『罠の中に於いて。』
◆
浮かび上がったルカの顔を中心にして、
霧の様に細かな物が形を象っていくと、
魔力を帯びた粒子が幾度も再生を繰り返し、
その後には何事も無かった様に、
ルカは再び、その姿を現していた。
「魔法で造り出した木偶。
手応えなんて無い筈だ。
僕の把握出来る範囲に君の本体は居ない。
それに、
魔力の痕跡を巧い具合に隠している。
魔力の制御が得意だと云うだけの事は有るね。
だけれど、
この茶番劇を未だ続けるつもりなら、
次は外さない。
魔力の消耗が些か勿体無いけれど、
君の本体を必ず捉える」
コトハの言葉は、
相変わらず淡々としているが、
予定外の闖入者とのやり取りでの、
時間の浪費が面白くは無かった。
(彼女は戦うつもりは無いのだろう。
僕の視界に入らない様に、
何処かも知れない様な遠くから魔法を使っている)
ルカが能力に警戒している以上、
この場に本体が姿を現す事も無いだろうし、
相手がそのつもりなら、
寄越して来る分身程度に苦戦する事は無いと思った。
「繰り返しになるけれど、
君の要件が特に無いのなら、
もう終わりにしないかい?
降伏してくれ。
返答が無ければ、
此方のタイミングで君に攻撃を仕掛ける。
本気になった僕から、
逃げられるとは考えない方が良い」
コトハの瞳孔が形を変えてゆく。
彼女の言葉が、
全く何の虚飾も見栄も無い、
唯々、事実としか言い様の無い、
敵対する者にとっては、
突きつけられた死の恐怖に、怯え、戦慄し、
深い絶望を抱かせる事は、
相変わらずでしか無かった。
「こういった形で、
コトハ様と相見える事が出来て、
私、光栄ですわ」
ルカは特に変わった様子も無く、
笑みを浮かべてそう言った。
「相見える?
冗談だろう?
君はコソコソと隠れているばかりじゃないか」
「私とて、命は惜しいですから」
「それなら降伏を勧める」
「ご冗談を」
ルカの言葉を待たずに、
再びコトハは彼女の首を斬り落としていた。
それと同時に、
リクに襲い掛かろうと床から出現した、
魔力で出来た数十本の触手を、
一つ残らず叩き斬ると、
髪の毛よりも、まだ細いルカの魔力の痕跡を、
その眼で追った。
既に変化しかけていた、
その両の眼の瞳孔は、まるで蜥蜴や蛇の様な、
縦型のものへと変貌を遂げた。
「ナツメくん。
あの木偶人形にスキルレンタルを使用してみてくれ」
リクに手早く指示を出すと、
返事を待たずに、
微かに魔力を感知した方角へ、
空を蹴って駆けると、
その瞬間には詠唱を終え、
リクの周囲に小型の結界を張っていた。
コトハが壁を軽く打ち抜いた後には、
瓦礫が崩れる音がして、
その姿は、もう其処には既に無かった。
◆◆
(まア、これは罠だろうね。
彼女は並大抵の魔法使いじゃ無い。
僕が眼を使った時にだけ解る様に、
わざと微量の魔力を漂わせている。
狙いは僕を誘い込む事か、
或いはナツメくんを独りにさせる事か)
その、どちらであったとしても、
コトハにとっては大差の有る話では無かった。
(僕の眼の事に随分と詳しい様だ)
コトハが翔ぶ、地上から遥か高くの空中に、
蜘蛛の巣の様に張り巡らされた捕縛魔法を、
コトハは顔色一つ変えずに、
全て避け切ると、
魔法を発生させているモノを素早く視界に捉えた。
其処に在ったのは、
小さな教会だった。
(術者は居ない。魔法の発動装置……、
つい先刻まで、此処に居たのだろうか?
そうだとしたら、移動速度が半端じゃア無いね。
僕よりも迅いかも知れない)
周囲に魔法使いが居る気配は無かった。
だが、ルカは魔力を消すのが常軌を逸して巧みだ。
既に、何かしら彼女の術中に、
誘い込まれている可能性は充分に有った。
(罠に誘い込んだからと云って、
彼女に僕の能力を牽制出来る力が有るのだろうか?
僕の能力を把握しているとしたなら、
彼女が、先ず最初に狙うのは)
ウクルクの首都、ウィソから随分離れた、
田舎の小さな集落の教会から、
その教会の内部に構築された自動発動の術式から、
闇色の幕の様なものが、
集落全てを巻き込み、呑み込んでしまう様な勢いで、
コトハに向かって放たれた。
それは黒だけではなく、
赤や緑や青、暗闇の中でチカチカと発光する様に、
光る、ありとあらゆる様々な色を、
瞼の裏に無理矢理押し込められた様な、
感覚を奪う類いの魔法だった。
(僕の視界を奪う事だ)
周囲一帯を遮断していく様に、
闇色の幕は、あっという間に面積を拡大し、
コトハには自分の姿でさえも、
目視出来ない様な暗がりの中に、
既に閉じ込められてしまっていた。
(魔法を封じる類いのモノでは無くて、
視覚を封じるだけの様だね。
まるで、僕の為に造られた魔法だ)
魔力の感知も、
手足の自由も利いた。
ただ、どんなに眼を凝らしても、
言葉通り、一寸先でさえ、何一つとして、
見えるものは無かった。
その最中に突如現れた、
敵意を持った魔力を感知すると、
コトハは身を翻して、
地上から放たれたであろう、
攻撃魔法を躱した。
そうやってコトハが、
攻撃を受けない事を察知していたのか、
攻撃は次々とコトハに向かって撃ち込まれ、
弾幕の様な攻撃魔法を、
視覚を奪われたコトハは、
魔力の感知のみで潜り抜けていった。
それは殺傷能力の高い魔法で、
皮膚に軽く触れただけでも肉を抉られるような痛みと、
致死率の高い貫通性を持つものだった。
コトハは魔力の質から、
魔法の危険性を察知していたが、
顔色一つ変える様子も無く、
何一つとして、戸惑う事も無く、
流麗に攻撃を躱し続けた。
その表情は感情に乏しく、
危機的な状況にも拘わらず、
退屈そうにすら見えた。
(もうナツメくんは、
スキルレンタルを発動している筈だけれど、
魔力の途切れた様子が無いところを見るに、
あの木偶人形と術者が、
魔力的な回路で繋がっていないか、
或いは遮断しているか。
この攻撃を仕掛けて来ているのが、
ルカじゃないと云うことなのか、
それとも、彼女本人か)
コトハは身体動きとは別物の様に、
ただボンヤリと思考を漂わせていた。
指先で虚空に、意味の無いものの様に見える、
図形の様なものを描きながら。
◆◆◆
「視界を塞がれて尚、よくもまア、
こんな量の攻撃魔法を躱し続けれるものです」
何処からともなく、
ルカの声が聴こえた。
「それでも、
貴女の一番の脅威である眼は使えません。
ほんの少しの乱れで、
全ては打ち崩れてしまう事でしょう。
私は、只、それを待てば良いだけなのです」
そうやって声はするのだが、
ルカの魔力を感知する事は出来なかった。
「私は此処には居ません。
貴女に見つからないように、もっと、
ずうっと遠くに隠れていますから」
クスクスと楽しそうな笑い声がする。
「私が魔力切れを起こすなんて考えないで下さいね」
その言葉通り、
ルカの放つ魔法は降りしきる雨の様に、
その勢いを少しも劣らせる事は無かった。
「魔瘤巣と云うものを御存知でしょうか?
一部の魔族……、尤も、
神話に出てくる様な、
魔王と呼ばれる存在の者達が、
肉体に宿すと云われる特殊な器官の事です。
通常、生物の体内で精製された魔力には、
蓄えておける限度と云うものが、
必ず存在するのですが、
魔瘤巣を持つ魔族に限っては、
その摂理には当てはまる事が無いのです。
無尽蔵に近い容量一杯に、
自分の魔力を蓄えておけるのですから」
魔法の勢いは更に苛烈さを増していく。
「私は特殊な技法を用いて、
それを身体に備えつけています。
魔力切れを起こす事の無い人生なんて、
魔法使いにとって、
なんて素晴らしいものだと思いませんか?」
◆◆◆
♪ なとり 『エウレカ』




