『ディーヴィエイテッド。』
◆
国王の勅命を受けて、
急遽編成された護衛部隊を率いているのは、
クアイ将軍の直属の騎士団に所属する、
ソンウと云う若い男だった。
イファル王家の紋章入りの、
プレートメイルを装備した背の高い彼は、
深い森での行動に慣れていない、
急拵えの護衛部隊の後方を心配する様に、
森に入ってからの何時間かの間に幾度も振り返っては、
進軍の様子を不安そうに確認していた。
「探知班!
目的地までの進行方向に間違いは無いか!?」
彼は自分自身を鼓舞する様に、
そうやって大きな声を出して訊いた。
「間違いありません!」
探知役の魔法兵が、同じ様に大きな声で返事をした。
ソンウは片手を上げて合図を送ると、
そのまま前進する様に部隊に声を掛けた。
(参ったな。
損な役回りを引き受けちまった。
分かるよ。
今、都が緊張状態にあることは。
だから人手を割けないってのも重々承知だ。
だけど、
最低限の人員、それも新兵が多い。
幾らこの辺りに危険な魔物が居ないからって。
そもそも森の底に向かってる俺達が、
今から会いに行くのは魔族なんだろ?
これじゃあんまりだ。
大体あの探知役の奴、
先刻から間違いありませんとしか言わないけど、
本当に合ってるのか?
もう何時間も森の中を進んでるんだぞ?
俺は帰り道なんて、
疾うに分からなくなってるぞ)
ソンウは汗を拭いながら、
心の中でぼやいていた。
肌寒い季節に近づいては来たが、
今日はやたらと日射しが厳しいなと彼は思っていた。
(クアイ様に呼び出された時に、
嫌な予感がしてたんだ。
俺はあの方の事は尊敬しているが、
無理なものは無理と断るべきだった)
そしてソンウは、
クアイの部屋で、
彼と喋っている時に、
彼の隣に居たシャオの姿を思い浮かべた。
(……シャオ様の前で見栄を張っちまったんだ。
いつ御会いしたって美しい方だ……。
別に褒美が特別に出る訳でも無いが、
俺は浮かれていた。
そんなつもりじゃ無いだろうけど、
シャオ様を連れて来るなんて、
クアイ将軍も人が悪い。
断れる訳無いじゃないか)
あの美しいシャオに微笑みかけられて、
喜ばない男なんてこの世に存在する訳が無い。
「ソンウ殿。御武運を祈ります」
妖精の様な可憐な姿は、
発光している様にも見える神々しさがあった。
(俺なんかの名前を知ってくれていた)
ソンウはそんな事を考えながら、
辛い行軍に因り、
薄暗くなっていく気持ちを、
何とか奮い起たせていた。
◆◆
「隊長。一旦、休憩を挟んだ方が……」
ちょうど休む事の出来そうな、
小さな水場の近くを通りかかった時、
副隊長の男に声を掛けられて、
ソンウは慌てて正気に戻り、
部隊に向かって号令を出した。
「まったく無茶な命令ですよね。
幾ら人手不足って云ったって」
副隊長の男がぼやいた。
「そんな事言うもんじゃない。
勅命だぞ?騎士にとっては名誉な事さ」
先程まで自分も全く同じ事を考えていたが、
部下の手前、ソンウは尤もらしい事で彼を諭した。
「そうは言っても相手は魔族ですよね?
俺達、本当に生きて帰れるんですかね?」
「魔物なんかとは違うんだ。
急に襲いかかって来る様な事は無いだろ。
それに騎士団を殺したなんて事になれば、
窮地に立たされる羽目になるのは解るだろう」
「隊長は魔族を見たことが?」
「いや、無いよ。
だけど、この森に住む魔族が悪さをした話なんて、
聞いた事あるか?
将軍も言っていたが、穏健派と云うか、
少し変わり者らしいんだ」
「穏健派と言いますと?」
「人間や魔族と関わるのが厭で、
こんな辺鄙な場所を、
根城に選んでいるらしいからな。
多分、俺達が思っているよりかは、
心の優しい奴なのかも知れないぞ?」
半ば自分に言い聞かせている様だなと、
ソンウは自分の言葉の意味を考えて思った。
「それにな。十年くらい前を思い出してみろよ?
イファルには、そう多くは居なかったが、
昔話に出てくる様な凶悪な魔族ってのは、
未だ世界のあちこちに居たもんだろ?
中央の魔女に大勢退治されてからは、
魔族の連中も数は減ってるし、
だいぶ大人しくなってるんだと思うぞ。
あの頃に比べりゃマシだろう」
「そうなんですかね?」
「じゃなけりゃ、
こんな即席の部隊で、
魔族のところに行かされる俺達が報われない」
「心の優しい魔族なんて本当に居るんですかね?」
「さあな。ヤバそうだったら、
さっさと都に逃げ帰るさ」
◆◆◆
ソンウと副隊長の男が会話をしている場所から、
ほんの少しだけ距離を置いて、
その魔族は静かに息を潜めていた。
今にも大きな溜め息を吐いてしまいそうなのを、
グッと堪えながら。
自分の思惑とは違い、
根城に向かって来ていたのは、
イファルの兵士達だったのだ。
(賞金稼ぎの冒険者の類いじゃなかった。
一体、何の用だ?
まさか、本当にオレを討伐しに来たのか?)
魔族はそう考えると、
少しだけ気持ちが苛立ってきた。
ここ数百年は大人しくしていたとは云え、
人間に害悪を与えた憶えが全く無いと言えば嘘になる。
森の底で暮らし、
外界との交流を絶っている自分には分からないが、
情勢の様なものが変動して、
魔族を駆逐する事になっていったのかも知れない。
それならそれでも、自分は構わないのだが。
しかし、
彼が苛立ってしまう要因があった。
魔力を消して潜んでいるとは云え、
話し声が聞こえてきそうな、
こんな近くにまで接近しても誰も気づいておらず、
探知役の魔法がザルである事は明らかだったし、
見たところ、
どう考えても寄せ集めの様な兵士が十数人居るだけで、
彼が軽く撫でてやった程度でも、
全員の息の根を、
すぐにでも停めてやれそうだった事だ。
侮られているのか、
彼はそう考えずにいられなかった。
人間達が、
一体どういうつもりなのかは分からないが、
自分の住む森に人間が入って荒れる事も不快に感じ、
このまま見過ごしてやるわけにはいかないと思い、
彼は人間達に声を掛ける事に決めた。
──危なくなれば、
逃げると言っていたが、
オレから逃げ切れると思っているのだろうか?
この人間達は、
魔族を見た事が無いのだろうか?
彼の脳裏には、
そんな懸念が過っていた。
◆◆◆◆
探知役の男は、
魔力を消しているとは云え、
上級の魔族が近接している事に全く気づいておらず、
呑気に煙草を吹かしていた。
男の魔法の精度は、
お粗末だったが真面目な人柄ではあった。
休息を取っているとは云え、
周囲に気を配り、
異変は無いか男なりに注視していたつもりだった。
だからこそ、
自分達が休憩を取っている水場の、
ほんの目と鼻の先の木々の茂みから、
潜んでいた魔族が姿を現すと、
男はこれ以上無いくらいの悲鳴を上げ、
剰りの悲鳴の五月蝿さに、
魔族が顔をしかめる仕草をしたのを見た時には、
生きた心地がまるでしなかったと後に語っている。
「怯えるな。オレからは何もしない。
無論、お前達次第だがな
この森に何の用だ?
用件の有る相手はオレか?」
魔族はゆっくりと、
(何せ彼は喋る事が久しぶりだった為)
相手がきちんと聞き取れる様に、
一つ一つの言葉を正確に、
注意を払いながら発音したつもりだった。
しかし、
彼は知らなかった。
その丁寧な発音が人間達に、
ディーヴィエイテッドを異質なものであると認識させ、
より恐怖に満ちた感情を芽生えさせている事を。
それだけではなく、
魔族由来の禍々しい魔力は、
今や抑えられる事なく発現されていて、
その場に居た部隊の全員が、
先程までの和やかな空気から打って代わり、
明確な死のイメージを抱かずにはいられなかった。
彼は生活の形態により記録こそ少ないが、
古文書に名前を残す、
強い魔力を持って天災級の魔法を操る、
人間達にとって畏怖すべき存在の、
上級に位置付けられた魔族なのだ。
「オレの名前はディーヴィエイテッド。
お前達の中の責任者はどいつだ?
オレはソイツと話をするつもりだ。
繰り返しになるが、
危害を与えるつもりは無い。
お前達が何もしなかったらの話だが」
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