『アンプリファ。』
◆
「君はスイを知っているのか?」
問い質す様な、
コトハのキツい口調にも動じずに、
ゴアグラインドはニヤニヤと笑い続けながら答えた。
「おうよ。名無しとかいったよなあ?
えらく強ェ餓鬼だとは思ったけどよ、
まさか中央の魔女の娘だったとはよ?」
不快だ。とコトハは思った。
この男が自分の愛する娘の名を呼ぶ事を酷く嫌悪した。
そして、
見るからに下品で残虐そうな言動と、
好戦的な瞳をしたゴアグラインドが、
これ以上無い程に汚い物のように思えてきた。
「友人と云う訳では無さそうだね。
その腕はスイにやられたのか。
流石、僕の娘だ。
君の様な相手には容赦しなくて正解だ」
「へッ!! こりゃ違うぜ?
確かに一度は、てめえの娘に吹き飛ばされたがよ」
──何だか見るだけでムカムカする。
コトハは無性に苛立つ気持ちを、
上手く抑える事が出来なかった。
「そうか。まア、それは僕にはどっちだって構わない。
君がルカの仲間なら、
此処で君を倒すだけだ」
「……ククク。
親娘揃って、とことん俺を苛つかせやがる。
先刻のが見えてなかったのか?
てめえの攻撃を、俺は喰らわなかったんだぜ?
なア? 解るか? この俺がだ。
中央の魔女の攻撃をだ!!
格上も格上、世界最強の魔女様の魔法をよォ!?」
ゴアグラインドは昂っていた。
それは、かつてスイに敗北し、
ボロボロになるまでに彼の堕ちた自尊心を、
とんでもなく高みへと、
推し上げる事実に他ならなかった。
「空間系の魔法。
空間に存在している、
生物なり現象なりの座標をズラす事で、
僕の魔法を空間ごと移動させた。
定義の違いは分からないけれど、
転移魔法と似た原理で、
君の魔法は攻撃を霧散させる役割を果たした。
ひとつ言っておくけれど、
初手の攻撃が当たらない事は、
僕にとって初めての経験ではないよ」
「余裕だなア?」
「ルカの仲間なら、僕の能力は知っているんだろう?
初見殺しなら、僕には通用しないよ」
「軽く言ってくれるぜ。
てめえの能力っつうのは、
その気色の悪い眼の事か?勿論知ってるぜ?
だけどよ、
対象を視界に入れねえとならなねえんだろう?
俺みてえな能力を相手にするのは、
随分と厄介なんじゃねえのか?」
「そうかもね」
「現に、ルカ様を相手に手こずってるしなア?
悪ィが、お前の魔法を封じ込める為の手筈は、
この辺り一帯に仕込ませてもらってるぜ?
単純な話だがよ、
幾ら強ェ魔法だとしても、
喰らわなきゃ良いんだもんな?」
「事実だね」
コトハはゴアグラインドが、
虚勢を張っているだけとは思わなかった。
自信に満ち溢れた彼の言葉には、
確かな裏付けがあるようだった。
ルカとゴアグラインドの狙いが何なのかは、
未だ解らなかった。
攻撃が当たらないのは向こうも同じなのだ。
二人の狙いが、何らかの時間稼ぎだとするならば、
まともに相手にする必要は無いように思えた。
「てめえにはよ、俺達と泥試合をしてもらうぜ?
当たらねえ攻撃同士の、くだらねえ殺し合いをな。
言っておくが拒否権は無え。
都に戻ろうもんなら、
俺の空間魔法で魔物共を送り込んで、
都を襲わせてやるからよ?
壮妖丹で狂った連中だ。
てめえにゃ敵わなくても、
都の連中が果たして無事で居られるかなア?」
下卑た笑いをゴアグラインドは浮かべる。
「助けるさ。全員」
「流石、中央の魔女様は言う事が違うな。
なら試してみるか?
今すぐにでも都に逃げ帰ってみろよ?
俺の魔法の範囲領域は広いぜ?
てめえが都に着く頃には、
魔物共が都をグルッと包囲してるだろうなア」
「フン。誰が。
わざわざそんな事はしない。
僕は今から元を断つ」
コトハには、
ゴアグラインドが大した実力は無い様に見えた。
増幅された魔力の不自然な流れは感じていたし、
それらは天恵者並みの強大さはあると判断したが、
実際、歯牙にもかけない程の実力差があった。
しかし、
その事が理解出来ていないとも思えなかった。
それに、空間魔法を使って移動したのだろうが、
コトハの魔力感知に、
まるで引っ掛からなかった事も気になった。
空間系の攻撃魔法の多くは、
不可視のものである事が多い。
魔法そのものを視認出来なくとも、
魔力の流れを感知出来れば、
コトハの能力で封じられる事は確かだったが、
仮にゴアグラインドがルカ並みに魔力の制御が巧く、
感知の出来ない程に精錬されたものだったとしたら、
コトハの能力が絶対に有利と云う訳では無かった。
(それに、どう考えても挑発だ)
試しにコトハは攻撃を仕掛けてみた。
辛うじて生かしても、
有力な情報は吐くまいと判断して、
息の根を止めるつもりで、
ゴアグラインドに向けて魔法を放った。
通常の魔法使いが、
それが或いは天恵者だったとしても、
反応する事は困難な迅い斬撃だった。
しかし、
ゴアグラインドは魔法を発動させた様子も、
攻撃を躱した様子も無く、
コトハが魔法放った動作をしてから遅れる事、
何秒かの後に、
ようやく詠唱を始めていた。
ゴアグラインドの身体に傷がついた様子は無く、
彼は、わざと余裕ぶって文言を唱え終わった。
その頃には、
既にコトハの第二の斬撃が、
ゴアグラインドを切り裂こうと放たれていた。
(効かないんだろうね。
攻撃を仕掛けようとしているところを見るに、
魔法の並行発動で、
防御を自動で行っているんだろうけれど
空間魔法を継続的に発動させ続けるなんて、
魔力が直ぐに底を尽くだろうに)
コトハの予想通り、
斬撃は吸収される様に音も無く消え失せていった。
「ギャハハハッ!! 効かねえよ!?」
高らかに笑い声を上げるゴアグラインドが、
コトハに向けて不可視の攻撃魔法を放った。
───『歪曲した衝撃波!!』
微かに空気の揺れる音がして、
耳障りな金切り声の様な不協和音と共に、
眼に見えない衝撃波が、
コトハの身体を覆い尽くす様な範囲で襲いかかった。
コトハの瞳孔が、
再び形を変える。
見る者に畏怖の念を抱かせざるを得ない、
冷徹さを帯びて。
◆◆
異世界へ辿り着いた時には、
既に手に入れていた能力だった。
視界に映る全てのものが、
この世界そのものが、
時を停めた様な光景に変わった。
(一つの意識が、別々の世界に居る様な感覚なんだ)
何もかもが動いてない様に見えるのだが、
音も光も匂いも感触も、
その全てが躍動感を以て感じられるのだ。
能力を得た初めの頃は、
コトハは、この感覚が苦手だった。
声に喩えるなら、
ひどくゆっくりと間延びして聴こえる筈なのに、
一言一句は正常な速度でハッキリと聴こえる。
早送りとコマ送り、
再生と逆再生を脳内で繰り返される様な奇妙な感覚に、
眩暈がする程に酔った事もあった。
しかし、
それも直ぐに慣れた。
感覚に身を溶かす様に委ねれば、
別々になった意識は計算し尽くされた様に噛み合い、
違和感も消える。
違和感が消えると、
コトハの眼に映るものは、
その全ての理を、
彼女に曝け出しているかの様に、
その成り立ちを丁寧に指し示し始めた。
コトハが、
それを理解し、能力を行使出来るようになった頃には、
彼女は既に中央の魔女の二つ名を与えられていた。
目視し、感知すると、
防御と回避が自動で行われる。
ゴアグラインドの攻撃は、
確かに目視では認識出来なかったが、
発動の動作は行われており、
コトハの能力の発動の条件を満たすには、
それだけでも充分だった。
放たれる攻撃の種類、属性、
速度、軌道、その他ありとあらゆる全ての事が、
コトハには視えていた。
そこまでは、いつもの感覚だった。
身体を掴まれて、
そのまま床に放り投げられた様な、
鈍い痛みを感じるまでは。
痛い、と思ったのは、
一体、いつぶりの事だろうとコトハは思った。
そして、
彼女は咳き込む様に激しく吐血し、
揺らいでいく視界をどうにか保ちながらも、
両脚の感覚を、
とても静かに失っていったのだった。
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