『扉。』
※毎度ありがとうございます!
次話よりヌルっと新章に移ります!
◆
「君さ、
ヤンマにお礼を言わなくちゃいけないんじゃないかな?
それこそ配慮に欠けるよ」
リクの前を歩いているコトハが、
突然振り返って、
思い出したようにして、そう言った。
「お……、俺? 何で?」
「向こうに居た時には判らなかったけど、
君、その服に、
呪符を貼ってるだろう?」
「あ……」
そう言われるまで、
リクはその事をすっかり忘れていた。
「忘れてたって顔だね。
ヤンマに知られたら怒られるよ?」
「いや! 忘れてないが!?」
「物理や魔法の攻撃をかなり軽減してくれてる筈だよ」
「……まあ、言われてみれば……」
「尤も、先刻のイズナとの戦闘で、
流石に効力を失ってしまっているみたいだけどね」
リクは確かめる様に、
服の内側に貼られた呪符を確認しようとした。
すると、
消し炭の様に黒くなった呪符がパラパラと、
舞う様にしてこぼれ落ちていった。
「うわ」
「ほらね」
コトハは地面に散らばった呪符を指でつまむと、
しげしげと観察して指で磨り潰した。
「随分と念入りに仕上げたものだね」
焼け焦げた匂いと僅かな血生臭さがして、
その匂いを、スン、と軽く嗅いでポツリとそう呟くと、
リクに微笑んでみせた。
そして、指先を服の端で払いながら、
建物の中へ入って行った。
「何で嬉しそうなんだよ?念入りって?」
「いやア、ヤンマは良い男だなって思ったのさ。
娘の事を大切にしてくれる。
僕が居なくなってからも、
きっとスイの事を守り続けてくれていたんだ」
「そんなの見てわかるのか?」
「僕には判る。
あの男嫌いのヤンマが君の呪符にさえ、
特注品並みの強力な呪力を込めていた。
彼の性格から察するに、
気に食わない異世界の男への施呪より、
愛娘に施すものが劣っている事なんて絶対に無い」
「……そこは平等にするのが格好いいんじゃなくて?」
「ヤンマはそういう人なんだ。
彼はちゃんと命に順番をつける。
意識的か無意識的にかは知らないけれど、
僕は彼のそういうところが嫌いじゃない」
「なんか凄い冷酷な人なんだって聞こえるんだけど……」
「誤解はされ易いね」
「あのさ、何でヤンマさんと結婚したの?
きっかけは?」
「結婚してくれってしつこく言われたから」
「それ聞いたら傷つくんじゃないか……?」
「嘘を吐いたってヤンマは喜ばない」
「それはそうかもだけどさ……」
「それに考えてもみなよ?
僕に惚れた腫れたが理解出来ると思うかい?」
「それは確かに……」
「何だよその眼は?」
コトハはムッとした様な顔をして、
リクを軽く蹴ろうとした。
「自分が言ったんじゃん!?」
リクはそれを躱しながら抗議した。
「僕も異性に対して好意的な感情くらい抱く」
コトハは淡々と言葉を述べた。
「だけど、
それは世間一般の恋愛観とは程遠いものなんだと思う。
自分でも自覚しているけれど、
君には異質に感じられるだろうね。
それは僕の感情が他の何かと比べた時に、
幼稚で稚拙なものだからに違いない」
自嘲的にも聞こえたが、
コトハにそのつもりが無い事はリクにも分かった。
「それでも僕は僕なりにヤンマを愛しているよ」
転移魔法の装置が有る、
地下に掘られた部屋まで向かう階段は長かった。
ヒンヤリとした空気と、
何故だか暖められた様な生温かい空気が、
埃と混ぜられた匂いがした。
「彼とスイとの、三人の生活は楽しかった。
僕達はそれぞれがちゃんと何処か欠けていた。
そして、
それを補い合う様な感覚はとても心地好かった」
「……温度差」
「ん?」
「温度差。スイの事は、
無条件に愛しまくるーって感じだったのに。
俺の主観だけどな?
なんかヤンマさんとスイとじゃ、
お前の愛情は種類が違うんだな」
「違うんだろうね」
「そんなめっちゃアッサリと」
「それ以外に説明のしようが無いからさ。
君の主観でどう見えていたとしても、
僕は僕なりにヤンマを愛しているっていうのが、
君の疑問への解答を含んだ全てだよ」
「わからん」
「だろうね。君も大人になれば、
そういう事を考えるようになるかも知れない」
「同い年じゃん」
「僕と君には、
埋められない年齢差が出来てしまっている」
「つってもさ、お前見た目若いし。
パッと見全然わからん」
「そういう事を言ってるんじゃないんだけどな」
コトハはそこで話を切った。
この話はここでおしまい。
リクにはコトハが何を言いたかったのかは、
理解出来なかったが、
これ以上訊くのも野暮なのだろうと思い、
何も訊かない事にした。
短い付き合いだが、
この点については、なんとなくだが、
コトハと通じて合っている様な気持ちになれた。
「ところでさ、
ヤエファの義妹達が案内してくれると言っていたけど、
気づけば僕と君しか居ないね」
「言われてみればそうだな」
レイフォンもメイも、
建物に入るまでは、
コトハを取り囲んで一緒に騒いでいたものの、
思い返せば建物の中には入って来なかったのだ。
「あいつらどうしたんだろ?」
「ヤエファの仲間だから、きっと自由なんだよ」
レイフォン達がついて来ていない事に、
確かに違和感はあったが、
それについてコトハは特に気にしていない様子だった。
「転移門を使うだけだし。
君は使った事があるのかな?」
「いや、ない」
「そっか」
「シファの森に、
簡易的な転移門があるってスイが言ってたな」
「そういえばそうだね」
「俺はなんとなく転移門って言葉を使ってるけど、
要するに記録されてる行き先に、
自由に行き来出来る装置って事だよな?」
「それで合ってる。
君がイメージしている、そのままの通りだろう。
簡素な造りのものから、
意匠が凝らされた巨大なものまで形は様々だけど」
「大きさは容量に関係してるとか?」
「なんだよ。やけに鋭いね。そうだよ。
大きければ大きい程、転移先を多く記録出来る」
「ここのは大きいのかな?」
「聖域教会が拠点にしてる街だからね。
それなりには大きいんじゃないかな」
「北のさ、ネイジンってとこにも繋がってんのかな?」
「どうだろうね。僕の知ってる限りの都市部には、
ネイジン行きのものは無かったな。
国交の在る国でさえ、
直通のルートを持たせないみたいだね。
尤も、司教が滞在している様な場所だから、
或いは専用の転移門が有るかも知れないね」
「機密事項」
「まア、教団とは名ばかりの、
世界一過激な軍事国家だからね」
「怖えな」
「多分だけど、
ネイジンへ行く為の記録が残されていたとしても、
おそらくセキリュテイの様なものが仕掛けられていて、
転移先に着いた途端、僕達はあっという間に、
教団の率いる軍隊に取り囲まれていると思うよ。
若しくは転送の最中に、
何処か別の場所へ弾き飛ばされてしまうかだね」
「厳重なんだな」
「僕が七年前にネイジンへ行った時にも、
殆ど陸路で向かったからね。
あちらから痕跡の調査要請を出しておいて、
随分とケチ臭い話だなと愚痴っぽくなっていたよ。
ところでさ、
ナツメくんはネイジンに行きたいのかい?」
「いんや。
スイがさ、お前がネイジンに行ったっきり、
帰って来ないって言ってたから」
「それが印象に残っていたんだね。
……スイには本当に悪い事をした。
まだ幼かった彼女からすれば、
僕は突然行方を眩ませた、ろくでもない母親だ。
たとえ恨まれていたとしたら、
僕はスイに何と言って、
赦しを乞えば良いのかわからない」
「いや、そんな事ないって。
確かに寂しがってはいたけどさ、
恨んでる風になんて、
俺にはこれっぽっちも思えなかったぞ」
「ありがとう。僕は口に出して言葉にする事で、
気持ちを落ち着かせようとしているんだ」
「もういい加減、帰ってやんないとな」
「うん。その通りだ。
手の届く距離に、スイが居ると云うのに、
未だ逢えない。凄くもどかしい」
「そうだな」
長い長い、
暗く冷たい階段を降り続けた二人の目の先に、
ようやく開けた広間の様な場所が現れると、
其処には仰々しく、重たそうな扉と、
それを照らす灯りがあった。
扉に彫って刻まれた、
獣頭人身の異形の姿をしたものは、
北方で信仰されている神だと、
コトハが言った。
「さて、ようやく此処から移動が出来るね」
「あのさ、ウクルクに寄らないで、
イファルに直行したら駄目なのか?」
「何だよ。そんなにヤンマに会うのが怖いのかい?
君、本当はスイに、
ちょっかいをかけていたんじゃないだろうね?」
「違うわ!」
「だって君はヤンマの話になると暗い顔をするからさ。
よほど後ろめたい事があるんじゃないかと」
「無い! そうじゃなくて!
スイが待ってんだから、
ちょっとでも早く行ってやった方が良いだろ?」
「冗談だよ。君の心遣いはわかってるよ。
ウクルクに着けばイファルへの連絡手段くらいある。
もう入れ違わないで済む様に、
スイに連絡をしてあげたら良い」
コトハはリクを安心させてやろうと、
そうやって声を掛けてみせた。
その、いつもに比べて幾分か柔らかげな声に、
張り詰めた様に硬直していたリクの心のどこかが、
撫でられて弛んでいく様な心持ちがしていた。
「君はさ」
「え?」
「僕の気持ちを汲んでくれて、
色々と思案をしてくれているけれど、
君自身はどうなんだろう?
君はスイに本当に逢いたい?」
「……逢いたいって言ったら、
またからかうんじゃねぇの?」
「からかわない」
「……そりゃ逢いたいよ。別にあいつの事、
好きだとかじゃなくて……、
いや、勿論、良いヤツだなって思うから、
そういう点では好きなんだけど、
あいつの、スイの接し方って、
俺には凄い心地好いっていうか……、
あんな風にずけずけとモノを言ってくるヤツとか、
初めてだったし……、
異世界に来てから、
活躍なんかロクにしてないけど、
アイツと過ごしてから、
なんか、自信みたいなものもついてきたし……。
それに、楽しいんだよ。
わけわかんない事ばっかだけど、
理屈抜きで、
とにかく楽しいんだ」
「うん」
「……だから、俺はスイにもう一度逢いたい。
アイツのパーティーの仲間でいたい。
それに、お前とスイが再会するのを、
きちんと見届けたい」
「君は優しい人だ」
「そんな事も無いけどな」
「そして、思春期特有のアレだ」
「やっぱりからかうんじゃん!」
「でも僕は嫌いじゃない。
なんなら好意的にすら感じる。
ナツメくん。
今からするのは覚悟の話だ。
一応、君の意思を確認してから、
此方へ戻ったつもりではあるけれど、
君がこの世界でやっていく心積もりを、
僕はもう一度確かめたい」
「どうやって?」
「まア、君は見た目に反して、
なかなか骨の在る人物だと僕は思っているし、
この不可思議な世界で立ち回る為の、
才覚も充分に持ち合わせていると思う。
僕は君に一つだけ質問をするから、
それに答えてくれたら良い。
自分が思う通り、正直に」
「ああ」
「それじゃ君に問うけど、
僕に何かあった時には、
君はスイの傍に居てやってくれるかい?」
「え? お前死ぬの?」
「茶化すなよ。どうなんだい?」
「いや……、ちょっと想像出来ないんだけど」
「いいから。余計な事は考えずに」
「……そりゃ、お前がまた居なくなったら、
アイツ悲しむだろ。
俺が居て、何かの足しになるとは思えないけど、
傍に居て良いんなら、居るよ」
「ふふ。わかった。ありがとう」
「なんだよ? なにが正解なんだよ」
「もう充分だよ。スイをよろしく頼むよ。
一応言っておくけれど、僕は死ななし、
安っぽいフラグを立てた訳じゃない。
それでも、何があるかなんて誰にもわからない。
だから、娘の心配をするのは、当然の事だろう?」
「俺は親じゃないからな」
「そうだね。
だけど、僕もスイの本当の親じゃない。
それでも、スイの事を何よりも大切に思っている。
そして、
僕は大切な人間との時間を、
それは僕の人生に於いて、
おそらく最も重要で、護るべきものだったのだけれど、
七年間も奪われてしまった。
僕とスイは、それを取り返さなければならない。
時間は元には戻らないとしてもだ。
それに、
仮にも、この世界で一番強大な力を相手に、
僕達は戦いを挑んで、
勝たなければいけないかも知れない。
そうする事は僕達にとって、
この世界そのものに抗おうと考えるのと同じ事だ。
それならば、
そのくらいの心構えは必要だろう?」
「俺が役に立てるかは、わかんないけど」
リクがそう答えると、
コトハはリクの顔を、しばらくの間じっと見つめた後、
特に何の合図も無く、
二人の前で閉ざされたままの扉を開けた。
その奥に通じている部屋からは、
転移装置の動力となっている魔力が供給される、
機械音に似た音が聴こえ、
密閉されて閉ざされた空間に、
その魔力が空気の様に漂っているのが、
意識をしなくても眼に映る様子だった。
コトハの言葉の意味を、
リクは自分が理解出来たのかは把握出来なかったが、
この世界に戻ってこれた事は、
自分にとって幸福な事であるのだと、
彼は強く感じていた。
誰かが、
自分に言い聞かす様に、
心の中で繰り返す、それはとても強く。
「ナツメくん、行こう」
コトハの声に、
リクをゆっくりと頷いてみせた。
◆◆




