『誰も立ち寄らない森で。』
※不定期に更新してます!
前話から場面が変わり、
投稿順の間違いのくだりがありましたので、
ん? と思うかもしれませんが、
本日更新分です!
◆
平凡な生活を送る事を望む、
その彼にとっては、
重大な変化をもたらす事になる、
とある日の午後。
彼は昼食を終えて少しばかり仮眠を取り、
そろそろ溜まってきていた雑務でも、
ゆっくりと片づけ始めようかと考えていた。
それは誰に頼まれた訳でも無いが、
長い時を生きる彼が、
なんとなく思いついて、
その後、習慣の様にずっと続けている作業の一部だ。
いつか誰かが、
自分の作業を引き継ぐ日が訪れるかも知れない。
彼はそう考えていて、
出来るだけ丁寧に、
事を片づけていく事を信条としていた。
彼の根城である深い洞窟の一室。
執務室として使っている部屋で、
未だ頭を軽く鈍らせて、
身体を痺れさせてゆく様な眠気を払う為に、
時間を掛けながら、
幾つもの書類の束の角をきちんと揃えて、
整頓している最中の事だった。
洞窟の外に、
幾つかの気配を感じた。
それは彼のよく知る辺りを徘徊する獣達や、
顔見知りの魔物の類いではなかった。
彼はとても素早く、
人数と正確な位置を探知し、
パーティーを組んだ一団だと思われる、
その気配が自分の根城に向かっていると想定した場合、
此処に辿り着くまでの、
おおよその時間を割り出していた。
───やれやれ。
彼は突然の来客を、
心から面倒に思い、
手に持った書類の端をクリップで丁寧に留め終わると、
ゆっくりと立ち上がって、
クローゼットの在る部屋へと向かった。
大儀そうに、
脂の乗った髪を搔き、
調整でもする様に、
頭部に生えた二本の角を触った。
彼はこの森に古くから住む魔族だった。
イファルの王都から随分と離れた、
国境付近の深い森。
人間の暮らす街からの距離も充分に離れていて、
林業を生業とする連中もわざわざ立ち入らない。
『森の底』と呼ばれる区域、
彼にとっては比較的穏やかな環境で、
(それは彼がこの土地を根城に選んだ理由の一つだった)
凶悪な魔物が居る訳でも無く、
珍しい鉱石や薬草も今は採取され尽くした土地には、
魔族である彼が居城を構えている事以外は、
人間達が無闇に訪れて、
事を起こす必要の無い場所である筈だった。
事実、
ここ百年近く彼は自分の暮らす土地で、
人間達に出会した事など無かった。
──何の用だろうか?
自分が感知した存在が、
人間達である事は間違いなかった。
人間。
魔族といえど、
理由も無く討伐される云われは無いし、
イファルの王は自分の様な存在には寛大だった筈だが、
と彼は考えていた。
──面倒だ。
彼は大きな溜め息を吐くと、
作業着代わりに着ていた古い服を脱いだ後、
丁寧にシワを伸ばしてハンガーに掛け、
クローゼットの中から取り出した、
比較的綺麗な一張羅に袖を通すと、
何十年ぶりかに履いた新しい靴に、
汚れや染みが無いかくまなく点検して、
鏡の前で髪を整えた。
(何処か他所の国の冒険者が、
此処を嗅ぎ付けて、やって来たのかも知れない)
面倒だとは思いながら、
彼は身支度を調え終わると、
洞窟の外へ抜ける廊下を歩き出した。
わざわざ彼が小綺麗な服に着替えたのは、
魔族と云えば野蛮極まり無い、
半ば魔物や魔獣の様なモノであると、
決めつけている人間がいるからであり、
知性が無いと思われるのが癪だったからである。
しかし、
何人か昔の顔馴染み達が脳裏を過り、
その中にはとても残忍で、
自分以外の者を苦しめる事を、
至上の喜びだと考えている人物が居た事を思い出し、
そう思われたとしても仕方がないとは、
彼も諦めに近い形で納得はしていた。
(まあ、いくら同族のそういうところを嫌がったって、
オレだって同じ穴の狢だ。
人間からしたら代わり映えするわけが無い)
それでも彼は、
出来るだけ理知的に振る舞うつもりだった。
それは人間達に恐怖を与えない為ではなく、
自分の考え方と折り合いつける為の他ならなかった。
廊下を歩きながら、
色々と考えている最中に、
人間と久しぶりに接する事について、
彼は悪い予感を感じていたし、
その悪い予感は大体、
いつも当たる事を彼は知っていた。
軽く咳払いをして、
声を出そうとしたが、
喉に毛玉でも絡まった様に、
上手く発声する事が出来なかった。
何せ声を出した事など、
もう憶えていない程に昔の事だったのだ。
洞窟の入り口を抜けると、
思わず顔をしかめたくなる程に強い太陽の光が、
彼に向かって勢い良く降り注いだ。
魔族だからと云って、
光が苦手などと云う事は一切無いのだが。
ふと視線を感じて、
そちらを見ると、
彼の背丈の半分にも満たない、
小鬼が数匹、
不安そうな顔をして佇んでいるのが見えた。
彼の根城の近くに、
小規模な巣を構えているゴブリン達だ。
人間達の突然の襲来に怯え、
彼に助けを求めにやってきたようだった。
『**、****』
彼がゴブリン達にそう告げると、
未だ不安そうな顔のゴブリン達は、
何度も振り返りながら、
彼の忠告通り、自分達の巣へと帰って行った。
彼が農耕や、
栽培に関する知識を与えてやったゴブリン達は、
人里を狙う事も人間を襲う事もしない。
この森に人間が近寄る面倒事を避ける為に、
長い年月を掛けて彼はゴブリン達に、
そういった教育を施していた。
(よもや、
ゴブリン達を狙ってる訳じゃないだろうけどな。
情などは湧いた事は無いが、
それなりに時間を掛けて色々と教えてやった連中だ。
奴らがまた人間に狩られる様な事になるのは、
不愉快だし、面白くない)
彼はゴブリン達を見送った後に、
何度目か分からない大きな溜め息をもう一度吐くと、
真っ直ぐと自分の根城に向かって慎重に、
或いは無遠慮に、
(彼にはその違いは判らなかったが)
進んで来ようとする人間達の元へと向かった。
彼の足音が、深い森の底で、
様々な音に紛れている。
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