『嗜好癖。』
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ルカの造り出す分身は、
術者の魔力量に比例して、
恐ろしく脆くなる様な幻術の類いとは違い、
魔力や耐久力が半減する様な制限も無い、
術者本体を鏡に映して、
複製した様な代物だった。
膨大な魔力量と、
高い魔力を圧縮して発現させ、
それを操作する技術。
それを、紙屑でも掃いて捨てる様に、
コトハは蹴散らし、屠ってみせた。
殆ど無詠唱に感じる速度で、
発動までの動作も極限まで短縮された攻撃魔法に加え、
被害の及んだ村に防護魔法まで施し、
魔法の同時発動までやってのけてみせた。
コトハの云う転写魔法とやらで、
魔法の遠隔操作を行っていたのだとしたら、
彼女は三つまでの魔法は、
同時に発動させる事が出来るのだろう。
或いは、更に多く。
──見切りに依る攻撃の無効化や、
対象の魔法防御力の減退や、
必中の効果を得る視覚の能力だけでは無く、
純粋に戦闘力が高いのだ、
それも、この世界の中でも、
唯一無二に近い程に。
ルカはそう思ったが、
思ったところで、或いは、そう認識したところで、
コトハに対応し得る術など、
そう易々と存在しないと云う考えに至った。
(コトハ様は、まるで天災です。
それも、一人で世界を揺るがしてしまう様な)
コトハの能力が判ったところで、
その攻撃の速度に反応出来る魔法使いがいるとは、
到底思えなかった。
(魔法で在る以上、
何かしらの属性が有るのでしょうが、
相性で相殺なんて事も難しいですね。
威力もさる事ながら、そもそも迅過ぎます。
防御魔法や結界を張ったところで、
この調子では安心なんて出来やしませんね)
──コトハの放つ不可視の斬撃が、
一体どんな魔法なのかは気にはなる。
(まア、判ったところで、
防ぎようが無いとは思いますけれど)
本体と変わらない能力を持った分身が、
あっけなく倒されてしまうのだから、
ルカは自分ではコトハに勝てないと、
既に悟っていた。
(リロクが一度勝っていると云うのを、
鵜呑みにしてしまいましたが、
本当に只の偶然でしょうね。
この怪物を出し抜く方法を、
私はまるで思い浮かべれません)
そして、
今はコトハを誘き寄せる為に、
少量の魔力の痕跡を残していたが、
例え、それを完全に絶ったとしても、
コトハに眼を使われてしまえば、
自分が潜んでいる居場所など、
すぐに見破られてしまうのではないかと、
容易く想像するに至った。
──あの、竜の様な眼で。
それでも、
コトハの飛翔魔法での移動速度も考慮して、
充分な距離は取っている。
コトハ曰く遠隔で操作出来ると云う転写魔法も、
コトハが此処に来た事が無ければ、
発動したくとも儘ならないだろう。
しかし、
コトハに居場所が割れて、
この場所にコトハが来た事が有ると云う可能性も、
無きにしも非ずだが、
助かる為には、
この距離を保ったまま、
移動してしまえば良いのかも知れない。
──助かる為には。
ルカはその言葉を頭の中で同じ様に何度か繰り返すと、
言い様の無いゾクゾクとした疼痛が、
全身を激しく刺激した事を、
これ以上無い程の快感だと捉える事が出来た。
(それはつまり、
私がコトハ様から尻尾を巻いて、
おめおめと情けなく逃げ出すと云う事ですね。
あア! 何て惨めで、だらしのない……、
そうだ、命乞いをしてみましょうか。
涙と涎を汚ならしく垂れ流して、
泣き喚いて、懇願して、
コトハ様の靴の爪先を丁寧に舐めて、
頭蓋を容赦無く足蹴にされて踏みつけられ、
蔑まれ、醜くて汚いモノの様に扱われ、
人間の尊厳の全てを、
全くの無価値の様に、無慈悲に。
私の、すがりつく様な懸命の祈りも届かずに、
私は人間として扱われず、
自分の少水と糞便にまみれて、
哀れな哀れな姿を、
晒したあげくに、
そのまま、あっけなく殺されてしまうのです)
ルカの頬は紅潮し、
身体は幾分か、
ネットリとした滑らかさを帯びていた。
自分が惨たらしく、
ズタズタに切り刻まれる姿を想像すると、
その妄想の光景は焼き印で判を押された様に、
ルカの脳内に映し出され、
彼女はそれを快楽的な発想で、
この上無く愉しむ事が出来る事を悦んだ。
(『七年間、僕は君が魔法使いだと気づかなかった』
コトハ様は、そう仰いましたけど、
七年間、コトハ様を観察し続けた私も同じです。
コトハ様の力の、その全ての、
ほんの小さな片鱗さえも理解出来ておりませんでした)
そう考えてしまうと、
コトハの底知れない何か、
潜在能力の様なものが、
ルカには神々しくも感じられ、
この瞬間にも、
コトハが自分の背後に立っていて、
首を斬り落とされてしまっても、
何の不思議も無い様に思えた。
◆◆
コトハを覆った闇の幕は迅うに消え失せ、
コトハは既に地上に降り立っていた。
簡易的だが、
強力な魔力で構築した結界の中で、
保護した村人達全員の安否を確認すると、
深い溜め息を吐いて、
その場にしゃがみこんでしまった。
無意識に手繰り寄せる様に、
上着のポケットから煙草を取り出すと、
厭でも眼に付く残りの本数を数えてしまって、
それがもう殆ど残っていない事を、
判っていたのにも拘わらず、
喫煙者特有の不安感が、
少しだけコトハに動揺を与えた。
(いいさ。元から止めるつもりだったんだ。
だってスイに逢えるんだから)
そして、指先で吸い口のカプセルを潰すと、
爽やかなベリー類の風味の煙を、
勢い良く肺いっぱいに吸い込んだ。
吸い込んだ煙を閉じ込めておく様に、
しばらくの間、
口を閉じたまま、
コトハは瞼の上から、
眼球をマッサージする様にしてゆっくりと撫でた。
(魔法はやっぱり疲れるな……。
異世界に来て魔力が戻ったお陰で、
視力も回復しているし、
日本に居た時とは、
比べ物にならないくらいに自由は利く。
……利くんだけれど、案外、身体は鈍るものだね。
これは油断していると、
簡単に足元を掬われてしまうかも知れない)
魔力を著しく消耗した、
と云う感覚では無く、
純粋に激しい運動に因る、
肉体の疲れを感じていた。
その極度の疲れに因って、
緊張した身体を解きほぐすイメージをしながら、
コトハは繰り返し煙草の煙を吸引しては、
吐息混じらせて静かに吐き続けた。
なるべくリラックスする様に心掛けていたが、
ルカの、或いは、第三者の奇襲に備えて、
周囲一帯の魔力探知は怠っていない。
それが不意打ちであっても、
負けるつもりは微塵も無かったが。
ルカの魔力は、
消え失せずに未だあちこちに残留している。
分身は一体残らず倒したが、
姿は無くとも、
コトハの動向を監視をしているのだろう。
明らかな疲れを見せているコトハの喉元を、
今にも喰い千切らんとして、
その牙は潜みもせずに、
鋭さを増していく様にも思えた。
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