『余計な解釈は身を滅ぼすものなのかも知れない。』
◆
イェンが発動させた魔法は、
仕切られた空間の中でなら自在に氷を操る事が可能で、
限定化された行使範囲ではあったが、
空間内の至るところから魔法を放つ事が出来た。
凶悪なまでの威力を誇る攻撃魔法から、
相手を拘束する魔法まで、
魔法の同時発動のスキルを持つ彼にとっては、
自分が最も得意とする戦法だと自負していた。
空間内は音を立てて凍りつき始め、
厚い氷塊で閉ざされた後、
烈しい冷気に包まれていくと、
術者以外の者達の体温を急激に奪い出した。
───『慈愛の風壁!!』
少しでも冷気を防げる様にと、
スイは精霊魔法で防壁を造り仲間達を護った。
「スイ!! ありがとうございます!!」
───ガッ!! ガッ!!
シャオが狂った様な勢いで自らの脚に絡み付く、
魔力で出来た氷を拳で打ち砕こうとしている。
しかし、
氷は思う様には砕けずに、
素手で殴り続けるシャオの両手から、
激しく血が流れ出すだけだった。
「シャオさん。魔力の無い貴女では、
僕の氷は破壊出来ません」
イェンがそう言って指を鳴らすと、
氷の砕けた箇所が、
何事も無かった様に再生し始めた。
「キンモッッ!! キザすぎんだろーー!!」
ユンタが悪態を吐きながら、
詠唱をしようとするが、
どうにも上手くいかなかった。
(……クソッッ!! 亜人にゃ寒すぎんのか?
舌が悴んで回んねー!!)
「見た目通りですね。
猫の魔物の血が強いんでしょう?
貴女はこの気温の低さじゃ、まともに動けません。
ま、ユンタさんに限らずですが。
魔力で出来た、全てを凍てつかせる氷です。
他の方も長くは無いでしょうね」
イェンは淡々とした口調だった。
「テメーー……。裏切ったんかよーー?」
「まあ、そうなりますかね。
こんなタイミングでもないと、
流石に貴女方を全員相手には出来ないですから」
「聖域教会の仲間か?」
「そうですよ。
僕は信者ではないですけど。
もう少しだけ仲間のフリをして、
転移者の事を探れたら良かったんですが」
「……最初からそれが目的で協力的だったのか?」
「イファル王。物事と云うのは、
二転三転して初めて結末を迎えるものだと、
僕は考えています。
簡潔に捉え過ぎるのは如何なものかと」
「どーーでも良いわ!! ミナト!!
テメーー絶対許さねーーからな!!?」
「……。前にも言いましたけど、
この男が、なんて呼ばれてたか僕は知りません」
「はーー!? どーゆーー意味!?」
「ユンタさん。
僕は他者の意識に寄生して支配出来るんです。
長い間そうやって存在してきました」
「……人間じゃねーーんだな」
「そうです。僕は魔族です」
「気持ちわりーーヤツだとは思ってたけど、
今わかった。マジで気持ちわりーわ」
「僕は自分の性質を気に入ってますよ?
気に入った強い魔法使いを、
自分の思うがままに操れますから。
だけど、
人間の肉体は脆い。
寿命も魔族に比べて短いですし。
次の寄生先は亜人にしてみようかと考えてます」
「キッッッモッッ!!!」
「あのさ」
スイが割り込む様にして声を掛けた。
「一応訊いてみるけど、
ミナトは寄生されて、どうなってるの?
死んではいないんだろうね?」
「死んではいませんよ。肉体的には」
「嫌な含みを持たせるね」
「言葉の通りですから。肉体は無事です。
ただ、意識を僕に支配されると、
精神や魂みたいなものは蝕まれます。
修復不可能なくらいには。
……棄てた後の肉体がどうなったのか、
興味が無いので見たことはありませんが、
廃人の様にはなってるんじゃないですかね」
「……ふうん」
「訊いてきた割りには興味が無さそうですね?」
「そんな事ないよ」
「この男は貴女の元恋人だったんでしょう?
良いように扱われていて、腹は立ちませんか?」
「別に。それにミナトは元恋人じゃない」
「……変わっているなとは思ってましたが、
随分と冷たいですね?
他者に興味を持たない様に見えて、
割りと情には篤い人だと感じていたのは、
僕の勘違いでしたかね?」
「さあね。
君の情報分析癖が、
わたしの事をどうやって解釈したのかは知らないけど、
思いたい様に思えば良いと思うよ」
「貴女が口が立つのは知ってます。
だけど、この状況が、
それでひっくり返せるとは思わない方が良いですよ?」
「君はわたしが苦手なんだろうと思う」
「そうかも知れません」
「それに君は強い癖に慎重で用心深い。
厄介な相手なんだろうけど、
わたしに言わせれば臆病で姑息な、
取るに足らない卑怯者だ」
「ええ。何と言われても結構です。
僕は確実に勝てる方を選びますから」
「選択肢を狭めるね」
「え?」
「つまんないヤツだねって言ったのさ」
「挑発には乗りませんよ?」
「君は魔法は好き?」
「……」
「わたしは好きだ。
魔法の歴史の成り立ちも、技術の進歩の道程も、
魔法に関するありとあらゆる事が知りたくて、
片っ端から色んな本を読んで沢山調べたけど、
それでも知らない事が次から次に幾らでも出てくる。
その度に、
わたしは震える程に感動しているし、
そのどれもが、
楽しくて仕方なくなる様な話ばかりだ」
「それがどうしたんですか」
「一魔法好きから言わせてもらえば、
君なんて魔法使いとは呼べない。
余りにチャチで、想像力の欠片も無い、
三流の使い手を絵に描いた様な、
お粗末な相手だ。
その不自由な発想は醜悪ですらある」
「……一体、何がどうなって、
そんな事を言いだしたんでしょうね?
今、優勢なのは僕です。
貴女は魔法の戦いで、僕に敗けるんです」
「敗ける? わたしが? 何で?」
心底、不思議そうにスイが言った。
「え……? どう考えたって、
動きを封じられて不利なのは、そちらでしょう?
それに、この氷は魔力を吸い取って霧散させます。
直に貴女は魔力を全て失って、
何一つ出来る事は無くなってしまいますよ?」
「それだけ? 本当にそれだけが、
わたしが君に敗ける理由?」
「負け惜しみなら止めておいた方が……」
「だったら、わたしは敗けないと思うよ?」
「だから……」
───『溶かせ』
スイの一言で、
イェンの氷はあっという間に溶けていき、
溶けた氷の水で、
謁見の間は大量の水が溢れる事となった。
「馬鹿なッッッ……!?
言葉の精霊魔法は効かない筈……!!!」
波の様に押し寄せる水を身体に浴びながら、
イェンは驚愕の声を上げた。
「やっぱりね。
わたしの精霊魔法を既に解析してたんだね?
君の魔法には効果を封殺するように、
書き換えられた術式が施してあった。
用意周到だ。
だけど、それが過ぎるんだ。
そんな事だろうと思って、
悪いけど、
術式を読み取ってこっちも解析させて貰った。
君の手の内はもう筒抜けだ」
自分と仲間達の周りに、
張っておいた防壁魔法のお陰で、
スイは水を浴びる事は無かった。
「嘘だ!?
こんなに短い間にそんな事が……!!」
「緻密な術式を構築している割りには、
案外抜けた箇所も多かった。
チマチマとした作業には向いてないんだろう?
それに、
わたしは精霊達との接続が切れないんだよ?
放っておいても、眼も耳もよく利く。
やっぱり、どう足掻いても君は腕の悪いスパイだ」
スイは楽しそうに笑いながら言った。
「いつから……!? いつから僕が、
術式の解析をしていた事に気づいていた!?」
「君が記憶を失ったミナトのフリをしてるんだって判った時から。
意識を乗っ取れると云っても、
人格をコピー出来たりする訳じゃないんだろう?
君がミナトの口調や行動を、
どのくらい観察していたのかは知らないけど、
寄生した人物に成りきって、
物真似をし続けるには不完全だったみたいだね。
すごく特徴を捉えてはいるけど、
残念ながら似ては無い」
「嘘を吐け!? お前の仲間だって、
そうだと信じて疑わなかったぞ!?」
「それに、その声。
抑揚の無い無機質なものに聴こえる。
粗隠しに声を変えていたんでしょ?
それが一番怪しく思えた」
「……!!」
「他者の意識を乗っ取る魔法。
本を沢山読んだって言っただろう?
わたしは君に違和感を感じた時に、
昔読んだ事のある魔法の記述を思い出したよ」
「……嘘だろう!?
そんな事が人間の書いた本に載っていただと!?」
「うん。古い魔道書に載っていた。
知らなかった?
寄生し終わった後の肉体が、
どうなってるか知らないと言っていたけど、
ちゃんと確認しておくべきだったね。
著者は魔術師ケルンヴェルク。
彼の生涯は決して順風満帆では無かったけど、
君が身体から出て行った後にも、
東方諸国の魔法の発展に貢献し続けた、
偉大な人物だ。
一見、荒唐無稽にも思える壮大な魔法理論を、
丁寧かつ親切、時にユーモアを交えた文章で、
誰が読んでも理解しやすい様に解説してくれている。
彼の著作は心を震わせるものばかりだ。
ちなみに、
子供の時からのわたしの推しの一人だよ」
「……!? ……!?」
イェンは身体を震わせながら、
声にならない音を喉の奥から発していた。
「『変異寄生魔法リロク』。
とある魔族が産み出した特異な術式で構築されていて、
人間どころか、
魔族の間でも知られていない魔法らしいね。
まあ、君みたいな詰めの甘い人物が、
長らくそれに頼って生永らえて来れたんだ。
余程、コソコソと暮らしていくのには適した、
そういう面では優れた魔法なんだろう。
ただ、
他者に取り憑いて支配する魔法なんて、
他力本願で悪趣味極まり無い。
おまけに想像力の欠片も感じられないから、
誰にも見向きされなかったとも言える。
その証拠に、
ケルンヴェルクも君の魔法を危険視して、
詳細を遺しているにも関わらず、
興味を惹かれるものでは無いと思っていた事が、
文面からとてもよく伝わってきた。
彼の様に自由で気高い魔法使いにとって、
君の魔法なんてものは、
凡庸で卑屈なものにしか映らなかったんだろうね」
「小娘が……!! 知ったような口を……!!」
「確か、
開発者は『技師』とか云う通り名の魔族だったかな?
イェン。君の正体はその魔族で合ってるかい?」
「黙れ!!
仮にそれをお前が知ったとして、
本当に僕に勝てると思っているのか!?」
「さあね。逆に訊くけどさ、
何で君はそんなに自信があるの?
君は確かに強いけど、
わたしは別に一対一で戦うなんて言ってないよ?」
───パキパキパキパキッッ!!
スイに溶かされた筈の氷の拘束魔法が、
イェンの両脚を捕らえ、
彼は自分の魔法に拘束された事に驚き、
恥辱を与えられた事で、
殺意と憎悪が入り雑じった目付きで、
スイを激しく睨みつけた。
「何をした!!?」
「話聞いてる?
一対一でやらないと言ったじゃないか?」
「まさか……」
スイにそう言われて、
すぐに浮かんだ思惑について、
イェンの勘は当たった。
初めてスイから視線を逸らし、
その視線の先に居たのは、
可視化出来そうな程に、
膨大に高められて練られた魔力を、
余す事無く全身に巡らせている、
憤怒の表情を浮かべたイツカだった。
「技師……。
イツカはその通り名を名乗るヤツを知ってるぞ……?
イツカが、今一番世の中でムカつくヤツだ……」
イェンはイツカを警戒していなかった訳では無い。
イツカの能力を知っていたからだ。
最も実力の高いディーヴィーエイテッドを始末し、
次に危険度が高いと考えていたイツカから、
魔力を奪う為に魔法を使った。
イツカの能力である、
カフカの発動を封じる為にだ。
「拘束した時間は長くは無かったが、
失った魔力は少なく無い筈だ!!
消費魔力が膨大な能力が何故使える!?
それに……、魔書も、
具現化させていないだろうが!?
一体どうやって……!!?」
「フッ……!!
イツカがいつまでも、
同じ高みで満足すると思わない事なんだな!!
……それにな。スイにアドバイスを受けてたんだ。
イツカの能力は強すぎて読まれ易いからって……」
そうやってイツカが少し照れ臭そうに言い、
スイの方をチラリと見て様子を伺うと、
スイは柔らげな笑みを浮かべて、
イツカに頷いて見せた。
「人間風情が……!!」
イェンはそうやって悪態を吐いたが、
次の策を講じようにも、
イツカの能力が発動している以上、
攻撃は無意味だと知ると、
思考は徐々に真っ白に塗りつぶされて、
停止をしてしまうのでは無いかと感じる程に、
焦燥感に煽られる事となった。
(逃げなければ……! もしくは、
この身体を捨ててしまうか……!!)
「逃がさないよ」
スイの言葉を合図に、
人のモノとはまるで思えない、
獣じみた形相のシャオが、
一瞬、姿が消えた様に感じる程に迅い速度で、
イェンに拳を撃ちつけた。
──『穿ちの戰風!!』
光が通り過ぎる様な迅さで、
砲弾と見紛う様なシャオの一撃が、
イェンの両脚を撃ち抜き、
骨を盛大に砕き散らす激しい音が響き渡った。
「……ッッッッ!!??」
「……スイに敵意を向けましたね?
よりにもよって、身動きの取れない私の前で。
跡形も残らない様に、
バラバラにしてやりたいところですが、
昔のよしみです。
ミナト。両手両脚を砕くだけで、
今のところは抑えておいてあげます。
懺悔なさい」
「……ッッ!! ……ッッ!?」
「あはは。
おおよそ、女の子の言う台詞には聞こえないね。
イェン。
警戒すべき相手を見誤った、
もう一つの君のミスだよ。
君も先刻言ってただろう?
シャオに魔力は無い。
身体の拘束が不可能になってしまったし、
魔力を奪う氷はシャオには無意味だったね」
スイは指をパチンと鳴らして、
ニンマリと笑った顔をイェンに見せた。
それはとても朗らかな表情で、
誰がどう見ても楽しくて仕方ないといった様子だった。
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