した後に、アレンジを加えられるもの、
対外的には同じに見えるし、
それらを全部ひっくるめた能力も存在する。
だけど、
容量や、属性の違いや、
対価そのものが違うものもあるんだよね」
「対価が違う?」
「そ。大半は勿論、魔力だよ。
だけど、リクの技能賃貸は、
対価を魔力だけに限定しない方が良いんじゃない?」
「つまり、それってどういう……?」
「字面の意味を、額面通りに受け止めてごらん?
リクの能力は、正確には模写してるんじゃなくて、
相手の能力を借りてる、って表現が正しいよ。
つまり、スキル発動の対価の魔力+、
相手への支払いも忘れちゃいけない」
「相手への支払い……」
「レンタル料金を、リクが指定出来るのか、
相手が指定するのか、
それ自体の設定が未だあやふやだけど、
君のスキルレンタルが巧く発動出来ないのは、
魔力不足やレベルの違いとは別に、
発動までの手順を、
きちんと踏めてない所為もあると思うなぁ」
「そんな事聞いてないんだけど……」
「教えてくんなかった?」
第二の声でさえ、
そんな事は言っていなかった、とリクは思った。
「君の中の声も、未だ知らないのかもね?」
女の柔らかな口調とは、
不釣り合いな程に、
その言葉はリクを内面から揺さぶり、戦慄させた。
「鑑定士だから分かったんすか……?」
───別に隠していた訳でも無いのに。
しかし、何となく手痛く核心を突かれた。
「当たり前じゃん?言っておくけど、
驚いてるのはコッチも一緒だよ?
スキルから発生、或いは乖離した別の人格。
まア、意思を持つ魔法ってのが居るみたいだから、
無くは無い話だとは思うけどね」
「そ……、そうなんすね?」
「さア?リクのソレが、
果たして魔法と呼べるのか、どうかってのは、
判断しかねるかなぁ」
「どういう意味っすか……?」
「多重人格。若しくは、ビョーキ」
「は!?」
「嘘嘘。冗談だよ。
鑑定の魔法に引っ掛かるんだからスキルだよ。
線引きが曖昧だとしたら、リクが行くのは、
鑑定所じゃなくて病院」
「何か……、言葉に刺……」
「ここまでが冗談。
ネガティブに捉えないで大丈夫だからね?
リクの才能は素晴らしいって話だから」
そう言うと、女はどこかから白紙の紙とペンを出すと、
仄かに光るペン先を走らせて、
紙を文字で埋めていった。
「頭が七つも有った人間の魔法使い、
異なる神話で語られる別々の神格を持つ一柱の神、
複数の命を所有して永らく君臨し続けた魔族の王、
伝承に名前を遺す様な怪物達は、
理にそぐわない逸話を、
いつの時代にも語り継がせて、
刻み込んでいくものだよ。
リクのステータスの上昇も、
スキルの熟練度も、
並みの人間と比べて何も驚く様な成長は無い。
だけど、
備わってる能力は剰りにも異質だと思うんだよね。
誇っても良いよ。
リクは立派な怪物だ」
「あんた一体……?」
女の雰囲気に圧倒され、
リクの口から吐いて出た言葉には、
疑念や恐怖が、しっかりと込められていた。
「あたしの名前はミズチ。
って云っても、あだ名だけどね。
向こうで、
そう呼ばれてたから」
その名前に聞き覚えがあった。
異世界に転移して来た、その日に、
スイとウクルクの騎士団長の口から、
その名前が出た事を、微かにだが思い出せた。
「御簾千景が、
あたしの本当の名前」
「あの……、率直に訊きますけど、
敵……、じゃないんすよね……?」
「ハハハ。どうしてそう思ったの?」
「何か……、雰囲気が……、怖いっす」
「敵。敵ねぇ。
リクは一体、何と戦ってんのかな?
聖域教会?
それとも、中央の魔女を騙し続けてたこの国?
はたまた……、突然、迷い込んでしまった、
この理不尽で奇妙な世界?」
「え? ……そりゃ、聖域教会じゃないんすかね……」
「まア、解り易いよね。
絶対悪としての印象が、どうしたって根深いもんね。
じゃア、リクは悪と戦う正義のヒーローなんだ?」
「いや……、そういうわけじゃないっすけど……」
「それなら、何でリクは戦うんだろうね?
中央の魔女と共に。
先刻の彼女の戦いを見た?
凄まじかったでしょ?
彼女こそ正真正銘の怪物。
あんなモノが、怒りに身を任せて暴れ回ったとしたら、
この世界は一体どうなっちゃうんだろうね?」
「……怪物って。アイツは、
自分が大切にしてる人の為に戦ってるんすよ?」
「あたしから言わせりゃ、
聖域教会も怪物なんだよね。
思想も行動も狂ってる血走った意識の集合体が、
巨大な鎌首を傾げながら、
何処に牙を突き立ててやろうかって睨みを効かせてる。
その巨大な怪物を倒せるのは中央の魔女かも知れない。
だけど怪物同士の殺し合いに、
一体どんだけの命が巻き添えを喰らうだろうね?」
「俺の知り合いも似たような事言ってたわ。
でもさ、誰かが出来る事を、
何かしなくちゃならないんじゃねえの?
兄弟を殺されたり、
謂われも無くて蔑まれたり、
育ての親と離ればなれにさせられたり、
強いヤツが、自分の力任せに、
誰かの不幸を呼び寄せてんなら、
それを放っておいちゃ、いけないんじゃねえかなって、
俺は思う」
「青」
「は?」
「青臭いっつってんの。
ハハハ。でも嫌いじゃない」
「なんなんだよ。つーか、アンタ一体何者なんだよ?
転移者なのは分かったけどさ」
「あたしはさ、この世界が好きなんだよね」
「それで?」
「聖域教会にも、中央の魔女にも、
世界を滅茶苦茶にされたくないんだよね」
「あのさ、アンタ知らねえかもだけど、
先刻だって、コトハは誰も怪我しねえようにって、
結界で守ってたんだからな?
あんまりアイツの事を馬鹿にすると、
俺だって怒るからな?」
「立派。だけど、敵も味方も区別つかないような、
ぐっちゃぐちゃの戦いになった時に、
中央の魔女は本当に、今みたいにリクを守れるかな?」
「アイツを舐めんな」
「そっか。それなら、
中央の魔女は敗けるね」
「は!?」
「中央の魔女だけじゃない、聖域教会だって敗ける。
この世界の本当の闇を相手には出来ない。
他人を気遣ってる様だと、
気づいた時にゃ、もう呑み込まれちゃってるね」
「管理者とか云うヤツらの事か?
アンタ、管理者の仲間なのかよ?」
「転移者のくせに、って面だね?
そうだよ。あたしは剪定者。
管理者の命令で動く、
管理者にとってイラナイモノを始末して廻る、
お掃除部隊の人間だよ。
あ。つっても、尸童の魔女は、
あたしの上司じゃないよ。
あたしの上司は別の魔女」
「また厨二みてえな事言いやがって……!」
「リクも此方側へ来ない?」
「は?」
「だから、管理者側につかない?
リクの能力なら、きっと歓迎されると思うんだけどな」
「……誰が行くかよ」
「そ?後悔すると思うけどなぁ。
踊らされてんだよ?この世界のモノは、ぜーーーんぶ。
たった何人かのイカれた連中の手のひらで、
何千年も。想像出来る?
本当の事を知ったらさ、
多分、リクだって心底、絶望して、
そうせざるを得なくなっちゃうと思うな」
◆◆◆




