『血と黒山羊の骨。』
◆
「随分と余裕なんだね」
コトハはルカを指差して言った。
「君の様な人からしたら、
使い捨ての駒程度なんだろうけれど、
僕にとっては相性の悪い魔法を使う相手だった。
君は僕への対策に彼を起用したんじゃないのかい?
その彼が倒されたって云うのに、
君は顔色ひとつ変えない」
それを聞いて、ルカは声を上げて可笑しそうに笑った。
嘲る様な、厭な笑い方だった。
「御冗談が過ぎますわ。
先程も申し上げました通り、
ゴアグラインド如きで、コトハ様を倒せるなどと、
これっぽっちも考えていませんでした」
「やれやれ。
確かに敗けるつもりは無いとは言ったけれど、
君は些か、
僕を過大に評価しているんじゃないかな?」
「そんな事は決してありません」
「それに自動回復が無ければ最初の一撃で死んでいた」
「強者とはそういうものです。
驕らずに、常に自分を研き続けます」
「君も気づいているんじゃないだろうか?
僕は七年前よりも弱くなっている。
向こうで魔力を制限されていたから、
身体が鈍っているだけだろうと思っていたんだけれど」
「コトハ様。鳥は飛び方を決して忘れたりはしません。
ニホンでの魔力の制限下で過ごす中で、
抑制してしまう癖がついてしまっただけです」
「飛べない癖がついてしまう鳥もいるかも知れない」
「コントロールしきれていない、
と云うのなら、確かに七年前よりも、
今のコトハ様は劣っているかも知れません。
しかし、御心配なさらずとも、
魔力量や戦闘技術と云ったものは、
何一つ変わりはしておられません。
貴女は強い。この世界の誰よりも」
「君が敵なのか何なのかよく分からなくなってくる」
「フフ。そうかも知れませんね。
ここまでコトハ様に執着するのも、
恋慕に近い感情が有るのではと自覚しておりますから」
「執着」
「貴女の美しさに惹かれ、強さに平伏しているのです」
突然、魔力の気配が増え、
大勢のルカの分身が、
コトハを取り囲む様にして再び出現した。
そして、其々の分身が、
コトハを穿ち貫かんとして、
烈しい閃光を放つ攻撃魔法を発動させた。
───『穿つ閃光』
先程よりも狙いを絞られた、
レーザー状の細い光は、
網目の様な弾幕となると、
コトハに次々と襲い掛かり、
コトハは眼を発動させて、
再び、それを躱し続けた。
「悪いけれど視える分、
ゴアグラインドの魔法よりも見切り易い」
「それならコレは如何でしょうか?」
放たれて、コトハの身体を掠めていく閃光達が、
消失する事無く、其処に留まり、
無数に突き立てられた剣が、
まるで檻にでもなったかの様に、
コトハの周囲を次々と覆い囲っていった。
───『籠の鳥』
「迂闊に触らない様にお気をつけ下さい。
動いていない様に見えますが威力はそのままですから」
細い光の束だったが、
先程のものと同じく、
凄まじい魔力を圧縮されている。
ルカの言う通り、
触れれば腕や脚など、軽く消し飛んでしまうのだろう。
「幾ら、視えていると云っても、
逃げ場所を狭められるとなると、
果たして躱し続ける事が出来るのでしょうか」
ルカは更に閃光を放ち、
四方八方を塞ぐ様に、
コトハの行動出来る範囲を封じていった。
「お気をつけ下さいとは傑作だね」
そうやってコトハは言うと、
両腕で頭を庇う体勢を取り、
躊躇う様子も無く光の檻の中へ突っ込んで行った。
肉を削ぎ、骨を断ち、
血飛沫が次々と舞い上がり、
コトハの身体のあちこちが欠損していく中、
彼女はまるで意に介さない様子で、
悲鳴ひとつすら上げずに、
一番近くに居たルカの首を目掛けて、
既に千切れかかっていたが、
かろうじて残った左の掌に込めた魔力を放出し、
ルカの首から上を吹き飛ばして見せた。
その次の瞬間には、
再生を始めた両脚で踏ん張りを効かすと、
もう血の流れ出ていない身体を軽やかに翻し、
別の五体のルカに触れると、
彼女らは次々に輪切りにされた様にして、
あっという間に、身体を破壊されていった。
「痛みは感じると仰ってましたのに。
自動で回復すると云っても、
捨て身の一手は感心出来ませんね」
半身を切り刻まれた様になっていたコトハの身体から、
既に傷痕は跡形も無く修復され尽くし、
無色透明かと錯覚してしまう様な、
透き通ったコトハの顔は、
乾いて黒くなった、
汚ならしい血の塊を張り付けいても尚、
その美しさを損なう事はまるで無い様に思わせた。
「先刻の言葉を少しだけ訂正いたしますわ。
コトハ様は七年前よりも、
冷静さは確かに欠かれておられます。
もし、御自身が弱くなったと感じておられるなら、
そこに要因が有るのかも知れませんね」
「まア、こんなトチ狂った戦い方は、
しなかったかな」
「そうです。
魔法使いとしては及第点を差し上げられませんね。
魔法使いは、あくまでも魔法使いであるべきです。
幾ら強大な力を得ようとも、
獣になるべきではありません」
「そこまで言われると流石に傷つくな。
僕だって、やりたくてやったんじゃない」
「過信は必ずや身を滅ぼします。
しかし、
そこまでコトハ様を追い詰める事が出来た事は、
個人的には誇りに感じています」
ルカの分身が更に増え、
品の良い足音と共に、
ゆっくりとコトハを包囲していった。
「リク様を連れて来るべきだったのです。
あの方の魔法があれば、
この膠着した場面の突破口になったかも知れません」
「ナツメくんの能力に気づいていたのかい?」
「ええ。存じ上げております。
能力の封殺。
無限に分身を産み出すこの魔法も、
それであれば封じられていた事でしょう」
「彼がこの場に居たら、真っ先に君に狙われて、
とっくの疾うに殺されていたかも知れない」
「そうしていたでしょうね」
「とは云っても、君の事だから、
把握しているナツメくんの魔法への対処法も、
既に編み出されているのかも知れない。
王宮に残してきた、君の分身のひとつに、
彼は既に魔法を使っている筈だ。
それなのに、君の魔力は途切れた様子は無い」
「わざと、リク様を御一人にされたのでしょうか?
既に、私の分身に殺されているかも知れませんよ?」
「殺す?君が彼を?それは無理だよ」
コトハは至極当然だと言わんばかりに、
あっさりと、そう言い切った。
「何故、そう思われるのでしょう?
幾ら、リク様が能力の封殺を行っても、
ほんの数秒程度と云った時間的な制限があります。
それに能力を封じられたとて、
リク様自体に、攻撃をする術がありませんし、
それがあったとしても、私を倒すには至りません」
「と云う事は、未だ彼は生きていると云う事だね」
「コトハ様、私に誘導の様なものは必要ありません。
もしかしたら、全て嘘かも知れませんよ?」
「いや、君が幾ら嘘つきだとしても、
彼を殺していないのは事実だよ。
あんな希少価値の高い魔法を操るんだ。
君がそれを利用もせずに棄てるとは到底思えない」
「そうだとしてもです。
コトハ様はリク様と分断され、
魔力が尽き果てるまで私と踊って頂くと云う事に、
変わりはありません。無用な揚げ足取りです」
コトハを決して逃がすまいとしてなのか、
会話の最中にもルカの分身は増え続ける。
もはや、周囲を埋め尽くさんばかりに、
何処を見渡しても彼女の居ない場所は無い様に思えた。
「彼の強みはさ、
あの特異な能力に、ちっともそぐわない微量な魔力と、
生来の存在感の薄さに有ると僕は思っている」
「幾ら能力が優れていたとしても、
魔法使いの戦いに於いて、
魔力の量と云うものは重要です。
それに、リク様は戦闘の経験も浅いでしょう」
「そこなんだよ。彼は舐められやすい。
それに加えて、強い魔法使いと云うものは、
概ね、我が強くてワンマンな作戦を取りがちだ」
「それは当然なのではないでしょうか?」
「これは蛇足かも知れないけれど、
君みたいな魔女なんて呼ばれる存在は、
パーティーを組んだりはしないだろう。
個人が強すぎて、下手な連携は疎ましく思ってしまう。
居たとしても、扱い易い捨て駒の様な存在くらいだ」
「何が仰りたいのか、私にはよく解りません」
「僕とナツメくんはパーティーだ。
彼は時折エッチなところもあるけれど、
年相応と考えて僕は眼を瞑ろう。
それを差し引いても、
彼以上に優れた伏兵を僕は知らない」
コトハは斬撃の魔法を放った。
辺りには数多の分身が居たが、
狙いは大きく外れ、
あまりにも見当違いの方向へと、
それは真っ直ぐに飛んでいった。
「!?」
しかし、ルカには、
その攻撃が何を意味するのかが、
直ぐに理解出来た。
「お前達!!」
怒号に近い声が上がると、
コトハの魔法を防ごうとして、
ルカ達は立ち塞がり、防御魔法を発動させたが、
それがコトハの斬撃に追い付く事は出来なかった。
紙切れの様に、
数十人のルカを切り裂いても尚、
コトハの魔法の威力は落ちる事無く、
定められた場所へ戻る様にして、
地表を抉り取り、
深い大地の奥底へと到達した。
「何故!? どうしてソレを知り得たのですか!?」
コトハからの返答を待たずに、
ルカの閃光魔法は無数に束ねられると、
コトハに向かって浴びせかけられる様にして撃たれた。
周囲の景色は、
発光に因り白く染められると、
巨大な地鳴りと共に地形を激しく破壊され、
静まっていく光の刺激に眼が慣れる頃には、
その少し前とは一変した、
荒廃した大地が眼前に姿を現している事が判った。
◆◆
(何処だ!? 死んでいる筈が無い……!!
それに、どうやってアレの存在に気づいた!?
コトハ様の魔力がまるで感知出来ない……。
遠くへ逃げた筈は無い!!
何処だ!? 何処へ行った!?)
分身の殆どは、
自らの魔法で塵と化したが、
一体だけ、半身だけを残した様な状態で、
かろうじて、その場へ留まる事が出来た。
分身の肉体の損傷は激しく、
遠隔で操る魔法との接続は、
今にも途切れてしまいそうだった。
その要因は、
ダメージだけではなく、
ルカが地中へと隠し、
コトハが狙ったソレが破壊された事に因った。
「『死産した胎児の血に浸した黒山羊の骨を編んで、
魔力を込めた人形。随分と古い魔法だね』」
薙ぎ倒された木々が遮っていた筈の風が吹き荒び、
姿の見えないコトハの声が聴こえる。
「コトハ様……。
どうしてお気づきになられたのですか?」
「『僕の眼を通して、
ナツメくんと視界を共有した。
僕の能力と、
彼の魔法は相性が良いみたいだ。
彼には得た情報を処理して解答を導き出す、
仮説の組立と云う能力がある。
共有した僕の視界から得た君の情報で、
彼は君が隠していたコレを僕に知らせてくれたのさ。
君が発信する魔力を中継する魔法具、
コレのお陰で、
君は遥か遠くから身の安全を確保出来ていた訳だ』」
「……ッ!!」
中継する魔法具を破壊された所為で、
魔力の供給は不完全なものとなり始めていた。
「『この魔法具自体に、
特定の、おそらく君の魔力の感知を、
妨害する魔法が掛けられている。
余程、大事なものらしい。
君の魔力を見つけづらいのは、
これの所為もあるんだろうね。
そして、君はおそらく、
ウィソの都を始めとして、
ウクルクの国中にコレを仕込んでいるんだろう』」
「……リク様を優秀な伏兵と仰る理由は、
これの事でしたか……。
でも残念です、コトハ様。
御指摘の通り、
私はコレと同じものを、
ウィソの王宮内にも隠し持っております。
この場は一旦、退かざるを得ませんが、
ウィソには、また私の分身を送り込めます。
能力は確かに素晴らしいですが、
一人では戦闘も儘ならないリク様だけでは、
どうにもなりませんね?」
『「彼を盾にでもしようと云う話かな?
それなら止めておいた方が良い」』
「それは一体どうしてでしょうか?」
そうやって言った瞬間に、
ルカの背筋には不吉な予感が、
凍える様な冷たさと共に勢いよく走りだした。
分岐しながらも独立している分身の視界を覗くと、
最後に確認をしてから、そう時間も経っていない、
ウィソの王室の中で、
ルカの触手に因って行く手を阻まれ、
立ち往生しているリクの姿が、
相変わらず同じ様にして、そこにはあった。
(ハッタリでしょうか……?
それにしても、リク様がスキルを発動した様な、
そんな素振りは見せなかったのに、
一体どうやって……?)
その次の瞬間、
コトハとリクの元に送り込んだ分身の視界と意識は、
両方ともルカとの接続を遮断し、
プツリと映像は途切れてしまった。
◆◆◆
時を同じくして、
ウィソの王宮、
其処にはルカの姿は無く、
頭部を破壊され、
塵と化して朽ちていく彼女の分身の亡骸があった。
「僕は真っ先に眼を狙われ易いから、
幻術や目眩ましの魔法には少し詳しいんだ。
だから当然、僕も幻術は扱える。
警戒して、僕の眼を注視し過ぎたみたいだね。
思いの外、あっさりと幻術に掛かってくれたから、
ウィソに戻る余裕は充分稼ぐ事が出来たよ」
「……」
ルカの本体には、既にその言葉は届いていなかったが、
コトハの眼を逃れる様に潜んでいる拠点から、
ウィソに分身を顕現させようとしても、
もう魔力が届かないと知ると、
彼女は全てを察する様にして、
目の前のテーブルに拳を叩きつけ、
たった一人で、大きな溜め息を吐いてみせた。
◆◆◆◆




