『尸童の魔女。』
◆
(内臓を直接殴られたみたいな気分だ。
……揺ら揺らして気持ち悪いな。頭も痛い……)
コトハの持つ、『自動で回復するスキル』は、
既に発動されていた。
両脚の感覚も身体の痛みも、
瞬時に正常に戻されていき、
ゴアグラインドの魔法の直撃を喰らい、
派手に吐血した筈だったが、
コトハは何事も無かった様にして、
其処に立っていた。
ただ、
回復スキルの効果は外傷に限ってのみ発動する為、
身体の傷は癒えても、
不快感から発生しているだろうと思われる、
頭の痛みが解消される事は無かった。
コトハがジャージの袖で雑に口元を拭うと、
ヌルッとした感触と共に、
新鮮な血が塗りたくられた様にして彼女の服を汚した。
「驚いた」
そして、正直な感想を述べた。
「ギャハハハッ!! 見たかよ!? 中央の魔女!!
てめえの絶対防御が見事に崩れたなァ!?」
ゴアグラインドが昂り切った、
狂喜的な声を上げる。
「攻撃を受ける事は初めてじゃない。
先刻も言っただろう?
僕が驚いているのは、
君程度の魔法使いでも、
対策さえ取れば結果を覆せると云う事実に基づいてだ」
「負け惜しみはやめとけよ?
当たらねえと思ってたんだがよ、
意外と脆いなァ?」
「確かに慢心はしていた。
防御と自動回復のお陰で、
僕は簡単には死なないから」
「それでも何発も喰らえば話は別だろうがよ?」
「空間系の魔法が、
どのくらいの種類があるのか僕は知らないけれど、
空間に揺らぎを与える様な魔法で、
僕の眼を錯覚させて騙したんだろう。
おそらく、
今、僕が見えている君の姿と、
実像の本当の位置はズレていて違うんじゃないかな。
だから、
今の出力程度じゃ、予測したものよりも、
速いか遅いか、どちらかの誤差を産んで見誤った」
「へッ!! ご名答だぜ。
俺ァこの辺り一帯の空間を揺らがせて捻曲げてる。
それに、
てめえの絶対防御とは比べ物にならねえかもだけどよ、
俺にも空間を操作して攻撃を無効化する術があんだよ。
まア、尤も、
実際の俺の位置を捉えれてない、
てめえの攻撃は、
それを使うまでも無く、
明後日の方向へ飛んでったけどなァ?」
「見かけに因らず、
器用な事をするものだと感心もしている」
「ケッ!! 母娘揃って、口の減らねェ連中だな!!」
「魔力の消費も激しいだろうに。
それに、君は何時来るかも判らない僕を、
ずっと待ち構えていたのかい?」
「全部は教えてやらねえよ。でも、
一つ言っとくけどな、
俺が魔力切れを起こすのを、
狙うのは止しといた方が良いぜ?」
「君も魔瘤巣か、
或いは、それに似た何かを持っている。
そうでもなければ、
種明かしをしてまで、こんな魔法を使わないか」
「あア、その通りよ!!」
───『反響する悪意!!』
先程の魔法よりも威力は少し落ちるのだろうが、
幾度も断続的に繰り返される衝撃波が、
コトハに執拗に叩きつけられた。
コトハの能力は解放されていたが、
それでもやはり、
彼女はゴアグラインドの攻撃を防ぐ事が出来ずに、
無防備に攻撃を受け続ける事になった。
彼女の細い身体は、
衝撃波に耐えられなかった様にして、
軽々しく吹き飛ばされてしまい、
一番近くにあった太い大木に向かって、
真っ直ぐに打ちつけられてしまっていた。
ドォン!!
と、激しい音がして、
骨を激しく傷つける音が悲鳴の様に共に鳴った。
大木にぶつけられた背骨や、
腕や鎖骨や、身体中のありとあらゆる箇所に、
激しい痛みを感じた。
眼の前が、直ぐに真っ赤になり、
それが頭を切って流れ出した血だと、
気づいた時には既に回復に依る、
傷の再生が始まっていた。
「弱ェ!!! どうしたよ中央の魔女!?
娘の方が、まだ手応えがあったぜ!?」
ゆっくりと、ゴアグラインドがコトハに近寄っていく。
「スイに負けたんだろう君は?
そういう台詞は、勝者が言うものだ」
「うるせえ!! ……思い返せば、思い返す程、
殺しても殺し足りねェくらいに、
小生意気な餓鬼だったぜ……!!
それにしても、
まさか、こんなにも俺の魔法が、
てめえに通用するとはよ?
指示とは違うが、
このまま、てめえを殺して、
その面の皮を剥いで、
スイに送り届けてやっても良いんだぜ!?」
「品性も知性も感じられない。
本当に不愉快な男だ。
やれるものならやってみろ」
「……決めたぜ、このまま嬲り殺しにしてやるからよ」
骨を砕く衝撃波が、
際限無くコトハに向かって放たれた。
◆◆
辺りの木々は薙ぎ倒され、
コトハの吐いた血や、身体から噴き出た血が、
そこら中に痛々しく撒き散らされていた。
自動回復に依って、
当の本人は至って無傷なのだが、
見る者が見れば卒倒しかねない、
惨劇の光景が、そこには広がっている。
「貴方では、これ以上は無理です」
声と共に、ようやくルカが姿を現した。
無論、本体ではなく、
分身の体であったが。
「それでも、コトハ様に、
ここまで傷を負わせる事が出来たのは稀な例です。
光栄に思いなさい」
先程までの、恍惚に満ち足りた様子とは違い、
威厳と、荘厳さを醸し出したルカの声に促され、
ゴアグラインドは、ようやく攻撃の手を停めた。
「……コイツ、
途中から全く無抵抗になりやがった。
殺すつもりでやったってのに、
すぐに回復して、ケロッとしてやがる」
「それは事前に伝えましたよ。
貴方の役割を履き違えないで下さいね?」
「……」
そして、ルカはコトハに向き直り、
再び、甘美な劣情に蕩ける様な表情を浮かべながら、
その傍らに駆け寄ろうと近づいて行った。
「如何でしたか?
この男は、
一度はスイ様に敗れたのですが、
私が様々な趣向を凝らしまして、
微々たる才覚を、ようやく、
ここまで開く事が出来ました」
「この男を最初から出していれば、
先刻、僕を仕留める事も出来たかも知れないね」
「御冗談を。
そこまでは期待しておりません。
私は、この男に施した処置が、
適切なものだったのかどうか、
その証明が出来ただけで充分過ぎるくらいですわ」
「君の持つ魔瘤巣とやらを、
このダークエルフにも与えていたとして、
これ程までに途切れない不自然な魔力に、
魔族でも無い生物が本当に耐え切れるのだろうか?
とても残酷な事だと僕は思う」
コトハの口調に何らかの感情が含まれているのか、
ルカは縫目の綻びでも捜す様なつもりで、
それを探ろうとしたが、
コトハの声にも、眼にも、息遣いにも、
ルカの期待する事柄など、
一切含まれていない様に思えた。
「尸童の魔女と云ったかな。
昔、君に似た魔法を使う魔女の話を聞いた事がある」
その言葉に、ルカはニヤリと不吉な笑みを浮かべた。
「気づいていらしたのですね」
「随分と色んなところへ行かされたものだからね。
この世界には、
僕の知らない事を知っている人が幾らでも居る。
その逆も、また然りだけれど」
「それは一体、どういった意味なのでしょう?」
「チッ!! ルカ様!!
考える必要は無ェ!!
コイツも、娘と一緒で口が達者だ!!
予定と違うかも知れねェが、
殺るべきだ!!
二人がかりの、今の状況でなら殺せる!!」
「黙りなさい。愚かな痴れ者が」
冷酷な声だった。
ルカの一言で、ゴアグラインドは容易く口を噤んだ。
「魔女の二つ名を持つ者は、
世界に多くは在りません。
魔女とは世界にとって、
その根幹を揺るがしかねない存在なのです。
私の魔法で、
ステータスとスキルを全解放出来る様になった程度で、
貴方の様な塵虫が、魔女をどうこう出来るなどとは、
決して考えない事です」
苛立った様に、
そうやってルカは捲し立てた。
「そんなに大層なものでも無いよ。
現に僕は大きな口を叩いた割には、
君達に弱点を見抜かれ、
こうやって追い詰められている。
尤も、僕の慢心と、或いは、
そもそも僕が間抜けな所以かも知れないけれど」
「名が売れると云うのは、
そういう事で御座いますから。
コトハ様の能力は、
少しばかり知られ過ぎてしまったのでしょうね。
それでも、
この状況でも、
私は決してコトハ様に勝てるとは思っていません」
「まア、僕も敗けるとは思っていないけれど。
君が本当は何者かは判らないし、
たとえ、その正体が魔女だとしても、
君の事をつまらないと感じているから」
「フフフ。それでこそ、中央の魔女です。
申し遅れましたね?
私は尸童の魔女のルカと申します。
管理者の一員にして、
この愚かなダークエルフの他、
幾人かの術者を擁する、
具現派魔術師の長で御座います」
「情報が多いね。つまり、
君は悪の組織の魔女と云う解釈で良いのかな?」
「ええ、構いません。
管理者も、ソーサリースフィアも、
悪と云えば悪に分類されますので」
「この世界は広いものね。
そういう風に捉えれば、
その大袈裟な名称にも、
どうにかして我慢する事が出来そうだ」
「私が定めたわけではありませんから」
「どちらにせよ、
僕は此処で足踏みをさせられている。
踊らされている事にも気づかないで大真面目に。
七年前と同じだ」
「あの時には他の魔女が居りました。
魔女同士に繋がりは殆ど有りませんが、
私と彼女は同じ管理者の一員です。
そして、
彼女は私が知る限りでは、
最も聡い魔女です。
七年前も、今の、この場面も、
彼女が思い描き、造り上げたものなので御座います。
コトハ様。
私達は畏れているのです。今も尚。
『禍の眼』を持つ貴女を。
そして、精霊の御子と呼ぶに相応しい、
貴女の娘様で在らせられるスイ様の事もです」
「君達の事情なんて、僕とスイには関係の無い事だよ」
───『砂塵の楼閣!!』
ゴアグラインドが魔法を発動させ、
その瞬間に空気が震えたかと思うと、
眩暈が起こりそうな程に辺りな景色が歪み始めた。
「ルカ様!! もう駄目だ!!
きっと何か仕掛けてきやがる!!
殺られる前に殺しちまうべきだ!!」
「魔法を可視化させて出力を上げたのか」
───『供花の式!!』
更にゴアグラインドは、
生命力を対価に、
ステータスを上昇させる増幅魔法を発動させた。
「やめときなよ。
そんな事をしたって、君に僕は殺せない」
「黙りやがれ!!
てめえの餓鬼にやられた時には、
未だ未完成だったんだがよ、
ルカ様が、俺の潜在能力を開花させてくれたからよ。
その代わりに、
俺ァ、自分の魔法に、
腕一本喰われちまったんだがよ。
中央の魔女と、スイを、
この手で殺せるんなら、
悔いなんざ一片だって残りはしねえ!!」
───『終曲不協和音!!』
高度な技術とさる、
三つの魔法の並行発動。
魔族や天恵者などの、
優れた魔力を持つ者だとしても、
魔法の同時発動に関しては、
同時発動のスキルの有無が重要な項目とされていた。
違う魔法を同時に発動させる事は、
どんな魔法使いでも出来ない事は無い。
しかし、スキルの恩恵を受けずに、
それを行う事は、
即ち自らの命を魔法に喰わす様にして、
差し出す事と同義であった。
莫大な魔力で、それを補填出来る者も居るが、
大概は自殺行為に等しい事だった。
増幅された魔力やステータスを、
持ち合わせていたとしても、
何れにしても今のゴアグラインドには、
到底、披露出来る様な芸当では無かった。
しかし、
彼には自らの保身よりも上回る、
常人離れした狂気的な破壊衝動と、
自分よりも強い者への並外れた妬みと執着があった。
たとえ、
身体が再起不能なまでに傷つき、
命を落としたとしても、
ゴアグラインドは、
一度スイッチの入った己の本能に忠実だった。
暴走に近い魔法の発動が容赦無く、
彼の身体と魂を喰い荒らし始めるのも厭わずに、
己が魔力の全てを込めて、
ゴアグラインドはコトハに向けて魔法を放った。
『指定した空間内の対象を圧死させる呪縛魔法』
呪いの名に相応しい、
禍々しく、重苦しさの漂う魔力が、
コトハの脚を絡め捕ろうとする様は、
呪詛の言葉さえも聞こえてきそうな程に、
惨たらしい結末を連想させるものだった。
「死ねよ!! 傷が回復しようが何だろうが、
てめえの魔力が尽きるまで何度だって、
ぐちゃぐちゃに潰してやるからよ!!
死んじまえよ!! 中央の魔女!!」
すっかり正気を失ってしまった様な、
ゴアグラインドの悲痛な叫びが響く。
ルカはその様子を、
諦めと蔑みの入り雑じった表情で苦々しく眺めていた。
「愚かな。忠告はしましたからね?」
そして、何かが爆ぜる様な音がして、
真っ赤な鮮血が、肉や骨と共に、
辺りに勢い良く噴きつけられ、
景観を血で色濃く染めていく。
「回復すると云っても痛みは感じている。
君の決死の覚悟を踏みにじる様な真似をして、
本当に悪いんだけれど、
彼女の言う通りだよ」
ゴアグラインドの腕や脚が、
コトハの攻撃魔法で消し去られた様にして吹き飛び、
彼は何が起こったのかも、よく判らないままに、
薄れてゆく意識の中、
眼前のコトハの姿が段々と靄がかかった様になると、
プツリと閉じられた視界や意識と共に、
その場で事切れてしまっていた。
「魔女と呼ばれるモノを、
簡単に殺せると思わない事だ」
コトハの最期の言葉は、
ゴアグラインドには既に届く事は無かった。
◆◆◆




