『喪失感と憤慨について。』
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「厭ですわ……。
コトハ様が仰ると、
なんだか、とっても嫌味に聞こえてしまいます」
ルカは口に手を当てて、
とても感じの良い笑い方をしてみせた。
王族に仕える者らしい、
気品に溢れる美しい所作だった。
「まるで、昨日お別れした様な……、
お変わりの無い美しいままで……。
こちらに、お出でになられた頃のままですわ」
「僕の方は、まア、許容の範囲内じゃないかな。
あと何年かすれば、見た目くらい変わるかも知れない。
君は一体、何者なんだろう?
果たして人間なのだろうか?」
「クスクス。魔族か何かだと仰りたいのかしら?」
「魔族で無いにしても、
普通の人間の魔法使いの可能性は低くないかい?」
「あら。どうして、そう思われるのでしょうか?」
「長い間、お世話になってきたから、
君の事はよく知っているつもりだったけれど、
そんなに大きな魔力を持っているだなんて、
僕はまるで気づかなかった。
それどころか、君は優しくて気の利く只の侍女で、
魔力を持っていないものだと思っていた。
魔力を抑えて、完全にゼロに消してしまう、
それも四六時中。
少なくとも、僕がウクルクに居る間には、
一度だって気づけなかった。
一体どういう仕組みなんだろう?
そんな事が本当に可能なのかな?」
「ええ。可能ですわ」
ルカはニッコリと笑って、
事も無げに、そう言い放った。
「魔力の制御率と云うものを御存知でしょう?
私はそれの操作に長けておりますので。
それでも、コトハ様の眼を盗んで、
魔力を感知されない様に過ごすのには、
大変骨が折れました」
「……魔法と云うのは奥が深いものだね。
魔女なんて呼ばれてはいるけれど、
僕の知らない事は、たくさんある。
そうやって特殊な技術を長年使いながら、
魔力を持っている事を隠して過ごしていた君が、
このタイミングでそれを辞めて、
この場に現れると云うことには、
何か深い意味があるのだろう。
そして、
リンガレイは君が魔法使いである事を、
勿論知っていた。
それと、
彼は何故か、僕にその事実は教えなかった」
──ギクリ。
と、音が聴こえてきそうな程に、
リンガレイは狼狽えていた。
図星だったのだろう、
その慌て様は、一国の主とは思えない程に不甲斐無く、
憐憫、と云う言葉が頭を過ってしまう程に、
哀れなものに映った。
「色々と説明をしてもらわなければ、
合点がいかない事ばかりだ」
コトハは、
そう言ってリンガレイを真っ直ぐと見据えた。
魔力を込めた、両の眼で。
魔法使いでは無いリンガレイでさえも、
コトハの眼に捉えられる事の深刻さは、
重々理解していた。
自分が度々、遠征に遣わして、
数多の魔法使いを葬ってきた、
中央の魔女の魔法の恐ろしさを。
周囲の家臣達も、
騎士団を率いるレイシも、
国王を守る為に、
己の身を差し出すべきだと考えてはいたが、
誰一人として、
一本の指先でさえも、
硬く縮こまった亡骸の様に、
その意思を全うする事などは決して無かった。
彼等は決して安泰の地位に在る訳では無かった。
細心の注意を払い、
隠すべき事柄を、
ほんの少しでも洩らすべきでは無かった。
中央の魔女の、
逆鱗に触れてはならなかったのだ。
◆◆
「まア、とは云っても、
僕だって君達に、と云うよりも、
この国に感謝の気持ちもある。
右も左もわからない僕と、
スイの生活を支えてくれた恩義も感じている」
コトハは表情を崩さずに言った。
「それに、君がコソコソと、
裏で立ち回ろうとする性質なのは承知していた。
感謝と恩義の点から云えば、
君の姑息な工作を、
見逃してあげたって良いんじゃないかと、
僕は思っている」
コトハが言葉を発する度に、
寒い季節でも無いのに、
広い王宮を凍てつく様な気配が覆っていく。
「ただ」
王宮を覆う気配は、
そこに在る人々の魂までも捕えて離さない様に思えた。
「七年前のネイジン出征が、
何かしらの君の計画に噛んでいるのだとしたら。
僕は君を許してあげられないかも知れない。
リンガレイ、答えを聞かせてくれないかな?
そして、
僕を怒らせないでくれると、
とても助かるんだけれどね。
どうかな?
果たして君にそれが出来そうかな?」
コトハの言葉が、
単なる脅しでは無い事は明らかで、
彼女が、もしも本当に怒りに身を委せてしまったなら、
一体どんな事になるのかは、
想像するまでもなかった。
「陛下を、お責めにならないで下さい。
コトハ様の思う様な悪人では御座いませんから。
この方は、欲深いだけの、只の傀儡です。
差し出された餌に、
安易に飛びついた事にすら気づいていない、
憐れな豚でしかありません」
そう告げるルカの表情からは、
にこやかな笑みが絶える事無く、
その言葉が真実である事については、
これ以上、考える必要が無い様に思えた。
「餌。それは一体何なのだろう?
その餌を、この男に与えたのは誰なのかな?」
「それは勿論、この私です」
───ヒュッッッッ
風の様な音と共に、
コトハの指から放たれた魔法の斬擊が、
ルカの首の皮を薄く斬りつけると、
痛々しく裂けた傷口が、
ゆっくりと開いていった。
「流石ですわ。これが魔女の魔法。
おそらく、視界で捉えた対象の、
魔法抵抗力を無効化してしまうのではありませんか?」
「その通りだよ」
「それに加えて魔法の射出速度も、
詠唱の短縮技術も、
この世界の一流と呼ばれる魔法使いが、
束になったとしても、
到底、敵いませんわ」
「僕が凄い訳じゃ無い。
魔法を操るのに、
最適な能力をたまたま与えられただけだ」
「それでも、
ひと思いに私の首を、
お刎ねにならなかったのは?」
───ドチャッ
コトハが薙ぐようにして、
再び指先を振ると、
今度はルカの首が、
あっという間に胴体から離れ、
熟れて重たい果実の様に、
王室の高級な絨毯の上へと零れ墜ちていった。
「や……、やりおった!! コトハ!!
貴様……、仮にも世話になったルカを、
あっさりと殺しおったな!?」
リンガレイが叫ぶと、
コトハは彼の方も見ずに溜め息を吐いた。
「見てみなよ。
首が落ちたと云うのに、
血が一滴も出ていない。
彼女は死んじゃいない」
コトハの言った通り、
首を斬り落とされた筈のルカの傷口からは、
ただの一滴も血が流れる事が無かった。
ルカの魔力の気配が途端に失せると、
首も胴体も紙屑の様にクシャクシャに潰れてしまい、
音を立てて、水気も枯れ果てさせながら、
まるで干上がっていく様に黒く変色していった。
「歳を取らない魔法使いに、
傀儡の王を操る人形。
茶番に巻き込まれたにしては、
少々、不愉快で仕方ないと僕は思うのだけれど」
コトハは何も無い筈の虚空を見つめながら、
そうやって語りかけた。
「悪趣味な人形遊びは終わりにしよう」
コトハの言葉に反応する様に、
虚空に浮かび上がって来たのは、
聖母の様な笑みを湛えたルカの顔だった。
しかし、もはやその笑みは、
精巧に造られた仮面の様な、
薄気味の悪さを抱かせるものでしかなかった。
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