『悪夢の底で。』
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「あ……! 当たったぞ!? やった!! やった!!」
イズナはヤエファにダメージを与えた事を、
顔を輝かせて無邪気に喜んだ。
その様子は緊迫した状況に相応しく無い、
爽やかで晴れやかなものだった。
「ふふ。何じゃ。お前子供じゃの」
ヤエファはイズナの様子に思わず吹き出してしまい、
先程までの殺気が途端に失せてしまった様にして、
顔には優しげな笑みを浮かべていた。
「黙れ!!
どうやら油断した様だな!?
この南方司教イズナ、如何なる障壁が在ろうと、
貴様などに決して屈する事は無い!!」
イズナは先程まで苦戦していた事など、
まるで忘れてしまって、
何事も無かったかの様に振る舞った。
ヤエファはイズナのその様子を見ながら、
自分の脇腹を指で拭った。
ヌルッ。
とした感触の生暖かい血が、
ヤエファの指を赤く染めた。
「ははは。大した傷じゃあ無いんじゃがの?
そげはしゃがれたんじゃ、
大袈裟に痛がらんといけんかの?」
「強がりを言うな!!
貴様に攻撃が当たらない仕掛けは全く理解出来ないが、
当てる事が出来る事は判った!!
この勝負……、貰ったぞ!!」
「ふふふ。無邪気じゃ。調子を狂わされる。
まぐれか、何の拍子か判らんが、
同じネタじゃ、次は脳天を貫かれてしまうじゃろな」
ヤエファはそう言って、
幾重にも施された幻術を解いていった。
幻術にイズナは気づいていなかった。
だが、攻撃は確かにヤエファに届いた。
イズナ本人が明言する通り、
ヤエファの実体を感知した訳では無いだろう。
どちらにせよ先程の戦闘で、
紙一重で躱せていた様な感覚からするに、
あのまま続けていれば、
徐々に照準を合わせられる可能性も充分にあったのだ。
イズナの戦闘スキルは高い。
感知能力とは別に、持って産まれた勘が働くのだろう。
それも、恐ろしく鋭く。
(幻術は保険のつもりじゃったが……。
尤も、
あげに、撃ちまくりゃ当たるかも知れんがの)
ヤエファの脇腹に、
ほんの少しだけチクリとした痛みが走った。
出血こそしているが、ダメージと云う程の傷では無い。
しかし、
ヤエファは傷が浅い事を喜んでいる様子は無く、
殺気こそ柔らいだが、
冷静にイズナの挙動を監視していた。
(魔力を圧縮して撃つ攻撃魔法じゃの。
威力は馬鹿高くなるじゃろうが、その分、
命中率は下がる筈じゃが。
こげな危なっかしい代物を、
わっちの多重幻術を掻い潜って当ててくるんじゃ。
小細工でどうにかなる相手じゃあ無い)
「お前。イズナとか云うたの?
約束通り、攻撃が当たらんネタを明しちゃろか?」
「フッ……! 内心動揺している癖に、
強がりは止せ!! ヤエファ!!」
「何じゃ。つまらんの。
知りとうないんか?」
「同じ手は喰らわない!! だから必要が無い!!」
「ま。そりゃそうかも知れんの。
ほじゃけど、
そりゃ同じ手を使うんならの話じゃ」
「何だと!?」
◆◆
瞬く間に、
イズナは見知らぬ場所に移動しており、
その場に一人で立ち竦んでいた。
確かに見知らぬ場所の筈だったが、
それに矛盾する様にして、
何故だか妙な既視感を覚えた。
その既視感はチリチリと焦がす様にして、
イズナの脳裏を繰り返して往復している。
得体の知れない不快感が、
軽い眩暈と吐き気を感じさせた。
腹の底から声を出して、
それらのもの全てを追い払おうと思ったが、
イズナの怒声は喉の奥で塵屑の様に丸められ、
形を成す事がどうしても出来なかった。
頭の中を、
不気味に羅列された意味の無い言葉が埋め尽くして、
風景への既視感は恐怖へと少しずつ変わっていく。
目に見えない、
気味の悪い怪物が、いやらしくすり寄って来るように。
幾度と無く繰り返して見る悪夢の光景に似ている。
イズナは抵抗を試みるが、
手も足も、まるで思い通りには動かなかった。
怪物の触手が自分の身体を絡めとる妄想が過る。
踠けば踠く程、
意識は黒く塗り潰されてしまい、
両脚は自分の重みを支える事が出来なくなり、
抗え無い程の虚無感をイズナが認知した時には、
既にイズナの身体は地面へと横たわっていた。
呻き声も上げる事が出来ず、
込み上げる吐き気を堪えきれずに嘔吐し、
横たわったままのイズナの顔は吐瀉物で汚れた。
そして、寒気と心細さで、
イズナは追い詰められていく様な寒気を感じ、
鬱蒼とした気持ちに精神を支配され、
いつの間にか涙が止まらなくなっていた。
(寒い……。
……知らない筈の場所なのに、私は此処を知っている。
此処に来てはいけない事を知っている。
何故なら此処は、とても恐ろしい場所だからだ。
私は此処に居てはいけない。
逃げなくては。
でも身体が動かない。
逃げなくてはならないのに、
身体がまるで動かない。
怖い……。怖い……)
イズナの身体はガタガタと震え始め、
喉の奥が嗚咽で揺らされて、
吐瀉物の臭いに再び吐き気を催し、
魘される様にして、言葉を吐き出そうとするのだが、
それは、ただ口から溢れる涎と泡にしかならなかった。
震え続けるイズナの身体が、一際激しく痙攣すると、
か細い断末魔の様な悲鳴を小さく発して、
彼女はだらしなく失禁をし、
その後にはすっかり意識を失ってしまっていた。
◆◆◆
小刻みに痙攣を繰り返すイズナの前で屈んで、
ヤエファが彼女の様子を観察していた。
「堕ちたの。
うまいこと術中に嵌まってくれたもんじゃ」
「一体どんな幻覚を見せたんだい?
酷い有り様だ。少しだけ同情してしまうよ」
コトハが呆れた様子でヤエファに訊いた。
「秘密じゃ。
粋がっておったけど、餓鬼は所詮、餓鬼じゃったの。
本当に怖いもんにゃ逆らえん」
「悪趣味」
「ふふ。わっちは底意地が悪いけ。
ちいと灸を据えてやったんじゃ」
「まさか死んでしまったりしないだろうね?」
「何じゃ。コトハは優しいの。
心配せんでも死にはせん。
死にはせんが、面白いもんは仕込んでやったがの」
「面白いもの?」
ヤエファは頷いて、
イズナの姿を見る様にコトハに促した。
白目を剥いて、
涎と泡を垂れ流すイズナの姿は、
正直あまり気持ちの良いものと思えなかった。
「ただの幻術じゃあ無いけ。
この女、暫くの間はわっちの言いなりの奴隷にしてやった」
ヤエファは、わざと意地悪気にコトハに言ったが、
それについてはコトハは返事をしなかった。
そして、
光を失っていたイズナの瞳に、
ゆっくりと正気の灯りが点された。
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読んでくれた方ありがとうございましたー!
今日のBGMは魔法少女幸福論でしたー




