『幕間、イセカイ、様々な事情。』
※とても不定期に更新してます!
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表紙に何も印刷されていない、
何冊もの重厚な書籍や、
纏められてすらいない紙の書類が、
所狭しと並べられ、
雑多に積み上げられた一組の机の椅子に腰を掛けて、
一人の魔族は忌々しそうな、
行き場の無い苛立ちの浮かぶ表情で、
何度も舌打ちをしていた。
コトハとリクを追尾している、
使い魔からの映像と音声の内容について、
彼は大いに不満を持ち、
それを腹立たしく思っている様子だった。
「私の名前を軽々しく出すなと言っているのに……!
中央の魔女め……!
どこまでも私を虚仮にしてくれる……!!」
純粋な力比べでは、
コトハに敵う事が無いのは解っていたが、
それでも、
アメビックスは、
魔族としての威厳や誇りが、
自分よりも下だと認識している人間によって、
容易く踏みつけられ、侮辱されていると感じて、
魔族の持つ、
尊大で傲慢な彼のプライドをひどく傷つけていた。
「糞がッ!!
人間如きが、魔族を侮って、優位に立つつもりか!?
摂理に反する、醜い生き物め!!
人間など、我々の食い物になるくらいしか、
生きる価値など無かったと云うのに……!!
あの女、
忌々しい加護など与えおって!!」
アメビックスは、
小さな灯りしか点いていない、
薄暗い書斎で、
一人、悪態を吐き続けた。
「中央の魔女だけでも厄介だと云うのに……、
あの小僧でさえ、
魔族を出し抜く様な能力を持っていただと?
ふざけるな!!
在ってはならない!!
世界とはバランスだ!!
丁寧に整えられた下地の上にこそ成り立つ、
計算された調和の事だ!!
それを乱す事など、
誰が望む!?
誰であろうと、
赦される事では無いだろう!?」
アメビックスは牙を剥き出し、
怒鳴り散らしていた。
その瞳は紅く、
複雑な紋様が浮かび上がっている。
額の少し上あたりから伸びる二本の角は、
禍々しく歪曲していて、
アメビックスの怒りに合わせて、
小刻みに震えていた。
「荒れてるな」
アメビックスの他には、
誰も居ない筈の書斎に、
彼以外の人物の声が唐突に聞こえた。
「誰だ!?」
「大きな声出すなよ。先生」
「……悠? どうして君が?
どうやって此処に入った?」
人間にとっては、
気の遠くなる年月をかけて、
アメビックスが研究を重ねて編み出した、
独自の空間拡張魔法。
彼の工房には、
それによって産み出された無数の空間が広がっており、
各空間の移動はアメビックスと、
アメビックスが許可した者にしか許されていない。
それは魔力と術式に因る、
魔法の行使力によって行われている。
術式の解読や破壊が行われてしまえば、
意味を成す事はないが、
彼の知る、
彼がリンイェと呼ぶ女には、
それほどの魔力は備わってはいない筈だった。
今現在、
アメビックスの目の前に居る女が、
彼の知る女と同一人物であったなら。
「……君は誰だ? リンイェでは無いな?」
「当然それはそうだろうよ。
この娘の姿をしてやったのはな、
お前に対する、せめてもの気遣いだ」
「気遣いだと?」
「そうさ。
ご自慢の空間拡張をアッサリと破られて、
急に目の前に現れたのが知らない奴だった時の、
お前の心情なんて汲み取ってやれないかもしれない」
「……貴様、何者だ?」
「気に病む事は無い。
それに、危害を加えに来た訳じゃないから、
心配もしなくて良い」
「それなら、一体此処に何の用があったのだ?
私は、この書斎に他人を迎え入れる事は好まない」
「魔族ってのは、
長い時間を生きる癖に、
何故か話を端的に理解しようとして、
無闇に結論を急ぐんだよな」
「当然だ。
君の様な礼を欠いた侵入者に、
時間を割く必要が無いからだ」
アメビックスの語気は、
熱の高い怒りを孕んでいたが、
威嚇をしながらも、
相手の出方を伺う冷静さは、
未だ失われていなかった。
「止めておいた方が良いと思うけどな」
「どういう意味だ?
君が私に勝てるとでも?
……見たところ、術式に対応する技術は高そうだが、
魔力自体は大した事は無さそうに見える。
君こそ、魔族を舐めない方が良い」
「技術。
それは、アメビックス、
お前も一緒だ。
技師が通り名だったか?
特異な術式の構築と、
それを発動させる装置の開発に長けている。
だけど、
研究と称して、
こんな穴ぐらに篭っているばかりじゃ、
魔族と云えど、身体は鈍るんじゃないか?」
「穴ぐらだと?
貴様に何が分かる?」
アメビックスの様相には、
既に明らかな殺意が浮かび上がっている。
「分からんさ。
その必要が無いからだ。
お前は技術と言ったけど、
俺には術式の事なんて、よく解らない」
「嘘を吐くな。
ならば何故、多重に入り組ませた、
私の空間経路を突破出来たのだ?」
「それを俺がお前に教えてやる必要があるか?
結論を急ぐなよ、アメビックス」
「それに何故、私の名前を知っている?
何者なんだ貴様は」
「やれやれ。もう少し、
対話に応じてくれるものかと思っていたんだけどな。
俺は、お前の名前を知ってるさ。
結論を急ぐ、お前の為に理由を教えてやるよ。
リロクから、お前の事は聞いている」
「リロク?
……貴様、本当に何者なんだ?
向こうから来たのか?
リロクの手先か?
……それとも、まさか本人では無いだろうな?」
「顔色が変わったな?
リロクの言った通りだな。
だけど、俺はリロクの手先じゃない。
それに、リロクでもない。
ビジネスパートナーの様なもんさ。
俺が、リロクからお前の話を聞いて、
此処に来たのは、
お前にも、俺の仕事を手伝って貰おうと思ったからさ」
「ビジネスパートナーだと?
話が全く見えない」
「まあ、協力してくれると言うなら、
それは追々説明してやるよ」
「……私がそれを断ったら?」
「別にどうもしやしない。
お前は再びリロクの影に脅えながら、
この穴ぐらで暮らすだけさ」
「……」
アメビックスは何も言わずに、
彼の歯軋りの音だけが僅かに聞こえた。
「そうそう。
リロクからの伝言だがな、
『逆らわなければ殺しはしないから安心しろ』
だとさ。
魔族同士のいざこざは俺にはわからんが、
まあ、俺もリロクと同じ意見だ。
それに、お前と、お前のこの工房の技術に、
俺は用事がある」
アメビックスは返答せず、
椅子に倒れ込むようにして、
深く腰を沈めた。
「残念だが俺が何もせずに帰ったとしても、
お前の防護策だった拡張魔法の解き方は、
もう判ってしまった。
俺はリロクにそれを教えてやらないといけない。
そうしたら、
リロクは直接、お前に会いにくるだろうな?
ちなみにだが、
俺が戻らない場合も、
結果は変わらない。
アメビックス、
長い逃亡生活も、もう終わりだ。
それでも、少しは楽になれたんじゃないかと、
俺は思うんだけどな」
「……貴様は一体」
アメビックスは項垂れて、
力の無い声で、そう訊ねた。
「俺の名前か?
……なんだっけかな。
まあ、
俺の名前になんて、大して意味は無いさ。
……だが、
俺自身はそれを苦しく思っている。
恐ろしい事だぜ?
何せ俺は、
自分の事を思い出せない事を、
思い出せないんだからな?
アメビックス。
俺はお前をリロクの恐怖から解放して、
楽にしてやれる。
お前も、
俺を苦しみから解放して、
楽にしてくれるよな?」
コトハの友人でもある、
悠の姿をした声の主は、
アメビックスにそう言った。
それはひどく平坦で、
容易い事を気安く頼む様な、
とても軽やかな口調だった。
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♪ハチ 『パンダヒーロー』




