『ウクルクの侍女長。』
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「コトハ……。なんとも派手な帰還じゃったのう……」
ウクルクの国王リンガレイは、
精一杯、努めて明るく取り繕う事を、
端から諦めたような表情で、
重責に擦り潰されそうな、
絞り出した声を小さく発した。
「お前らしいしのう……。結界はまた張れば良い……。
良いんじゃが……、儂も年老いた身じゃからの……。
あんまり、身と心に負担を与えんようにしてくれると、
助かるんじゃが……」
──都を覆う様なサイズの結界を張るのには、
かなりの労力と手痛い経費が掛かる。
リンガレイはその本音を漏らさない様に、
グッと口を噤んで堪えた。
「まア……、それでも良い……。
よくぞ戻って来てくれた。儂は嬉しいぞ」
──言いたい事は有るが。
誰が見ても、
リンガレイがそう思っている事は明らかだった。
「あんなに脆い結界じゃ、
僕じゃなかったとしても、
いつか誰かに簡単に破られると思う」
張り詰めた空気に、
無遠慮に突き立てられたコトハの言葉は、
国王の周囲を取り巻いている家臣達の血の気を、
音が聞こえる程に退かせるのに充分だった。
「手厳しいのう……」
「今の他国との情勢から察するに、
侵入者を防ぐ為に結界を張るのなら、
生半可なものでは不充分だと云うことは、
どう考えても判りそうなものだと思うのだけれど」
「……うん。そうじゃのう……。
そこは……、まア、儂の落ち度じゃ」
「認めてしまうのかい?
僕は間違った事は言っていないけれど、
あれくらいの結界が、
ウクルクの出来得る限界のものだと?
そうだとすれば、
僕やスイの存在が、
些か、君や、
この国を堕落させてしまっているのではないのかな」
「……確かに、お前達母娘には頼りきりじゃ」
「転移者が多い地域とは云え、
国力をそれで賄うと云う考えが、
僕は昔から好きじゃない」
「……尤もじゃ」
コトハの言葉の勢いは容赦なかった。
悪意無く、真実を突いている為、
殊更、鋭く感じられる。
「僕達が対峙しているのは、
おそらく、世界にとっての危機だ。
……僕は最初、
結界を破った事を素直に謝ろうと思っていた。
だけれど、君達の様子を見て気が変わった。
あんな薄い結界を後生大事にしたところで、
誰も何ひとつだって見過ごしてくれやしない。
七年前から、
君達は何ひとつ変わろうとしていなかったようだね。
でも、
それじゃ助かるものも助からない。
いい加減に気づいた方が良いと僕は思う」
「……」
キツい口調ではあったが、
傍らで様子を観ているリクには、
コトハが怒っている様子だとは感じられなかった。
ただ、
項垂れて消沈している、
リンガレイや家臣達の表情は暗い。
「と、まア、これは嫌味だ。
七年も愛娘と離ればなれに暮らす事になったんだ。
嫌味のひとつも言いたくなる。
本題に入ろう」
コトハがそう言うと、
場の空気は一変した。
僅かな光明に群がる、
羽虫の様だとも思えた。
「総力戦を行うには明らかに戦力が足りない。
此処へ来る前に、
聖域教会の司教の一人と戦闘になったけれど、
実力はかなり高かった。
幾ら転移者に天恵者が多いとは云え、
向こうの幹部級の連中も、
軒並み同じ様なものなのだろうね。
そして、圧倒的に数で負けている」
「その通りじゃ。だから、各国で連携を取って、
戦力差を埋めようと躍起になっておる」
「本当にそうかな?と僕は思う」
「どういう事じゃ?
イファルでは魔族にまで協力を要請しとるんじゃぞ?」
「実力者の評価を正当に行っているかい?
名の有る者ばかりに、
人選が偏ってしまっているんじゃないかな?
もう少し懐を深くして、
他人を見た方が良いと僕は思う」
「それは……、当然そうなるじゃろう?」
「詰めが甘いね。
この世界の魔法と云うものについては、
君達の方が詳しい筈だろう?
誰がどこで、どう化けるかなんて、
誰にも判りやしないよ。
君と僕が、
お互いに頭の中身を覗けないのと同じように」
「どういう意味じゃ?」
「例えばだけれどね、
ここに居るナツメくん。
彼の能力は最初期には微弱なものだと思われていた。
彼の鑑定結果を聞いて、
この場に居る誰もが、
彼に高い評価なんて与えなかったんじゃないかな?」
「……うむ」
「だけど、
彼は自分の能力を派生させていき、
この世界でも稀な特異なものへと変質させていった。
ステータスでは遥かに劣る格上相手に、
彼は鬼火のロウウェンを倒す切り札となり、
聖域教会の司教ですら彼には手こずった。
誰が、こんな結果を予想出来ただろうね?」
コトハの言葉の後には、
家臣達を中心に驚嘆やざわめきが、
伝染する様にして渦を巻いていた。
「なんと……。リクよ、まさか、
そんなにも逞しい使い手になっておるとは!!」
「いや! 偶々! たまたまですから!」
「僕にはそれが彼だけに訪れた偶然には、
どうしても思えない。
そして、魔法使い同士の戦いの本質と云うものが、
そこには在ると考えている」
「煽んな!」
「うむ……。確かにそれはそうじゃと儂も思う」
「だろう?
そこで君に提案があるんだよ。
これは旧友としての僕から君への、お願いでもある」
「何じゃ? 言うてみよ」
「ヤンマを前線に配置してみてはどうかな?
勿論、呪具師として。
彼の能力を、
あんな街外れで燻らせておくのは勿体ない」
「……うむ。まア、それはそうなんじゃが……」
「そうしない理由は? 彼との確執なんて、
この際、一旦忘れてしまう事は出来ないのかな?」
「ううむ……」
「何を拘っているのかは、
僕にはよく分からないけれど、
君は勝算の確率をわざわざ減らすのかい?
一国の君主として、それはどうなんだい?」
「……儂とて、
国中の戦力を掻き集める事くらい考えた。
……しかし、儂には人徳が無い。
……情けない話じゃが。
儂が頼んだとて、ヤンマが儂を赦すかどうか……」
「何を弱腰な事を。
君の人徳が無いのだとしたら、
そういうところじゃないのかな?」
二人のやり取りを眺めながら、
リクには段々とリンガレイが不憫に思えてきていた。
「ヤンマとの交渉には、
代理を立てて行ってもらえば良い。
なんなら、僕が行く。
それと、転移者の件だ。
もう、どこの国も勘づいているだろうけれど、
ウクルクには転移者が何故か多い。
どう考えても不自然だ。
その事で、君が知っている事を、
全て話して欲しい」
「……な、なんの事かのう?」
「バレていないと思っているのは、
多分、世界で君だけだ。
混乱した情勢に乗じて、
他の国が秘密を暴こうとして、
攻め込んで来ないとも限らない。
イファルの後ろ楯も、
いつまでも有効では無いだろう。
国民を余計な争いに巻き込みたくなかったら、
洗いざらい喋ってしまいなよ」
「う……うう……」
◆◆
リンガレイは額に脂汗を浮かべながら、
言葉を発するか否かを思い悩むと、
その顔には苦悶の表情が、
消えない呪いの様に張り付いてしまっていた。
他の家臣達も同様に押し黙り、
時間が停まってしまった様な重い静寂が訪れた。
「陛下をあまり虐めないで差し上げて下さい」
静寂を打ち消そうとして、
コトハがリンガレイに決断を迫ろうと思った矢先、
その声の主はソッと音も無く現れた。
「やア、本当に久しぶりだね。ルカさん」
声の主は、
城内の侍女の纏め役の、
コトハやスイとも旧知の仲であるルカと云う女だった。
討伐依頼の遠征などで家を空ける事の多かった時期に、
未だ幼かったスイの世話を頼んだり、
育児や家事の事など、
まるで何も分からなかったコトハに付き添い、
生活と云うものを手取り足取り教えた人物である。
その姿は年月を経ても美しく、
落ち着いた声や所作に似つかわしく無い程に若かった。
それは、コトハが異世界に足を踏み入れた頃から、
時間が経過する事を忘れてしまった様な、
不自然なまでに、
瑞々しい肉体のままだった。
「お久しぶりです。コトハ様。
私が全てをお話します。
……もう、隠していたって、
仕様がありませんものね」
ルカが微笑みながら、
そうやって言うと、
その姿は慈愛に満ちた母の様なものに思えた。
「驚いたな」
ルカを見てコトハが呟いた。
「歳をとらない人だな、とは思っていたけれど、
それは単なる老いの問題では無いみたいだね。
一体いつから、
その姿だったのだろう?
ルカさんが魔法使いだとは知らなかった」
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