『柔らかい椅子、詰問。』
※金曜日か土曜日に更新してます!
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「ねえ……。コレどういう状況……?」
眼を覚ましたリクは、
未だぼやけた頭を、
ゆっくりと、
少しずつ回転させながら、
一つ一つの情報を理解しようと試みたつもりだが、
本当に、その場の状況が呑み込めずにいて、
自分の傍らに居たコトハに、
慎重に言葉を繋げながら、
静かな声で訊いた。
「さあ。僕に訊かないでくれ」
コトハはそう言って、短く簡潔に答えたが、
事実だけを伝えた、と云う様子で、
そこには突き放す様な響きは伴っていなかった。
「ようやくお目覚めかの?」
ヤエファがそうやってリクに訊いた。
彼女の独特なイントネーションの口調と、
甘いバニラの香りが、
リクにはひどく懐かしいものに感じられた。
そして、
ヤエファの姿を見た事によって、
手足を震わせて、
歯の浮きそうな言葉が、
思わず口から零れ出てしまいそうな程に、
自分が嬉しいと感じている事に気づいた。
自分がスイ達と別れてから、
実際には殆ど日にちなど経過していなかった筈なのに。
本当は駆け寄って行きたいところだが、
ヤエファの事だから、きっと自分をからかうだろう、
リクはそう考えて、
なるべく澄ました様子を装い、
軽く片手だけを挙げて挨拶をした。
当のヤエファは、
リクの考えている事を、
既にお見通しだと言わんばかりに、
ニンマリと笑っていた。
「そげ、じろじろ見られたら穴が開いてしまう」
「いや……、そりゃ見るだろ……」
ヤエファの事を、
飛んだ性格の女だとは思っていたが、
四つん這いにさせた人間の上に、
優雅に腰を掛けた彼女の姿は、
彼女の立ち振舞いや言動を、
殊更に特異なものに際立たせている様に見えた。
ヤエファが遠慮無しに腰掛けている、
その人間はイズナだった。
「何処の女王様……?」
「リクちゃんも座るかの?」
「座らん」
「あ。わっちの事を酷い女じゃと思うたじゃろ?
表面的なところで判断しちゃいけんよ?
こりゃ躾じゃ」
「それ聞いても見た印象と変わんねえよ」
「人間様に腰掛ける云うのも、
なかなか見晴らしが良えもんじゃがの」
自分が気を失っている間に、
何が起こって、どういう経緯で、
そうなったのかは解らないが、
リクは椅子代わりにさせられているイズナの事を、
少しだけ不憫に思った。
「それじゃ、行こうか」
色々な事を考えているリクの事を、
まるで気にも留めない様子で、
コトハは彼の服の袖を引っ張って言った。
「え!? コレ、置いてくの!?」
「そりゃ置いてくよ。
せっかくヤエファが状況を調えてくれたんだから。
忘れたのかい?
僕たちは急いでいたんだよ?
それとも、君はこの嗜虐的な光景を、
まだ眺めていたいのかい?」
「そういうつもりじゃないけど……」
「僕も、そういう方面に明るい訳では無いけれど、
或る方向性に偏った嗜好に興味を持つには、
未だ君には少し早いと僕は思う」
「興味持ってねえよ!」
「どうだか」
コトハは、催促する様にグイッと袖を掴んで、
リクの顔を自分の顔に無理矢理近づけた。
「僕が見る限り、君は健全な男の子そのものだ」
そう言いながら、
決して逸らされる事の無いコトハの視線は、
真っ直ぐにリクの瞳を覗き込んでいた。
「わざわざこの体勢にする必要無いだろ……!」
リクはボソボソと反論し、
案の定、その様子をヤエファが笑った。
「何笑ってんだよ!」
「スイちゃんに言うちゃろと思うての」
「は!?」
「ちょっと待って、
聞き捨てならないな。
ナツメくん。
君、スイとは何も無いと言っていたよね?」
「な……、無いって言ったじゃん!!」
「怪しい。眼を逸らした。
君、ちょっと真っ直ぐ僕の顔を見てごらんよ」
コトハは至って大真面目に言っている。
少しだけ怒った様な表情を浮かべた彼女の表情は、
鮮やかに彩られた様に、
その美しさを殊更に際立てていた。
「近い! 近い近い!」
「後ろめたい事が有る人間の反応じゃないか」
「こんな近づかれたら誰だってそうなるだろが!!」
「変だ。それに僕は君にずっと感じていた。
僕たちは同級生なのに、
君はどこか僕によそよそしい時がある。
絶対に変だ」
「わざと言ってんだろ!?」
「こう見えても、
短い時間だが僕は君と過ごして、
君に心を許しているつもりなんだぜ?」
「いや……、そうじゃなくて……、
お前……、女だし……」
「……君はまさか、
友達の母親に興奮するタイプだったのかい?」
「違わい!!!」
「あははははは! こりゃやれんの。
いらん事を言うてしもうた。
ほじゃけど、心配いらんけ。
わっちの見立てじゃ、
二人とも色恋なんかにゃ、からっきしじゃけ。
リクちゃん見とりゃ分かるじゃろ?」
「そうそうそう!」
「本当に?隠し事は無いんだね?」
「無い!」
「それよりコトハ。
お前たちは急いどったもんかと思うたが、
こげ、のんびりしとっても良えんかの?」
「急いでいる。
……でも、もうチョコレートは溶けてしまった」
「チョコレート?菓子か?」
「うん。
スイに食べさせてあげようと思っていたんだけれど」
「見た事の無い銘柄じゃの?」
「違う世界のものだから」
「違う世界?もしかして」
「そう。僕が元々居た世界だよ」
「何年も行方が知れんかったと聞いとったが、
ニホンに行っとったんじゃの」
「うん」
「まさかと思うが、
リクちゃんもニホンに居たん?
あげ、忽然と消える様に行くもんなんかの?」
「ナツメくんが転移した時の状況は、
僕には判らないけれど、
僕とナツメくんがニホンに転移していたのは、
リロクと云う魔族の仕業だ」
「リロク?
あのイファルの大平原に魔族が居たんかの?」
「寄生して活動する性質の魔族なんだ。
一見ではきっと誰も解らなかっただろうね」
「ふむ。
まあ……、あん時に居た怪しい奴なんぞ、一人しか居らんがの」
「心当たりがあるんだね?」
「あの……、ヤエファ姉様……」
会話の途中、痺れを切らせた風にも思える、
甘い吐息を混じらせながら、
喘ぐ様にしてイズナが声を発した。
「……椅子が口を聞いたらいけんと、
言うたつもりじゃったがの。
もちいと辛抱しんさい。
そのリロクとか云う魔族と、
聖域教会、
おそらく全くの無関係じゃあるまい」
「やっぱりそうかな?」
「ネイジンでお前がその魔族と接触して、
ニホンに追い返されたんじゃろ?
ネイジンに魔族が居る時点で、
聖域教会と繋がっとると考えるんが真っ当じゃの」
ヤエファはそう言って、
腰を掛けたイズナの背に深く座り直して、
反応を伺う様に、
苦しそうにする彼女の顔を覗き込んだ。
「どうかの?聖域教会は魔族を飼っとるんかの?」
「それは……」
「ろくでもない亜人を囲っとったくらいじゃ、
魔族が居ても不自然じゃ無かろ?」
イズナは何も言わなかったが、
荒く呼吸を繰り返している。
その様子から、
ヤエファに逆らう事は、
彼女にとって大きな禁忌であると思っている事が、
どう考えても明らかに判った。
◆◆
♪NEE『本日の正体』
悲しみ。




